カテゴリ:徒然のままに
この春、受験を控える、わが孫に贈ることば。
私の自慢の一つに、日記がある。13歳から日記をつけ続けている。13歳といえば中学受験の年である。その受験の寸前に大空襲に遭い、結局は「無試験」で入学した。しかし、中学生渇は、あの戦時中だった。来る日も来る日も戦災の焼け跡整理、軍需工場での作業などが続き、ろくに勉強らしいことしなかった。厳しい「教練」という授業があった。あの雨霰と降ってくる焼夷弾に立ち向かうために、連日のように竹やりをもって戦う稽古をしていた。いま、考えてみると、滑稽に思うが、当時は軍国少年として「誇りをもって」竹やりの稽古をした。 そして、一年生の夏休み(実際は休みはなかったも同然だった)中に、あの雑音だらけの「玉音放送」を聞いた。「一億火の玉」「撃ちてし止まん」「神州不滅」「神風が吹く」などということばに洗脳されていた軍国少年は、「無条件降伏」ということを受け止めるには時間がかかった。 私を待ち受けていたのは「闇市」「復員兵」「進駐軍」「エログロ・ナンセンス」「アプレ」(戦後派)などで、「何を信じていいのか」が分からず、混迷と混乱の渦にまき込まれ、食べるに食なく、働くに職なく、住むに家なく、人々は迷っていた。 その時、私の学校の先生が「日記をつける」ことを教えてくれた。毎日「書くこと」は同じだった。「腹減った」ということばが並んでいた。以来、65年間、私は日記を書き続けた。初めのころは、ざら半紙、広告の紙の裏などに書いたが、書くのも鉛筆さえ貴重なものだった。 しかし、昭和30年ごろには、ちゃんとした日記帳が売られていたので、宝物のような万年筆で書いた。 私は君と同年輩(19歳)のころの日記を探した。すると、ある人からの手紙がページの間に挟んであった。その人は中学の先輩で、すでに大学を出て社会人になっていた。その手紙は、私の手紙への返事だった。どんなことを書いたのかは覚えていないが、多分、受験勉強の苦しさに負けそうになっていたのであろう‥。 その先輩は「自反而縮 雖千萬人 吾往矣」という孟子のことばを引用して、私を激励してくれた。いまはなくなったかも知れないが、私の育ったころには「漢文」の授業があった。これは孟子のことばである。「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん 」と読み下す。意味は「自分の心を振り返ってみたときに自分が正しければ、たとえ相手が千万人であっても私は敢然と進んでこれに当ろう。」である。私は、この先輩の手紙に奮起して、志望の大学への入試に合格した。この手紙を日記に挟んで残したのは、私の人生観を大きく変えたからである。 わが孫よ、いまの君にこの孟子のことばを、そのまま贈りたい。「自反而縮 雖千萬人 吾往矣」。いざ、進め、迷わず、惑わされず、受験という難関へ向かって進め! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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65年間、日記を書き続けておられることに敬服。
きっとお孫さんも贈られた激励を○十年後に思い出し、さるさんと同じような感動を覚えることでしょう。 私も中学時代から日記帳に書き綴ってきました。 妻との出会いのことも綴られております。 しかしあるときを境に日記を止めました。 他人に見られたからです。 でも今になると後悔しています。 それで今年からまた日記を開始しました。 いまは闘病日記の様相ですが、そのうちもっと楽しいことが綴られるよう頑張りたいと思っています。 (2010年01月12日 18時10分49秒)
オニャンキーさん
おはようございます。 東京にも、昨日『初雪』が降りました。昨日の寒さは老いの身にこたえました。 >しかしあるときを境に日記を止めました。 >他人に見られたからです。 分かります。私のこれまでの日記は、鍵のかかる箱に収めてあります。全部じゃないけれど、「見られたくない」日記が10冊ほどあります。私の死後は、だれかに見られることもあると思いますが、一応密封してあります。 >それで今年からまた日記を開始しました。 >いまは闘病日記の様相ですが、そのうちもっと楽しいことが綴られるよう頑張りたいと思っています。 私も入院時の日記は、別冊にしてあります。これまで3回の入院の日記は、一冊のノートに書いてあります。食事のことなど、細やかにつけています。 (2010年01月13日 08時32分36秒)
こんにちは
思い起こして残したい言葉が沢山ありますね。 やはり中学の試験はなかったのですね。 私の学校も同じでした。 この学校は志望者が少ないからと、 その時ふと頼りない学校に思いましたが 国の方針だったのかな。~~^ 毎日防空壕を掘って学生時代の半分を 過ごしました。 21年からは勉強しましたが先生方が食料なんで 放課後になると買出しに行く姿を見て居ました。 教える方も,習う方も実が入りませんでした。 孫さんに伝えることは良いですね。 微笑ましいお爺ちゃんですね。 私も会う度に話して居ます。 (2010年01月13日 11時18分11秒)
azuma125さん
60余年も前のことなのにしっかりと記憶に残っているというのは不思議なことですね。 >思い起こして残したい言葉が沢山ありますね。 狭い範囲ですが、私は孫たちにことあるごとに語り伝えています。進んで「戦時中・戦後の語り部」になっています。これがわが務めであると思っています。 >やはり中学の試験はなかったのですね。 >私の学校も同じでした。 だって、受験する人も多く戦災死していたし、受験する学校も焼けましたし、ともかく「受験票」を出した者は合格ということでした。高校も中学五年生のとき、いきなり「高校2年生」になったのですから、高校受験もなしということでした。 >21年からは勉強しましたが先生方が食料なんで >放課後になると買出しに行く姿を見て居ました。 >教える方も,習う方も実が入りませんでした。 昨日までは「敵国語」と排斥していた英語を習いだしたのは2年生になってからでした。ペラペラの紙に謄写版で印刷した「仮教科書」でした。 (2010年01月13日 14時53分53秒)
myk1016さん
>azuma125さん >60余年も前のことなのにしっかりと記憶に残っているというのは不思議なことですね。 > >>思い起こして残したい言葉が沢山ありますね。 > >狭い範囲ですが、私は孫たちにことあるごとに語り伝えています。進んで「戦時中・戦後の語り部」になっています。これがわが務めであると思っています。 > >>やはり中学の試験はなかったのですね。 >>私の学校も同じでした。 > >だって、受験する人も多く戦災死していたし、受験する学校も焼けましたし、ともかく「受験票」を出した者は合格ということでした。高校も中学五年生のとき、いきなり「高校2年生」になったのですから、高校受験もなしということでした。 > >>21年からは勉強しましたが先生方が食料なんで >>放課後になると買出しに行く姿を見て居ました。 >>教える方も,習う方も実が入りませんでした。 > >昨日までは「敵国語」と排斥していた英語を習いだしたのは2年生になってからでした。ペラペラの紙に謄写版で印刷した「仮教科書」でした。 ----- そうでしたね。 新聞紙の教科書みたいでした。 大きく広げて見たり、畳んだりでしたね。 時代は恐ろしいですね。 人間まで変わってしまうのですものね。 狼少年を思い出しますね。 和裁は新聞で裁断したのです。 洋服も縫いましたけど、 解してから縫い直すと いう状況でした。 腹が空いてどうしようもなかったですね。 (2010年01月13日 17時24分58秒)
azuma125さん
戦後の話も、尽きませんね。 だって、世界を相手に4年間も戦って、負け戦だったのですから、尋常なことではなかった‥。 >新聞紙の教科書みたいでした。 >大きく広げて見たり、畳んだりでしたね。 各自で切って、綴じました。 >腹が空いてどうしようもなかったですね。 大阪の鶴橋というところは、いまもちょっと怪しげな店がありますが、戦後の闇市があり、テントのような屋根の店で食べた「モルモン汁」が美味しかった! でも具は、何か正体不明でした。やけに固い物が入っていて、噛み切れなかった‥。空腹と同時に大人になりたいという願望がありました。今にして思うと、背伸びしていた私でした。 (2010年01月13日 18時22分03秒)
myk1016さん
>おはようございます。 興味があったんでしょうね。 何でも知りたかったですよね。 進駐軍のホールにダンスを習いに行きましたけど 怖かったので一度で止めて失敗しました。 勤めてからはそんな時間はありませんでしたから~~ ある意味で何か不足して居る幸せと夢が ありましたね。 朝、深夜放送で、五木ひろしの歌物語があり 「戦後の日本は、若かった。」 と思い出して居ましたね。 不足が生む、緊張感と、夢が新鮮でしたね。 熟した環境は、腐敗に近いですね。 だから夢が必要ね~~~ (2010年01月14日 11時07分41秒)
azuma125さん
こんにちは。 >何でも知りたかったですよね。 >進駐軍のホールにダンスを習いに行きましたけど >怖かったので一度で止めて失敗しました。 デマが飛びましたよ、進駐軍が来るから、女性は丸坊主にしなきゃ、やられる!って。 >ある意味で何か不足して居る幸せと夢が >ありましたね。 そうでしょうか‥、幸せや夢を求める余裕はなかったと思います。敗戦という悲劇をはじめて味わった日本人は、「喰う」ということだけに懸命だったので、そこには夢も希望もない暗さだけがあったと、私は思います。 >熟した環境は、腐敗に近いですね。 >だから夢が必要ね~~~ たしかに、熟した環境は腐敗に近いと、思います。でも、いまの若い人たちに夢を持てと言っても、聞く耳がない人が少なくないようにも思います。「日本終末論」を言う人もいます。 (2010年01月14日 13時15分16秒) |
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