2010/01/07(木)23:55
母の愛は強し。夢は強い心に宿る。
ライフコーチのあまみ悠です。
お正月休みに見たDVD。
母の愛ってこれなのねと
映画を見て思いました。
「ロレンツォのオイル」。
見ていないかたはネタバレ注意です(^^
医者にさじを投げられた
難病副腎白質ジストロフィーに悩む
ひとり息子ロレンツォを助けるために
解決策を探す銀行家オドーネ夫妻の
話です。
ほぼ実話だそうです。
まったく医学的知識のない夫婦が
調べに調べ、コミュニティを立ち上げ
自力で治療法を探し出したのです。
そしてそのプロセスの中には多くの痛みが
ともないます。
治るはずのない死にゆくだけの
ロレンツォの激痛にゆがむ顔を
見ることができず、去っていく人々。
すでに言葉も話せず、からだを
まったく動かせない植物状態。
発するのは痛みの叫び声。
激痛にゆがむ顔。
希望のない看護。
つらすぎるのです。
父親でさえ、まいってしまいます。
それでもがんばる母に向けて
医療側の人間はいいます。
「あなたたちは生を望んでいるけれど、
でも、ロレンツォはどうなの?」
すでに死にかかっている子どもを
活かすことが本当にいいことなの?
と尊厳死問題に関わるような言葉を
言われてしまうのです。
言うほうも実は必死です。
なぜならば、やはり同じ病で
子どもを亡くしているからです。
しかし母親はその言葉を無視するかの
ように、どんどん孤立していきます。
夫からさえも。
けれど、ある日、父親は目撃します。
それはロレンツォをいつものように
抱きながら、話しかける母親の姿。
「ロレンツォ。もしもあなたが
キリスト様のところへ行きたいなら
もう無理しなくてもいいのよ。
行きたければ行っていいのよ。
ママとパパは平気よ。」と。
いいえ、平気なはずはありません。
けれど、それが母親の愛情表現だった。。。。
母親はロレンツォが話さなくても
動かなくても、見なくても
まるでそんな問題はないかのように
話しかけ続けました。
そして自分と同じようにしてほしいと
看護士にリクエストしました。
それを理解しない看護士の後ろ姿に
ぼそりとこうつぶやきました。
「誰もあの子の素晴らしさに気づいていないわ」
周りから見れば、おかしな研究をして
子どもを苦しませるひどい母親だったことでしょう。
だれも夫妻が研究に成功するとは思って
いなかったでしょう。
けれど母親はロレンツォを信じたのです。
ロレンツォをというよりは多分、
命を信じたのです。
召されるときは召されるのだからと
最後の最後まで誰がなんといおうが
あきらめなかった母親の思い。
この思いの強さこそが、
治療につながるオイルを発見し、
ロレンツォだけでなく、
他の多くの子どもたちをも助けたのでしょう。
私はこの映画を見て
母親の愛が強いのは
いのちとつながっているからだと感じました。
何を信じるのか。
目に見えているものなのか。
それともいのちなのか。
母親であるということは
目に見えているものの先と
つながっているということなのかもしれない。
その強さはきっと、産みを経験した
女なら誰でも持っている。
それが発揮されるかされていないかだけで
みんな持っている。
そんなふうに思いました。
そして、
その強さはそのまま、夢を形にすることと
とても似ているとも思いました。
形にないもの
決まっていないもの
見えないもの
けれど確かなもの。
その確かさは胸の中にある。
胸にあるものだけが見える
真実がそこにある。
そこを信じる強さがあるかどうか。
それが夢を形にできるかどうかと
イコールなのでした。
その後・・・
夫妻の努力が実り、オイルを使った食餌療法が
功を奏します。
5歳で発病し、2年以内に亡くなるはずだった
ロレンツォは30歳まで生き、人生の幕を閉じました。
この映画は
決して逃げなかった母親と
家族を支えた父親と
その愛に(たぶん)答えた
子どもの壮絶な愛の物語。
そしてなによりも、信じることは愛だと
愛は強さだというメッセージに心打たれて
号泣しました。
日本一のメンタ-、神様みたいなかたです。
http://happy-women.net