大地震後、初めて仙台に行ってきました。
16日は親父の三回忌があったため、実家のある仙台に帰省してきました。震災後、初の帰省になります。無事法事をすませ、皆で会食をするため仙台駅前に行ったのですが、16日は丁度「東北六魂祭」が開催される日だったので、「せっかくだから一目観ていこう」という事で、勾当台公園へ寄り道したのですが・・・・・。人がすごい!半端じゃない数です。^^;例年、七夕祭りで混雑しますが、そんな比ではありませんでした。勾当台公園ではすでにイベントが始まっていたようですが、何も見えず、近づけず、いや、下手に近づいたら身動きとれなくて帰れなくなること必死。仕方ないので、祭り見学は諦めました。案の定、混乱をさけるため一部の催しが中止になったそうですね。今回は、奥さんの実家(多賀城)に泊めてもらったのですが、そこで一冊の写真集を見せてもらいました。【送料無料】巨大津波が襲った価格:1,000円(税込、送料別)テレビの報道で何度も見ていますが、やはり地元紙は違いますね。収録されている写真の凄さに、思わず見入ってしまいました。こういう物は、被災の記憶を忘れないためにも1冊は残しておきたいです。東京に帰ってきて、早速注文しました。私の実家の家族も、嫁さんの実家の家族もそうでしたが、必ず言われたのが「是非、被災地を見ていって欲しい」の一言。被災した地元の人達の総意なのかもしれません。義兄がわざわざ皆で乗れる車を借りてくれて、17日は、被災地を見せてもらいました。嫁さんの実家を出発すると、すぐにガレキの山が見えてきました。多賀城市内のガレキを集めてきて、とりあえず積んであるのでしょう。車で、南三陸から石巻まで、海岸沿いを走りました。テレビで何度も見た光景がそこに広がっていました・・・・・。何も無い・・・かつて町があったのであろう広大な土地。。。鉄筋の骨組みだけが残ったビル。一見、「この家は残ったのか」と思いながら、近づいてみると、大きな穴があき、室内は全て流されて何も残っていない廃墟。何というか・・・一面ガレキの荒野となっていて、しかも、その光景は3月にテレビでみた光景そのまま。本震から4ヶ月経つのに、なにも変わっていないのです。いや、これでも相当手を入れた後なのでしょうが。。。所々舗装はされていないものの、道は繋がっていましたし、流されてしまった橋の脇に、仮設(?)で橋も造られていました。が、それ以外は4ヶ月前にテレビで見た光景そのままなのです。これは・・・・でも無理も無い。。。どこから手をつけたら良いのでしょう。。。元の町並みを知らない私が見てもそう思うのですから、ここに住んでいた人達は途方に暮れるしかないのではないでしょうか。町の復興に何年かかるのか想像がつきません。「がんばろう日本」などと気安く叫んでいる人達には、是非とも一度被災地を生で見てもらいたい。そう思います。