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まるで、若い子のように。w でも、もう最近は、本当に自分の気持ちの整理のためだけに
書いているから。読みたければ読んでください。あとは何とでも、という心境なのだ。 小さい頃は、「これをやりたい。」がいつも何かをする時の始まりだった。 だから、小学生の頃は、ピアノ。これしかない、という感じ。 でも小4くらいになって、練習量が増えて、隣の家のきつそうなおじいさんから、「うるさーい」 と雨戸越しにどなられても、母は「我慢しなさい」、父は「ピアノじゃ飯は食えない。 こうやって、ワイングラス片手に娘のピアノ聴くのが夢だったんだよねー。ははは。」と言う だけ。そのうち、次の引越し先で、入れる場所が無いと勝手に物置に入れられた。 わたしが親に反抗したのは、せいぜい、幼稚園まで。w それまでに、この子はおかしいんじゃあないかと、母にさんざん罵詈罵倒され続けて 他人に勝ちなさい、他人を信じるな、喜怒哀楽を無くしなさいと言われ続けた。 わたしの性格の、ほぼ正反対ばかり求められた。 母はわたしらしさを愛してくれない。母の基準から外れているらしい。規定外。 でも母の口癖は、「子を愛さない親はいない。」「おまえのために言っているのよ。」 それでも、いい成績を取った時だけは、両手両足小躍りして喜んでいたが。 そういう母を見て気持ちが悪いと思った覚えしかない。 その当時の色々な出来事の話をそのまま子供に言うと、「ママ、わたしなら、○してるね。」と 笑っている。恐ろしや。 大学は、4年生の東京のに行った。もし戻れるなら、言語療法士の学校にそのまま、卒業後 行きたい。でも、今となっては、もう遅い。 そのまま○○氏の薦めだぞと、父の言いなりである会社に入ったが、本当に嫌で、嫌で、やめて、 英語の先生になった。やめてよかった。そこ、つぶれたから。ww 社内で恋愛していたら、もっと○○氏を恨むところだ。父に紹介してくれただけだから、 そこまで云々するつもりは無いが。 旦那と結婚してから、別の県に移って先生を辞めたが、その新婚時代に戻れるなら、 そこでもう一度、先生の試験を受けて、旦那が転勤になっても、なんなら離婚覚悟で その場所で先生を続けていたい気がする。その選択が多分わたしのベストだった。 そうすれば、ずっと関東。子供も将来が考えやすい。 でも、結局旦那について来て、地元が無く、その日暮らしをしている感覚がある。 人生を切り売りしている気分になるのは、どうしてだろう。 このブログを始めた頃は、その切り売りしているような気分だけがつらくて、払拭したくて 書いていた。旦那と一緒に家族全員で過ごしたくて、ヘルプもしたくて、一緒に成長も したくて過ごしているのは、選択の一つとして全然間違いではないけれど。 わたしが、関東に帰りた~い、もういい加減定住して、自分でこれしたいと思った職業を そこから通って続けた~い、別に他人から見てちっぽけな職業でもいいから、定住先から 続けた~い。そうした~い。とw、我がままのように時々、書いていたら、父が倒れた。 これって偶然なのかなと、少し思う自分がいる。 どうして、ぴったり間に合って、自分の幸せ像のイメージが湧かないのだろう。 そういうのを助けてくれるのが、今流行りのコーチングだったり、するのかもしれないな。 様子を見ているうちに、本当にあっという間に、時間は過ぎる。 でも、わたしに似ているという父が、ベッドに縛り付けられた状態の時思った。 (わたしも、あと○○年だな。)って。 具体的に、10年があと何回かって、期限が浮かんできた。 今のわたしは、何がしたいからではなくて、 どこに住みたい→誰といたい→それに合わせて、何をしたい の順番で、時々気が付くと、考えている。 山でもこもって、その山篭りから出てきたら、いきなり実行した方が、本当はいいのかも。 その位、時間は短くて過ぎていってしまうのかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.03.30 16:13:28
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