静岡市の建築家 舞
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1月2日」、Borton on the water へ、Londonから列車で訪ねた時の写真です。
2014.03.17
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2012.11.24
ガウディ作カーサバリョットの窓、右側が上げ下げ窓を開けたところ、こんな曲線を木を曲げて作るなんて、しかもそれがピッタリと上げ下げで閉まるなんて!こんな仕事、日本でだれが引き受けてくれるだろうか?以前曲線階段を設計し、模型を作り、できることを説明したが静岡で誰も引き受けてくれず、結局広島の木工所が製作してくれた。この窓は それよりはるかに難しい。
2007.12.24
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フィンランド航空利用 名古屋12:00発 ヘルシンキ経由 バルセロナ20:20着 バレンシア、マドリッド、名古屋の日程。航空券71,800円、空港税 燃油費 空港使用料を合計し、105,100円。今回は女性2名同伴のため、ホテルを1ランクあげる。マドリッドのエイジェントが私がインターネットで捜したホテルやアパートメントより、良いホテルで その上安く捜してくれた。感謝。このエイジェントがマドリッドで神様に思える援助をしてくれることになるとは!
2007.12.23
ホテルでバッグを預かってもらい、エルフルト散策。ホテルでもらったトラム・バスのフリー乗車券で、ホテル前からトラム(LRT)でアウグスディーナー修道院まで、北へ上り、町並みを散策しながらクレーマー橋、大聖堂、アンガー広場と南へ降りて、ここで再びトラムでホテルへ。もちろん往復歩ける距離だが、体力と時間の温存を考え、またLRT(ライトレールトランジット、低床式トラム。日本政府も積極的に導入しようと地方に指示)に乗車するのも楽しみのひとつなので、このコースが良い。2時間もあれば途中休憩してもまわれる。アウグスディーナー修道院から、クレーマー橋(橋の上に店舗が立ち並ぶ)、ドーム広場までは路地の建物が美しく、あちこち、周り道をしてしまう。クレーマー橋のお店では木細工など美しく、欲しいと思いながら、まだ旅の始まりと、じっと我慢。ドーム広場ではクリスマス市場が開かれ、目を引かれる。単時間で回れるきれいな町。時間があればクレーマー橋を裏側(北側)から川を入れてスケッチをしたい。その方が、エルフルトをゆったりとぜいたくに楽しめる。 ホテルでバッグを受け取り、ドレスデンへ。ICEで70分。ドレスデン駅前に球形ガラスドーム(レストラン)が目につく駅前ビル(ブティックが大半)を抜け、5分ほどでIbis Hotel Basteiに着き、3時半チェックイン。68ユーロ(10,200円、ツインベッド、食事抜き)。円安ユーロ高はきびしい。トラムで新市街地アルベルト広場まで行く。小雨が降り始め、4時半ごろなのに真っ暗。ここから南へ旧市街地とホテルを目指して歩くが暗くて、どこにいるのかさっぱりわからない。三王教会前でおおよその見当がついたが、確かめるため教会前の小さなカフェに入り、隣にいたフランス人老夫婦旅行者に、間違いなく三王教会にいることを教えてもらう。この年で英語がペラペラ、教養がある。コーヒーもケーキもおいしくて安い。エルベ川を渡り、旧市街へ。又、ここはどこ?若い中国人カップルに”ついて来い”で、わかるところへ。すぐ近くにいながら反対方向へ行ってしまうところだった。ホテル近くのイタリアンレストランで高くてまずいピザとパスタ、石釜焼きとあったが、こんな最悪なのは初めて。今後はポテトとソーセージにと決める。
2006.11.23
ルフトハンザエアーラインで11:00中部国際空港発12時間かけて15:20フFrannkufurt着ICE(鉄道)で東へ向かい、2時間半かけて、Erfurt(エルフルト)着、Inter City Hotel Erfurtにチェックイン、ホテルはインターネットで、安くて駅近くを捜して予約、駅を出るとすぐ右側にあり、便利。予約時には食事なしでダブルベッド9700円(2名)と高いと思ったが、実際は食事付き、バス・トラムの1日乗車券付き。部屋はこぎれいで食事も良し、満足でした。もう真っ暗だし、疲れていたので、市内見物はせず、おやすみなさい。鉄道は1等車、ジャーマンレイルパス4日間50400円(2名)、チェコフレキシーパス3日間28400円(2名)をHISで購入済み。航空券は旅行会社より、ルフトハンザ直に電子チケットを購入のほうが安かった。航空券69000円+燃料・安全対策・空港使用料・税金22910円。 夜間はドームに歩く人の影が映る
2006.11.22
am12:30成田着
2005.01.08
ハイデルベルグ大学広場からバスで駅へ、ハイデルベルクam9時発、フランクフルト空港駅10時着。12:35発スカンジナビア航空でコペンハーゲン着14:00、発18:30 コペンハーゲンで整備不良で予定時間より3時間近く待たされる。
2005.01.07
ミュンヘンam8時半発ICE、ウルムam10時着 ドナウ川沿いの美しい街。大聖堂の塔をまたもや気力で登り、市内一望。ドナウ川沿いの肉屋の塔から漁師の一角付近は家と水が共存して特に美しい。パンミュージアムを見学し、pm2時発ICEでハイデルベルクpm4時着。ここで妻がハンドバックを電車に置き忘れ、パスポートから航空券までその中に。パニック状態の妻。駅員さんが電車に連絡し、発見。幸い、一等車のBox席に乗っており、他に一等車乗客がいなかったのでバックはそのままだった。終点のフランクフルト駅までバックをとりに行き、ハイデルベルクに帰ってこれたのは8時。カールテオドール橋たもとのHotel Hollander Hofに泊まる。美しい眺望を期待して予約したホテルなのにもう真っ暗で川は黒一色。景色は逃がしたが親切な駅員さんとドイツ人の生真面目さがうれしかった。くも膜下手術後、心配で一緒に旅行するようにして正解だった。私は二度目のハイデルベルクで、どおってことないが、初めての妻は落胆。
2005.01.06
市内観光ペーター教会の塔を気力で登る。市内一望だ。近くの市場でスパニッシュジャイアントオリーブを買う。果肉が厚くうまい。こんなオリーブは初めてだ。結局、日本まで持ち帰ってしまった。(長さ30cmほどの大きなソーセージと共に。違法だが!) さまざまなオリーブが樽に漬けられ、売られている。ニンフェンブルグ宮殿までトラムで行き、一日を終える。今日のホテル嬢は笑顔で応対してくれ、救われた。
2005.01.05
citywallに囲まれたローテンブルクを見学。馬車で一回りした後、散策、ジェフ市原にいたサッカー選手「中山雅史」に出会う。こちらのチームで勉強中、遠征の合間に、ここのお店で働いている。琥珀やら油絵やら彼のお勧めと値引きでお土産を買い込む。美しい街中を歩き、最後はcitywallを歩き、街を上から眺める。ローテンブルクpm3時発、ICEでミュンヘン着pm6時。Hotel Munichの案内図が違っており、駅から2分ほどの道のりを迷うこと1時間。疲れはててついたホテルのフロント嬢が愛想がなく、最悪の第一印象。ベルリンも悪かった、ワイマールでは洗練された美しい笑顔、ローテンブルクではかわいい笑顔、フロントの第一印象がホテルの良し悪しを決めてしまう。もう外出する気力もなくなってしまった。
2005.01.04
ホテルの朝食は別料金、ビュッフェ式で2600円と高い!キャビアはあるし、豪華なのはわかるが、朝から食べられない。ワイマール街中を見学、近代芸術、近代建築の礎となったバウハウス大学、ミュージアムなど見学。shopを含め、インテリジェントな街だ。ただこの日は寒い。外で休憩などしていられない。pm3時半発ICEでローテンブルク着pm7時。又、人一人いない暗い道を徒歩15分ほどで町中へ。ドイツの田舎の人たちは親切だ。すれ違った若い女性、道を探しているのが判ると、追いかけてきて、プリンツホテルまで連れて行ってくれる。ハーフティンバー式の古風な美しいホテル。受付嬢の笑顔も素朴で愛嬌があり、かわいい。日本人客がとても多いそうだ。この町はまさに「おとぎ話」の町だ。小人に会うと妖精ではないかと思うほど、古風で静かで美しく、イルミュネーションが建物を町をロマンチックに飾る。ロマンチック街道を代表する町だ。
2005.01.03
ホテルからバウハウスミュージアム、フィルモアーホールなど大使館街を強行に歩き、ソニープラザ(ポツダム広場)から地下鉄で国会議事堂へ。pm4時ベルリン発ICEでワイマールへ7時着。もう真っ暗、人一人いない暗い道を20分ほど歩き、ゲーテ広場前の5つ星ホテルRussischer Hofへ。ゲーテ広場をはさんで向かい側のパブ風レストランで夕食。リーズナブルでうまい。オフシーズンなので地元の人たちが出入り。バウハウスの大学生、教授風の人たちで上品である。ホテルに着いた時から見る女性たちは皆若く美しい。何故?
2005.01.02
Happy New Yearを夜通し楽しんだ残骸で街はゴミのジュータン。建築ミュージアムを見学。建築家はミュージアムまでも休みなし!立派な模型を展示。磯崎新の東京都庁コンペ作品も展示されている。建築家にはたまらなく楽しいミュージアムだよ。pm5時、ベルリンへICE(特急電車)で4時間弱で到着。Eden am Zooに宿泊。ドイツ語のみのおばあさん。インターネット予約ではクレジットカード使用可だが実際は不可。テレビは映らない。浴槽は室内でカーテンで仕切るだけ。おまけにお湯はすぐに水に、古い建物で面白いが設備と愛嬌は最悪かな!朝食は良い。Hotelというより民宿。
2005.01.01
成田12:40発、コペンハーゲン着16:15(lay over)、17:45発、フランクフルト19:15着。12月31日夜なのでコペンハーゲンでもフランクフルトでも両替所はclose、フランクフルト空港のATMでユーロを引き出す。銀行カードを持っていなければ身動きできないところだった。地下鉄で中央駅(Hauptbanhof)へ、インターネット予約しておいたSavoy Hotelへ、小雨ふる夜、駅前のホテルで助かった。安ホテルだが部屋・朝食共良い。
2004.12.31
広島駅前広場は上手くデザインされている。バス停留所と路面電車停留所が隣接し、乗り換えがスムーズに行える。JR駅とバス・電車停留所間は植樹・オブジェ、ベンチ・水場が配置され、休憩場所、ちょっとした憩いの場になっている。LRT(低床式路面電車)はドイツのカールスルーエとマンハイムで見たタイプに似ている。
2004.10.23
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M夫人が加わり、バスで2時間半、再びダコタホテルに。新婚カップルと嫁姉S穣と待ち合わせ、合流。ピア39のフォレスト ガンプで食事。建物と人の波をウオッチングするだけ、食事はまあーまあー。彼女たちショッピングに、私は別れ、Modern Art Museumへ。(過去2度来て、入れなかった因縁の、水曜は休館) ピカソ、ダリ、マチス・・・近代巨匠の作品が柵もガラスもなく、目を作品につけるように見ることができる。しかも無料。もちろん警備員がいたるところにいるが何と大胆な試みだろうか!おもしろい!興奮してひとつひとつ、気がつくと私と妻だけ。「上まで見たの?ごめんね!もう閉館なの。又、明日来てね!」まだ1フロアーしか見ていない。Topのガラスのアトリゥームを見たかったのに!横のグッズショップもおもしろい。ここで数点買う。
2003.07.12
ピーナッツ(主人公スヌーピー)の作家Charles M SchultsのMuseum見学。まわりにはアイススケート場、スヌーピーGallery Shop、ショッピングモールがある。スヌーピーグッズを買い込む。ショッピングモールではシャツを買う。日本ではBigコーナーで割高で品数もないのに、ここではMサイズで豊富、格安にGet。 婿の両親の家で結婚式、住宅地の丘の頂上へタクシーで、緑に囲まれた立派な家だ。日本の曲が流れる1階居間で時間待ち、2階居間で婿姉の美しい歌声で開始。出張牧師により進行、儀式無事終了後ガーデンパーティ。家に余裕のある家庭ではホーム結婚式がよくおこなわれるそうだ。多くの人と握手したが、おぼえている名はホテルに送ってくれたクリス君だけ。彼もまた以前岐阜に住んでいて国際結婚。
2003.07.11
ピ-ナッツ(主人公スヌーピー)の作者生誕地Santa Rosaへ。シビックセンターそばでバスに乗る。2時間半もかかるのに、わずか6.5ドル。霧でゴールデンブリッジはバスからほんの1~2m先の鉄骨の足元しか見えない。 モントレイ、カーメル、シスコと寒いくらいだったが、ここは熱い。熱風の中、歩くのがいやになる。汗は出ない。朝晩は冷える。Montorey・シスコそしてと北へきているのに熱くなって、言葉もスパニッシュに?トラベロッジに泊まる。向かいのレストランが10%引きで利用できる。とんでもなく量が多い。用心していたので一人分をたのみ、妻はサラダのみにしたが、それでもボックスで持ち帰り、翌日の朝食に!飛び回り、子供客の前でパフォーマンスをしているウエイトレスの元気なサービスが気持ちいい。
2003.07.10
エンバカデロセンターのいつものカフェでシナポンで朝食、ハイアットリージェンシーでトイレ、ここのトイレは最高!Mission Districtへ建物壁画を見に行こうとバスに乗る。Civic Center前のFarmers Marketを見つけ、バスを降り、果物とパイで昼食。ついでにCity Hall見学とトイレに使用。こちらでは一人用で3畳もあるトイレによく会う。広いよ!Missionで壁画を2箇所見学し、Alamo Squareへ、目的は7Gable House。ダウンタウンをみおろす景観はGreat。7Gable Houseは有名にした当時のアーティスティックなペイントはなく、2色程度のペインティング。Fillmoreのバス停まで歩く。バス停まわりはがらの悪い黒人ばかりで、横にいた少女は口をポカーンとあけ、目はうつろ、どこかへ行っている、バーにしがみつき、やっと立っている。Tender Roin,Mission District,Western Additionと、今日は黒人街ツアーか?夜は危ない。
2003.07.09
朝9時からバスセンターでグレイハウンドをまつがこない。隣に座ったおじさんに尋ねる。グレイハウンドスティションで切符を買って乗りなさい。12時半ごろ来ると思ったよ。妻の何本かあるの言葉を信じたのが間違い。グレイハウンドステイションまで尋ね、尋ね1時間ほど歩く。ガソリンスタンドがグレイハウンドステイションを兼ねていた。わかりにくい。無事、サンフランシスコへ。 インターネットで予約していたホテルはユニオンスクエア近くでクイーンベット、バス付き、電子レンジまであって45ドル。部屋も悪くない。2人で泊まり、ユースホステルより安い!
2003.07.08
バスでパシフィックグローブのForest stまで行き、徒歩でパシフィックグローブの海岸線を回る。ダウンタウンはビクトリアンハウスが立ち並び美しい。先端のLight houseは海をバックに絵の世界。海岸線は花が一面に咲き、海には白黒のゴマフアザラシが点在、野生の鹿もでてくる。蝶の生息で有名だが時期的に早く、ちらほら舞う。日焼けで痛い。疲れ果てダウンタウンからバスで帰る。Fishermans worfのピア先端のレストランで食べないように、高いだけ!バスセンター近くの妻お気に入りの店で、ターキーサンド購入。2年前と変わらず、あいかわらずおじさん一人で頑張っている。
2003.07.07
バスでカーメルへバスを降りたそばのカフェレストランで朝食。窓ごしの向かいの建物の景色がすばらしい。イタリア系のようで料理もうまい。厚切りのベーコンなんて薄塩で柔らかくて、私が取り寄せているベーコンと甲乙つけがたい。この町の建物とミニ庭園は美しい。クリントイーストウッドが市長だっただけのことはある。アートの町と言われ、ギャラリーが多く、すべてがアーティスティック。
2003.07.06
フィシャーマンズワーフであざらしの群れと臭いと観光客ウオッチング、キャナリーローでショッピングそして妻が昨年泊まった美しいPlazaホテル見学、アクアリウムでラッコ見学。フィシャーマンズワーフからの散歩道の眺めが美しい。冬ならジャイアントコンブの合間にラッコが見れるがこの季節は皆無。無料バスで帰る。
2003.07.05
4回目のサンフランシスコへSFOからエアーシャトルでモントレイへ本日は金曜日で建国記念日。リゾート地モントレイは大賑わい。多くの観光客、その上ハーレーダビットソンの一団、夜は花火ショー。モントレイの花火ショーが終わると時間差のおかげでニューヨークの花火ショーがライブでテレビ放映。感動!
2003.07.04
9:25成田着
2002.11.27
ブタペストからバスでウィーンへウィーン空港で不信荷物発見で通路へ全員避難で押し込まれ、自動小銃を手にした兵士が動き回るものものしいハプニング。ウィーンから13:50発オーストリア航空にて11時間、成田へ
2002.11.26
ホテルから向かいの公園を横ぎって、漁夫の砦へ丘のぼり。長い階段を風景を楽しみながら?ハー、ハーと息も絶え絶え。屋根付きレンガ壁の古い趣ある廊下をとおり、階段を少し登るともう頂上。マーチャーシ教会内部見学、漁夫の砦の景色を楽しむ。昨日はここで夜景を楽しんだが今日は日のさした風景。モスクワ広場へ歩いて降り、市場へ。1時間の自由時間を得て、私は路地散策。窓デザインなど味わい、近代的にしっかりデザインされた小さな公園を見つける。近代的なミュージアムが建っているが係の女性たちが英語ができず、インフォーメイションカウンターであきらめ、土から細いスチールの足が両側別々の方向から1本で斜めに立ち上がりひねるようにバランスをとりデザインされたベンチで時間を楽しむ。池の周りはエクスパンジョンメタルでデッキになり、パーゴラもデザインされ、盛土した芝生の山をカットし、ガラスで土内部を見せる通路にしたり、おもしろい。 東駅、英雄広場、ヴァーツイ通りから中央市場とメトロを乗り回す。一日券を買い、本日一日は地下鉄(メトロ)・バス・トラムは乗り放題。メトロは早い。東駅から大きく戻りそして東駅方向へ又戻り英雄広場へという感じで、歩く距離の数倍になるが、それでもメトロを使えばあっという間だ。中央広場でフォアグラとパプリカそして又もサフランを買い込む。この前日本で小さなフォアグラ一缶5千円もしたがここでは千円程度。サフランだけでも日本で商売ができるのでは? ガイドさんお勧めのレストラン、マーチャーシュピンツェへ。古い壁画とステンドグラス、アーチ天井にもフレスコ画が残る1904年創業のなかなかのレストラン。お料理のボリュームは昨日のレストラン、マールヴァーニとくらべるとお上品で値段も高い。グラーシュ(シチュー)はマールヴァーニのほうがこくがありパプリカがきいている。量はマールヴァーニの半分以下。こちらの方がお上品なのかな?席はテーブルづつブースになっている。
2002.11.25
ウィーンから240km、バスで4時間でブタペストに着く。聖イシュドバーン大聖堂・漁夫の砦など現地ガイド案内で市内観光。ガイドさん、きれいな日本語で貴婦人の風格。あせることがないのかしらと思うゆったりした話し方で確実に紹介していくマダム。「あちら左側に市庁舎の火事がございます。それで今日は鎖橋を渡れません」と市庁舎のドームから上がる煙まで普通に観光地にしてしまう。マダムのご主人、芸術家で日本にも作品があるそうで、北海道からのお客さんが「函館と旭川の間にある壁画がそうなの!」と驚いていた。来年、日本で個展があるそうで日本にこられるとか。 レストランを訪ねるとマーチャーシュピンツェを紹介してくれる。少々疲れていた私達はへそ曲がりなのか、ホテル近くのレストラン、マールヴァーニメニャソニィへ。ところがこれがガイドブックとは場所が違う。(よくあることだが)。暗い通りに一人立つ労働者身なりのあやしげな中年男性に道を訪ねると全然違うところを教える。信用しない私達は一旦、そちらに向かい、又ガイドブックどおりにもとの位置にもどってくると、彼はまだおり、車から目がねを取り出し、地図上に印をしてくれる。奥さんとお嬢さんが現れ、お嬢さんが英語で説明をしてくれ、家族と待ち合わせをしていたんだとわかり、説明どおり、レストランへ。暗い細道で人通りが全くなく、明かりが1ヶ所だけもれている。看板もない。さっきの男性、車で追いかけてきてくれ、そこだと教えてくれる。見かけと違い、何て親切なハンガリー人だろう。このレストラン、まっすぐくれば何とホテルに近かったことか!明かりの漏れる狭いゲートをくぐると照明で導かれたスパニッシュ的な美しいアプローチ。店内も広く、創業は18世紀末とのことだが落ちついた美しいレストランだ。一流生バンドが入り、「荒城の月」が始まり、リクエストは?と聞かれ、迷っていると「よいまち草」を妻の耳元で演奏。高校時代バイオリンとチェロを弾いていた妻、のって歌いだす。チップを求められ、用意していなかった私は10ユーロ(約1200円)をわたす。よろこんだようで「スキヤキ」のおまけ演奏。グヤーシュ(パブリカのきいた牛肉と野菜のシチュウ)うまい。妻もつくるがさすがにうまい、そしてボリュームたっぷり、1人前を4人で分けてちょうどいい。なまずのフライやテリーヌ、鹿肉料理など一品ずつ注文し、小皿で分ける。ボリュームたっぷりで薄味でうまい、安い値段で申し分ない。ビールもワインも同じ程度の価格。120円ぐらいだったかな?一人千円程度で楽しんでいい夕食だった。どんどん太ってしまう。
2002.11.24
中世そのままのプラハから、ロマネスク・ゴシック・ルネッサンス・バロック・ロココ・ゼツェッションと時代の流れが建築に残る大都市ウィーンに。雰囲気を味わっているうちに、そのまま影の中に埋もれてしまいそうなプラハから一転して、あそこも、あそこもとみるところが多く走り回ってしまう町だ。 郊外のホテルヒルトンからトラムで、出発。建築家ならだれしもおとづれたいクンストハウス・フンデルトバッサーを3人の女性を引き連れ何とか外観だけ見、トラム・地下鉄を駆使してシュテファン大聖堂・オペラ座へ。 ヨーロッパ屈指の名画所有量の美術史博物館で歩き疲れ、美術品そのものの豪華な美しいホールで軽食をとる。ゼツェッション・中央市場・マジョリカハウスと廻り最後はマリアテレジアのシュープルム宮殿のあきれるほどの豪華絢爛さを鑑賞し、美しい庭を歩く。前庭ではクリスマスの市が行われ、飾りつけを買いに人が集まり、クラシック楽団が入り、ちょっとしたお祭り。宮殿ではコンサートからダンスまであるのでぜひ参加してと丁寧に熱心に誘われる。服も持っていないからと辞退。最後に市庁舎前のクリスマス市とライトアップを見に行く。沢山の露天が出、市民で混雑。オペラ座にトラムでもどり、一皿いくらのセルフサービスの食道で地元民のマネをして皿に盛れるだけ盛って900円で夕食。 刻印を打ったときから24時間有効なフリーパスを買い、地下鉄・トラム・バスを駆使し走り回った一日であった。終わってみれば私の見たいところは外観のみだが一応は回れた。一人旅行ならば中まで入り込んで探検しているところだが、回れただけでも女性たちに感謝。
2002.11.23
ウィーン到着。現地ガイド案内で市内観光。あいにくの雨で荷物を持ち歩くのがいやなのでバスで郊外のホテルヒルトンへ。ガイドブックではホリディインになっているホテルなので最近ヒルトンに変わったようだ。チェックインし、夕食に創業は15世紀のウィーン最古のレストラン「グリーンヒューバイスル」へトラムと地下鉄を乗り継いで着く。トラムでは切符が電車内に販売機があり、最初に乗る時、チケット販売機が乗り場で見つからず、郊外で4時半なのに暗く、人通りも少なくうろうろしてしまった。レストランは建て込んだ街中にあり小さいがいかにもそれらしき赴きがあり、テーブルごとのブースに分かれ段差をつくり、くねくねと繋がっているようにし、テーブルまでアプローチの変化を工夫している。ここでも1千円少々でガイドブックで紹介されている名物料理を充分飲み食いできた。4人で別々のものを注文し、小皿で分け、ひととおり味わう。量が多いので3人分のメインと一人分のスープぐらいの方が量的にはピッタリ。チェコよりは高いが料理は洗練されている。
2002.11.22
午前中は、女性なのか男性なのか注目の現地ガイドさんにより市内ツアー。午後自由行動、旧市庁舎仕掛時計の12人の人形が回る12時を待つ。ちょとすいたカフェで昼食。席が空いていたので隣のテーブルにデジタルカメラをうっかり置き、全員メニューに集中。あれ、カメラは?420万画素デジタルカメラ早々紛失。すっかり暗くなったカレル橋でロマンチック?にベロニカを待つ。息を切らし、キュートから美人になったベロニカ登場。「注意するのを忘れた。あのカフェはだめなの。私の日本人友達の半分があそこで盗まれているの。コーヒーだけ飲んでいる人達いたでしょ。あの人達がそうなの。一番安いものたのんで客が入ってくるのを待っているの。すぐ出て行った人いたでしょ。」 「この辺は観光客用なの。ちょっと歩いていい?」と地元のレストランへ。ビーフシチューやカモンベールチーズのフライなど地元料理をベロニカがみつくろって注文。千円もあれば充分飲み食いできる。「彼とは?」「結婚決まったの。来年」「おめでとう」、目をうるませる。「どうしてホテルなんかたのむのよ。次は私の家に泊まって!」お土産まで用意しいてくれた。タクシイも呼んでくれ、値段交渉してくれ、ボッタクリがあたりまえなのにチップを含め、270コルネ約1100円ですむ。添乗員さんでさえ600コルネだったとか! プラハは中世がそのまま残され、この暗い冬景色とあいまって、ますます重厚な景色をつくりだしている。ヨーロッパを凝縮した町といわれ、世界遺産にも指定された町なみ。私の十数年来夢見た町だ。カレル橋で絵を買いたかった。カレル橋でスケッチをしたかった。・・・3人も女性を連れていると私の時間はどうもとれない。ユーロ加盟前なので物価は安い。来年はユーロ加盟で物価があがるかも?日本では高価なサフランを四分の一ぐらいの値段で買う。私のレパートリーのパエリア造りのため。
2002.11.21
オーストリア航空成田発11:35ウィーン着16:10バスにてプラハへナトーサミット開催中でブッシュ大統領滞在で物々しい警戒中のヒルトンホテル前を通り、ホテルデュオ着20時。部屋に着くやいなやタイミングよくベロニカから電話。「明日、16時にカレル橋のプラハ城側たもとで合おう」ますます達者になった早口な日本語と元気な声。半年ぶりの再会が楽しみだ。今回は3度目のパッケージツアー。妻と友人女性2人、計4人。妻と旅行するのは初めて。プラハ・ウィーン・ブタペスト、ホテル込みで9万9千円と格安。格安航空券も検討したがオーウトリア航空で2都市で6万円を見つけたがホテル費、移動費を考えると、このパッケージツアーはより安い。
2002.11.20