カテゴリ:映画
年末は最後まで仕事、なのであった。
最終日もやっぱり最後まで忙しくて、第三者から見ればこまねずみチックとも思われる動きで働き、そして残業・・・ 南イングランドは29日からこっち、嵐のような強風に襲われていて、この残業後の帰宅もこんな冬のさなかにアリかと思われるほどの吹き降りの中、すでに仕事が休みだったクマイチがまたも送り迎えしてくれる車で高速を駆って帰った。 ◇ ◇ ◇ さて、話は変わるが、こちらのテレビですでに「ヘンダーソン夫人の贈り物」をなんと放映したので楽しみに観てみた。 この映画、日本だと公開になったところだったとは知らなかった。 というより、こちらでの公開は済んでしまっているので、日本での公開とそんなに期間が開いているとは思いもしなかった。 これから観る人もあると思うので、過剰なネタばれを避けながら少しだけ。 ![]() *** ヘンダーソン夫人(ジュディ・デンチ)は、夫に先立たれた上流階級の未亡人。 莫大な遺産を残され、友達からは「これからはなんでも好きなことができるのよ、チャリティに力を入れるとか、宝石をしこたま買いまくるとか・・・」とそそのかされたりする。 しかし、ヘンダーソン夫人は元来、人の言うことを聞かない、自分の感覚だけで動き回る、相手の迷惑だとか自分の言動の行き着く先を考えない・・・まあ、非常におちゃめで無邪気とも言えるが、とにかくヘンダーソン夫人という人は突拍子もないヘンダーソン夫人なのだ。 そのヘンダーソン夫人、あり余る経済力を武器に、つぶれた劇場を買い取ってしまう。 もちろん自分では劇場運営の采配のノウハウなど知るわけもなく、縁あって熟達者、ヴァンダム氏(ボブ・ホスキンス)を劇場支配人として雇うことになる。 ヴァンダム氏のそばには、自分の劇場運営の知恵袋として、実際に出演する芸人かつコーディネーターの役割を果たすバーティ(ウィル・ヤング)。 一筋縄ではいかない者同士であるヘンダーソン夫人とヴァンダム氏のコラボレーションで、無事に劇場の初日の幕が開く。 ヴァンダム氏の構想が当たり、この劇場は、ロンドンの上流階級の人たちにとって話題の社交場になるのだが、人気者の宿命で、周辺の劇場がどんどんそれを真似た演目に変えていくことで、ヘンダーソン夫人の劇場は、いわば「多くのうちの一つ」に成り下がってしまったのだ。 しかしヘンダーソン夫人がこの劇場を買い取った理由、自分がこの劇場で体現したかった本当のコンセプトは・・・ 女性のヌード、だったのである。 時代はちょうど第二次世界大戦が勃発し、激化していく時代である。 この時代にヌード・・・である。 そしてイギリスは次第にドイツの砲撃に苦しめられることになっていく。 ***** まあ、はっきり言っちゃいましょう、年末ですから。 ものすごく印象に残った一本、とはちょっと言えないかも、だ。(笑) しかし、この映画について「観たほうがいいか、観なくてもいいか」ともし聞かれたら、迷わず「観たほうがいい」に一票。 個人的に私がこの映画を観たかったのは、やっぱりジュディ・デンチが出ているから。 私自身、このジュディ・デンチという人はイギリスの女優でいちばん色っぽい人ではないかと思っている。 「エントラップメント」に出ていた時のキャサリン・ゼタ・ジョーンズなんか、そりゃもう爆発的にキレイだし、今をときめくキーラ・ナイトリーのぷくっとした口元と大きな瞳も、女性でも心惹かれるものがあるが、なんといってもジュディ・デンチは、この声と目線とたたずまいがすばらしい。 この映画の中では、劇場に出演する幾多のキレイで若いねーちゃんたちを当然配しているのではあるが、そんな中の誰よりもいちばん美しいのがこのジュディ・デンチだと言わせてもらいたい。 ま、ジュディ・デンチも御年72歳なので、このへんの私の主張をいきなり却下する人もあるだろうが、それは人それぞれだ。 とにかく私がこの映画を観たかったのはジュディ・デンチ目的。 それから、相方役となるボブ・ホスキンス。 私はこの人のことは名前以外ほとんど知らなかったが、辣腕の劇場支配人でとしてレベルを下げない厳しさに溢れながらも好感の持てる人柄として描かれている。 出ている場面でいちばん観ていて小気味よいのはやはりジュディ・デンチとの間の、どちらも退却しないやり取りだ。 そしてそして、そして・・・最後に ウィル・ヤング。 ええ、私がずーーーっとここで書いてきているウィル・ヤングが、結構この中では大きくてオイシい役になっている。 当然、自分も出演していろいろ演技をしながら歌を歌う、という設定だが、正直に言えばがっかり。 その理由。 ここに出ているウィルというのは私が求めているウィルではないからだ。(爆) 彼はきっと、この役の話があった時から絶対に自分がやりたい、やれると思ったのだろうと想像する。 彼は天性の音程とリズムと、そこから来るダンスの才にも恵まれた人だし、元来が器用な人で、基本的にはなんでもできる頭の良さもある。 それを自分でよく知っているウィルはきっと、この映画で自分の能力がフルに活かせると思ったに違いない。(えー、勝手に決めてますが) しかし、彼がこの映画の中で演じていた中身はミュージカルだ。 ミュージカルが悪いと言っているわけではないが、結果的にそれが彼には合わなかったのだというのが私の感想なのだ。 ミュージカルの歌、というのは、演技の中での単なるダイアログ・会話に音階を当てて歌のフレーズの形式に後付けで出力変換しているもので、こう言っちゃあ悪いが、音楽的なリズムというものに、なんの発展も意表もない。 それが好きな人には申し訳ないが、ミュージカルの中の歌というものは、一個の音楽としての評価は私には「ノーコメント」だ。 確かにそういう中からアンドリュー・ロイド・ウェバーやロジャース&ハマースタインみたいな大御所が作ったミュージカルの歌の中には、今や人気が一人歩きしてスタンダード化がなった歌もたくさんあるにはあるが、それとこれとはちょっと別。(爆) もちろん舞台上での踊り・シークエンス・構成・役者の演技の巧拙・歌・・・とすべて揃ってミュージカルとして完成度ができていくということはわかっているし、ミュージカルをミュージカルとして観ることはぜんぜんキライではない。 ただ、私はウィル・ヤングがこの映画に出て「ウィル・ミーツ・ミュージカル」をやってみたが、結果的にスベったことがイヤ、という話。 2時間弱の映画一編の中で、あれだけたくさんの時間、ミュージカルの人気者よろしく露出していたことは、ウィルにとって成功というよりはむしろ失敗に近いのではないかという、そこがこの映画とウィルに対する不満なのだ。 この映画「ヘンダーソン夫人の贈り物」の中で見るウィルの演技は、あまり人を魅了していない。 非常に平面的に、ちょっと器用なミュージカルの出演者をこなしている以上のものが見られない。 もしもこの映画の中で初めてウィル・ヤングを見た人にとって、この映画の中のウィル・ヤングというものはほとんど印象に残らないのではないか。 それくらい、ウィルの持っている本来の才能がこの映画からは読み取れない。 ウィル・ヤングの出始めからのガチガチの支持者の私としては、あの映画の中のウィルをもって「あれがウィル・ヤングという人」と思われたら困るのだ。 クマイチに「ウィルが映画に出たんだって」と言った時、クマイチは「彼はシンガーなんだから、なんで映画になんかわざわざ出ようと思うんだ?」と言って、バカらしい、といわんばかりだったが、まさにその通りの結果になったと思う。 ということで、この映画はとにかく「ウィル・ヤングは出てほしくなかった、出なくてよかった」という個人的な痛恨もあるにはあるし、うーんと・・・ちょっと全体の流し方とか映画を作る人の真意の伝え方がファジーな部分はあるが、ジュディ・デンチとボブ・ホスキンスのやり取りは、ああいうキャリアと味のある役者ならではのかけ合いに仕上がっていて、それだけでも、映画が好きな人なら観る価値はあると思う。 よろしければ観てみて下さい。
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