2005/12/24(土)21:42
転機
えりこちゃんの急な帰国の知らせは、もちろん私と今一緒に仕事をしているみつこさん・ゆみさん・ゆきさんにも大きなショックで迎えられた。
ついこの間、ゆみさんちのパーティで会った時も、えりこちゃんはワインを振り回してがぶがぶ飲んでいて…今、思えば、そこに彼女なりの「これがみんなで会う最後」という意識があったのかも知れないが…私たちからは「えりこちゃん、またやってるよー」というふうにしか見えなかった。
これまでずーっと考えながら、一度も書いてこなかったことを書いてみたい。
えりこちゃんのことがあったからというわけではなく、イギリスに住んでからの8年近くの間、いつ日本に帰るかということを考えない日は一日もなかったと言っていいだろう。
たまたま、ロンドンにある日系企業が日本の新聞に求人を出していたので応募してみた。
「応募してみた」という程度の意識だったのは、海外で生活したいという意識がものすごく強かったわけではなく、日本で勤めていた会社もよかったし、無理やり行かなくてもよかったが、35近くなって、ちょっとした転機を求めていたには違いない。
本当に採用、なんてことになったら、その時に考えればいいや、と漠然と考えていたら本当に採用が決まり、その企業が取ってくれた労働許可証の期限が3年だったので、3年くらいなら行ってやってみてもいいかなと思って日本での仕事を辞めた。
働き始めると、予想していたほど英語はわからないし仕事と生活のこと(電話をひくとか銀行口座を開けるとか)で手一杯で最初はよく見えなかったが、ここの会社はひどかった。(笑)
要するに、給料のほかに労働許可証を取る弁護士費用+片道航空券代を会社が負担しても、日本から来た人のほうがよく働くから、そこの会社は日本から人を取ったわけだ。
あんな給料で求人しても、イギリスなら誰も応募しないだろうが、日本から来る日本人は目先の人生転換で頭がいっぱいなもので実利的なことには頭が回らないのに、働くのは概してよく働くから、企業にしたら合法的な搾取みたいなものなのだ。
私にしてみたら、お金を払って語学留学する人もいると思えば、少々安くても勉強しながら給料をもらえる3年は悪くないと思っていた。
しかし、返す返すもこの会社はひどかった。
よくあんな給料で生活していたと思うし、会社の運営自体がとんでもなくおかしなところであることがだんだんわかってきた。
そんなに無駄遣いしていたわけでもないのにお金がなくて、10日間くらいスパゲティをソースだけ日替わりで変えて食べ、もうスパゲティは見るのもいやという時期もあった。
人生とは本当にわからない。
今さら結婚なんか、と思っていたらクマイチに会って速攻で結婚。(詳細は1・2・3)
彼はイギリスの滞在が長く永住権を持っていたが、私自身が永住権を欲しいとは思わなかったので、切り替えもせずにしばらく放置。
その間に会社がどんどんおかしなことになって行き、見切りをつけて転職しようと思ったが、この会社の労働許可証に縛られているうちは他の会社に鞍替えすることはできないので私も永住権に切り替えると同時に転職。
これが、今年の1月まで5年いた会社だったのだが、私はなんとかここでまともに仕事をさせてもらえるようになり、とりあえず普通に生活できるようになった。
(前にいた会社は結局、退職して半年後に潰れた)
クマイチと、ささやかながらもある程度安定した生活にはいってくると、どこまでいっても異邦人の私たちは、この先どうするのだろうか、どこで人生の最期を迎えるのだろうかということをよく考えるようになった。
しかし、それも私とクマイチとでは立場が違う。
彼はイギリスで人生の半分近くを過ごした人であり、私とはイギリスに対しての思い入れも違う。
クマイチの日本人然とした容貌とは、時々かけ離れた行動を一瞬見せることがあり、そういう時に私はクマイチの中のイギリス人を時々感じることもあった。
そんな彼でさえ、いつかは日本に帰るという漠然とした希望は消えたわけではなく、そこに私と結婚したことで、私が持ち込む日本というものに彼も影響された。
彼が2次的なカルチャーショックを受けていたのは確かだろう。
仕事の上で、駐在員の人たちと接することがあるが、私にとっては駐在員というのはいろいろな意味でうらやましい人たちだと思えた。
もちろん、外地での生活関連に大きな援助がもらえることもその一つだが、会社からの辞令一本で日本に帰国することができる。
それはそれで、やり残したことがあると思っている人たちには残念なことかも知れないが、会社が線を引けば日本に帰るしかなくなるのだ。
その他に、ビザに期限がある人。
ビザが切れたらその人は帰らなければいけない。
いいなぁと思う。
自分で決断しなくても、物理的に肩を押してくれるものがあることに対してそう思う。
私も、あの時の労働許可証のままでの生活だったら、3年経っていたら間違いなく日本に帰国していたと思うが、状況が変わって永住権保持者になった。
ということは、まあ普通に働いて税金さえ納めていれば、誰からもどこからも日本に帰れとは言われなくなり、自分を無理やり押してくれるものはなくなったということだ。
私が日本を出た後の日本経済や就職戦線はお寒い一方になっていくのをインターネットで見ては「いつになったら帰れるんやろ」と自問自答する。
自分一人なら、なんとでもなるだろうけれども、クマイチという家族ができた今、自分のことだけ考えているわけにはいかない。
ロンドンに来て、最初に友達になったまきさんという女性がいる。
まきさんはこっちでイギリス人と結婚し、一児の母になった。
まきさんといろいろ日本の話をしていると、やっぱりその立場ごとに考え方が違うものだと気づかされる。
私にしてみれば、まきさんがイギリス人と結婚して家も車も買って、その上に子供ができたことを考えると、なんとなく人生をこれからイギリスでやっていくことの決心がつきやすいように思える。
腹をくくってイギリスで生活するための割り切りができるんじゃないかと思える。
しかし、まきさんは私にこう言った。
「ちゃとさんさあ、私にしてみたらちゃとさん夫婦が本当にうらやましいよ。2人とも日本人でさ、2人さえ決断したら日本にはいつでも帰れるじゃない?でもね、このまま年いくと、まずロジャーが先に死ぬだろうし、それまでにジョーも家を出るだろうし…私だけがここに残った時、私はいくつになってもやっぱり外国人でしかないし。そんなに年とってから日本に帰ろうと思っても、もうその時にはそれはできないと思うんだ。」
日本の10代・20代・それから30代…いや、もっと上の世代もかな。
海外で住むことを漠然と夢見ている人たちはまだまだ多いと思う。
でも、その人たちの夢は、こんなふうに中途半端に他の国での生活に足を突っ込んだ人間が日本に帰る機を見つけられないでいるもがきのようなものを知らないゆえの憧れの上に成り立っているものなのだ。
そして、そのもがきは、実際にそれを経験したことのある人でないとわからないものであって、経験者が未経験者に説明すれば納得してもらえる類のものではない。
その上、思った通り、描いた図面通りに行かないのが人生だ。
人生は二転三転を限りなく繰り返す。
私たち夫婦の転機も、案外近いところに見えているような気がする今日この頃だ。
***Wishing you all a very merry Christmas***