背番号10・川戸浩
今日の朝日新聞・湘南版で懐かしい名前に遭遇した。昭和55年に横浜高校野球部が夏の大会で全国優勝した時の背番号10・「川戸浩」投手。 今年から、横須賀の湘南学院野球部の指導をしているそうです。 当時の背番号1は、後にロッテや中日で活躍し、高校在学中から甘いマスクで人気のあった愛甲猛投手。 早実荒木大輔投手(後にヤクルト)との投げ合いで、肩を痛めた愛甲投手に代わって、9回ゲームゲットの最後の瞬間にいたのは、万年2番手の背番号10・川戸投手でした。優勝した瞬間の川戸投手の顔は今でもマブタに焼きついています。 愛甲投手は、当時同じ市内に住んでいたので、街中で何度か見かけたことがあります。 私は当時、学生で高校生の家庭教師のアルバイトをしていました。教えていた生徒は、中学時代に地元の中学で愛甲君とバッテリーを組んでいた人でした。 そういう意味では、愛甲投手には大変愛着があります。しかし、天性の素質に恵まれた愛甲投手がいるのに、諦めずに最後までやり抜いたことで甲子園の優勝投手という大きな勲章を手にいれた川戸投手。 若い人、いや我々中年にも、良い人生の教訓を残してくれたエピソードだと思い紹介させて頂きました。 川戸投手、本当に懐かしい名前です。今でも鮮明に覚えています。