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カテゴリ:旅の記憶
みかんが好きで毎日食べている。最近は箱で買う。 先日Mさんが「きなりみかんがおいしい」と話していた。もともとMさんはかんきつ類が好きではなかったのだが、私が毎日のように食べているので触発されたか、あるいは手軽に食べられるものがみかんしかなかったから手を出したかわからないが、そういう人の言うおいしい「きなりみかん」とやらは食べてみたくなる。 一番近いスーパーにはそれはなくて、次に近いところにそれはあった。 「木熟みかん」と表示されたそれは、他のものよりお値段も高い。木になったままで熟したみかんという説明書きがある。「きなり」と読むのかどうかはわからない。 味は歴然と違った。濃いのだ。そして甘い。それまでのものが水のように感じる、まぁ水代わりに食べていた節もあるのだが。 「おいしい。おいしい。」と言って貪り食べたのは言うまでもない。 大変おいしいのだが日本の今あるみかんには実は不満を持っている。 もっと酸っぱさが欲しい。 皮に指を入れたときに匂いの粒が空中に広がり、鼻腔をくすぐるような物であって欲しい。 子供の頃に食べたみかんにはそれがあったような記憶があるのだが。 ネパールでトレッキングをしていた時に、アンナプルナの山郷の村々の道中で10歳くらいの子どもが緑色したみかんを売っていた。一日にどれだけの人がその道を通過するのかわからないが、私の前後には人はいなかったからそれほどの通行量とも思えない。 どこからともなく現れ、両手いっぱいにみかんを持って買わないかと交渉してくる。相手が子どもでもあるし、法外な値段でもないので旅の間行っていた値引き交渉もせずにそれを買った。 小ぶりで緑色のみかんはこれぞかんきつ類という芳香を放っていた。皮をむく指にもその香りがうつる。 例えばバスの中で誰かがみかんの皮に指を入れれば、たちまちのうちにその香りが車中に広がり誰かがみかんを食べようとしている事が知れるのだ。 たしか「スンタラ」といった。 秋に歩いた村の庭先にみかんの木があり、たわわに生っていたことを思い出す。 スンタラのようなみかんを食べたい。無性に食べたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 16, 2006 05:05:05 PM
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