「欲望という名の電車」 (1951)
"A Streetcar Named Desire" 監督・・・エリア・カザン 原作戯曲・脚本・・・テネシー・ウィリアムズ 出演・・・ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド、キム・ハンター、カール・マルデン、他。 ・物語序盤・かつては裕福な家庭の令嬢だったブランシュ・デュボアは、一家の没落と共に屋敷を失い、妹ステラを頼ってニューオーリンズに出てくる。妹の夫スタンリーは、教養の無い粗野な男で、毎日カードと酒に明け暮れている。教師をしている知的なブランシュには、スタンリーの粗暴な振る舞いや性格は到底受け入れがたいが、ステラは彼に殴られても夫を愛している様子だった。妹に不満をぶつけるブランシュ。一方スタンリーもブランシュを良くは思っていなかった。スタンリーのカード仲間のミッチは、彼の仲間内では、少しは礼儀を弁えた紳士らしい。ブランシュは彼に好意を持ち、またミッチも彼女に好感を持つ。二人は交際を始め、結婚話まで出る間柄になってゆくが…。ずっと観てみたくて、衛星放送などで放映してくれないかと思っていた作品です。やっぱり放映してくれました。冒頭から欲望という名前の路面電車が出てきてビックリしました。もっと象徴的なタイトルかと思ったのですが、いきなり実物が…。マーロン・ブランドって、いい男だったのですね~。私の知っているマーロンは、もうお爺ちゃまな彼でしたから、若かりし頃のマーロンを見てうっとり。しかし役柄は、下品で乱暴な獣のような最低男でしたけど…。主役のヴィヴィアン・リーは、この頃既に精神を病んでいて、この役を演じた事で、更に病状が悪化したという話ですが、その気持ちは分かりました(苦)。(その後荒んだ状態のまま、アパートで孤独な最期を迎えていますね…。スターって哀しい…涙。)これ、観たら凹みます。特に気が塞いでいる人は。私は観ていて、どん底な気分になりました。進むべき道から転落してしまった人間の悲しさでしょうか。元の道に戻りたいのに、ただ平凡な幸せが欲しいだけなのに、もがけばもがく程、泥まみれになって、更に転落してゆく。そして周囲は手を差し伸べる所か、そんな彼女を嘲り侮辱する。東電OL殺人事件の被害者とか、そんな女性達を連想しましたね。「人生は一度失敗すると取り返しがつかない、落伍者のレッテルを貼られたら終わりよ~」そんな事を思い知らせてくれる映画です。(ヤな映画だなぁ…。)とにかく出てくる人間全てが醜い。主人公も被害者ですが同時に醜い。粗野な夫も醜ければ、その妻も醜い。殴られ怒鳴られ、一時は腹を立てるものの、結局は夫に縋って生きるしかない女。映画ではラストに決別する意志を見せる彼女ですが、原作では姉を陵辱され精神病院へ送る羽目になっても、元の鞘に収まる。確かに映画の結末の方が清々しさはありますが、原作の方が女の厭らしさを表していて現実的ですね。そしてブランシュと交際していた男も醜い。彼女の穢れた過去を知るや、彼女を捨ててしまう男。それは良いとして(ごく普通のリアクション)、汚い女は妻にはしないけどれと言いつつ、平然と彼女の体を求めてくる。ああ、醜い醜い。最後は彼女に同情的な顔を見せています。その辺の中途半端な善人ぶりも、弱さという人間の醜さを煽りますね…。昔の映画なので表現がソフトな部分も多々あります。もし今、映画化したら、それはもう救い難い映画になるでしょうね。ちょっと観てみたいかな。