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カテゴリ:読書関連
エレクトラ 中上健次の生涯 (高山文彦著 文藝春秋) 読み始めたら止まらない。長編人物評伝であるが良質な小説を読んでいるように感じる。 力作。 書名をググってみれば、かなりの評判であることがわかる。それら文筆家によるレヴューの前に、もはや語る言葉なしと言った感じ。なので自分用メモにとどめる。 中上作品を一つも読んでいない私にとっても、大変に興味深い内容であり、ことに芥川賞受賞までの身を削るような創作の描写は圧巻である。編集者との、まさに真剣勝負といった対峙も唸る。 書かずにはいられない、どうしても書いてしまわなければならないものを持った人が、作家・文学者と称されるのだ。 自分はペンを持たなかったら、永山則夫になっていたと書く中上。 「書かずにいられぬことを書くこと」に捧げた中上が、ルポルタージュ「紀州 木の国・根の国物語」の取材から後、書けなくなる。伊勢神宮に二十三万余点にも達する、すさまじい文字量の資料がおさめられているのを知ったからだ。 「私が『天皇』の言葉による統治を拒むなら、この書き記された厖大なコトノハの国の言葉ではなく、別の、異貌の言葉を持ってこなければならない。あるいは書く事、書かれる事を拒む語りの言葉か」 そういって、考え込み、途方に暮れる。 高山はそんな中上を次のように分析する。 「天皇制の闇に沈められた熊野の民衆史を描き出そうとし、また実際に描いてはきたけれども、しょせん文字をあやるつ者はどうあがいても外部に位置する者なのだ。その土地に暮らさず、よその土地に暮らし、異邦人の目で見、地べたの声ではない限りなく中央に近い所から発した文字をもちいて表現し、それを売る。天皇の「言の葉」をまえにしたとき、彼は言葉による支配の現実に居たたまれなさをおぼえるとともに、膨大な無私無償の言の葉の量にうちのめされたのではなかったか。」(p372) この辺りが非常に興味深い。 ともかく、中上健次の七回忌の年から執筆の準備を始めたという高山文彦。本書は間違いなく彼の代表作のひとつとなるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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