ちゃと・まっし~ぐ~ら~!

2008/10/05(日)17:38

義姉の他界

家族(33)

それで、これも「書かなかった言い訳」なのかと聞かれると厳しいのだが、2ヶ月前、クマイチのお姉さんが他界した。 肺がんだった。 クマイチは、5月くらいから毎週末、義姉のところに通っていた。 同じ関東圏からとは言え、東京からだとそれはそれで結構大変だ。 私は行かなかった。 私自身は、4年前にクマイチの両親が相次いで他界した時以来、義姉とは会わず話さずだった。 義姉がもうそんなに長くないとわかったのは今年にはいってからだっただろうか。 私自身は、えらく引きずっているような書き方になるが、4年前に一度クマイチのお父さんが危篤になった時にロンドンから駆けつけた時に義姉との間でイヤなことがあり、その時点でもうこの人とは普通に話すことは無理だと思った。 その段階では義父は意識回復したのだが、3ヶ月後に他界し、10日後に義母まで急死したことはずっと以前に書いた。 そのお葬式の時には他の事務的なこともあるので義姉とは普通に口を利いていたが、それからはロンドンに戻っても、クマイチが義姉と電話で話していても私は絶対に出なかったし、去年こちらに帰国した時も一度も電話しなかった。(まあ、クマイチ自身があまり連絡もしていなかったこともある。彼が義姉に「実は帰国して東京にいる」と連絡したのは、今年にはいってからだったと思う) 義姉は最初、大学病院に入院していたが、その後、本人自身ももう長くないということを悟り、別なホスピスに転院した。 その後、そこで亡くなるまでに1ヶ月強の期間を過ごしたのだが、クマイチは毎週、義姉の好物を持って面会に行っていた。 私が最後の最後まで義姉に会わなかったのは、4年前にどうこう、ということも去ることながら、その後まったく接点がなかった私が急に、衰えた義姉の姿を見に行くということにどうしても抵抗を感じたからだ。 もしも自分が義姉の立場であったら、決してお互いうまくいっていたとはいえない義理の妹がそういう時だけ顔を見にきたら、同じ女性としてはイヤかもしれないと思ってしまったからだ。 確かに義姉は、性格的には私とは合わなかった。 クマイチの実家は一時、とても羽振りのいい時期もあり、それなりに地元ではある種、名前の知れた家でもあった。 反対にちゃと実家は、昔からお金のない一介の職人のうちだったこともあり、私にとっての倫理感というのはちゃと実家そのものだったのだが、帰省してクマイチの実家で過ごすと、クマイチ家の倫理感というものはまったく違っており、それが私にはかなり窮屈で居心地が悪いものだった。(クマイチはそれは当時からよく理解してくれていたし、彼と私がそのことで揉めるというようなことはほぼ皆無だったと思う) 義姉は長らく自分で仕事をしたことがなく、そのために発言がずいぶん世間知らずなところがあるように私は思っていたのだが、仕事でなくても、義姉がもしも誰か今からでも(50を過ぎてからでも)気持ちや時間をシェアできる誰かがいたらいいなとはずっと思っていた。 受け止める人がいるのといないのとでは、きっと義姉の中で何かが違ってくるだろう、受け皿が大きくなるだろうといつも私は思っていたし、クマイチにも何度かそんな話をした。 そして彼女は8月の暑い日の朝、クマイチに看取られて一人で逝った。 その日のうちに駆けつけ、棺の中に眠っていた義姉の顔を4年ぶりに見た。 闘病のつらさを見せないような穏やかな、しかし小さくなった(もともと義姉はとても痩せていた)顔を見ると、私にもやはりこみ上げるものがあった。 義姉は、私とは考え方がずいぶん違うと思っていたが「他人に迷惑をかけてはいけない」と思うところは共通していたのだろうと思う。 いろいろな人に迷惑や手間をかけてはいけないので、彼女は生前、自分が亡くなってもお葬式もしなくていいと言っていたが、お別れ会を営むことにした。 するとやはり聞き伝に集まった人たちが来てくれたのだが、意外にも多くの人たちが集まり、びっくりした。 彼女は若い頃からとあるお稽古事の師範だった。 それらの生徒さんたちが来て下さり、彼女を悼む歌の一節を皆さんで奉じて下さった。 ほとんどの生徒さんたちのほうが、義姉よりも年齢がかなり上の人たちだったことが余計に悲しかった。 皆さんのエピソードから、義姉がいかに曲がったことが嫌いで、芯が強く、困っている人をほうっておけない人だったかということもわかった…そうだろうということは知っていたが。 義姉の遺骨を、義父母の眠るお墓に先日納骨した。 クマイチにとって義姉は、たった一人「音楽のために渡英したい」という彼を後押ししてくれた人だ。 義父母が亡くなった時よりも彼にとっては義姉の送りがつらかったという。 しかし、そのたった一人の義姉をクマイチは日本に戻って看取ってやることができて、本当によかったと思う。 もしかしたら義姉にもまた違った人生があったかもしれない。 そう思いつつ、今はいなくなってしまった義姉に時々話しかけてみることもある。

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