昭和60年頃の首都高速 都心環状線一周 (車載カメラ)
東京・品川区西五反田の勤務先と厚木の取引先を大型バンで往復したのが、楽しい経験のひとつ。首都高速2号 目黒線・戸越I.C.~一の橋J.C.~谷町J.C.~首都高速3号 渋谷線~用賀I.C.~連絡道路~東名高速・東京I.C.~海老名S.A.~厚木I.C.免許を取得していなかったので、助手席で安全確認だけしてた。[(概要・本文引用)江戸橋から外回り一周。古いベータのテープから発掘したものです。カメラが撮像管式で感度が悪かったので、トンネル内は映りが良くありません。ちょっと余計な解説・・・[00:02] オジサンには懐かしい合流信号。これをグランプリのスタートに見たてて競う人も居ました。[06:30] 左側にコマツの巨大フォークリフト。手前のドクター中松の看板は旧社名のNACO(ナコー)となっています。[12:16] ハザードを点灯させて走っている軽自動車がいますが、これは低速走行の合図です。この頃はまだ非力な軽や古いトラックなど高速の流れに乗り切れないクルマが居ましたので、しばしば見られた光景です。(現在のようにサンキューの意味でハザードを使うことはありませんでした。)※補足: よくみると電光板に賀正とあるので、昭和61年の正月休みだと思います。※追記: 撮影機材の質問が何度かありましたので記しておきます。 カメラ = ビクターKY-1900 (業務用の借用品です)、その他にベータのテープデッキ、AC100Vの電源装置、大形三脚など、総重量30kgくらいの機材を助手席一杯に設置しています。 Shuto Expressway, C1 route (Loop), Tokyo, Japan. Jan.1986.]