カテゴリ:聖母マリア Mother Mary
https://www.facebook.com/photo/?fbid=2360740707461473&set=gm.3627775634137358&idorvanity=1633408513574090 聖母マリアからのメッセージ 【天変地異の差し迫った中での地上の者たちへ】 ~愛という精神のもとに統合される時代~ 愛の奉仕活動、愛というもの、信仰というものは、自らの人生を投げうってでも、ほかの人びとの幸せのために生き抜くことだということを、イエス・キリストは教えてくださいました。 その教えの中で、我々キリスト教関係の者たちは自らの人生を投げうち、光の柱として、愛の光として、この地上を照らすために献身的なまでに、この地上の愛の教えの中に道をひらくために、人びとはキリスト教霊団として努力してきた、今までの道筋があるのです。 これからは、キリスト者としてとか、仏教者としてとか、イスラム教徒としてとか、ユダヤ教徒としてという、その硬い殻を破らねばなりません。 愛という名のもとに、神の、宇宙の根本摂理が愛のエネルギーであり、神のその愛により生かしていただくわたくしたちが、愛あふれる光の神の子であるということを思うのなら、今一度、神の愛の奔流に統合されるために、人びとは心の垣根を取り払い、大いなる父なる御胸の愛の中に、みんなで飛び込んでいかなくてはなりません。 どの宗派が、どの民族があろうと、人びとは皆、神の子兄弟なのであるということ。 そこをつなぐ唯一のアイデンティティーが「愛」というキーワードにあるのです。 それは、いかなる心の障壁を、壁を、すべてを乗り越え、宗教、民族、文化、そういうものすべてを乗り越え、垣根を取り払い、愛というものの中で、人びとが統合されていく時代。 それを最終ユートピア建設の時代といい、そして、大救世運動最後の、大救世運動と呼ばれている、今の時代の象徴として呼ばれる言葉なのです。 愛の中に、愛という言葉の中に、人びとがすべて統合され、まとめられていく。今まで学んできた知識、知恵というものが一度地球というるつぼの中に投げ込まれ、人びとはそれが過渡期的なものであったのだと、最終的に到達するべき愛の神理はここにあったのだと、そのような高い境地から人びとを指導していた霊天上界があったのだということ。 我々が一人ひとり別々の宗教でメシアと信じていた方がたが、実は天上界ひとつの中におかれる指導霊、大指導霊であったという事実に、人びとがほんとうの意味で認識し学んだときに、この地球規模での統一というものが行われるのです。 それには今までとは違う、次元の違う、愛による精神的なルネッサンス、大ルネッサンス運動という精神改革、革命的な、そのような価値観への離脱というものが行われなくては、人びとが、このように愛という精神のもとに統合される時代というのは来ないのです。 イエス・キリストが二千年前に説かれた愛というものの本質を語られておられました。それを学びながら、それでいながら、いまだかつて、人びとは愛の本質というものを生きることができないがゆえに、このように地上で醜く争っているのです。 人びとは今一度、この愛というものをほんとうの意味で、聖書や経典の中の言葉として学ぶだけのものではなくて、自らの人生を燃焼させ、燃え上がることにより、愛というものがどういうものであるかということを、全身全霊をもって、生きざまをもって表現していくという、そして、それを通して自らも魂に刻みながら、最終的な愛というものがどういう段階であるかということを真に学ぶ。その方がたにとって、今回はひとつの集大成であるということ。 そのことを、もっとご自分たちの魂に、肝に銘じて生きていかれることを、そのことをわたくしは望んでいるのです。このように魂が大飛躍できるような、このような歴史的な瞬間というものは、人類の歴史の中でもそうたびたびあるものではないということなのです。 このように魂が成長できる、このように素晴らしい飛躍の時が、この歴史的な瞬間の中に肉体を持ち、ましてや、このような霊言を次々と聴きながら、生きながらにしてこのような天上界の神の叡智というものを学ぶことができる、この人生というものを神に感謝していただきたいのです。 わたくしたち、天上界の高級指導霊のことを言っているのではありません。宇宙を統べる根源としての愛の化身、宇宙の奔流である愛の神に心から感謝していただきたいのです。そして、感謝するのであるのならば、神がわたくしたち一人ひとりに期待された愛あふれる人生を通して、その感謝行というものを返して参りましょう。 あなた方が、今たいへんな時代を生きようとなさっているのはわかっているのです。でもそれは、地球の方がたが地球人として、今までの古い殻を破り、新しい殻へと、新しい形へと脱皮し成長するために、蝉が硬い殻を抜け出すように、蝶が毛虫の殻を、さなぎの殻を破っていって、美しい蝶々として生まれ変わるように、今そのようにさなぎから、硬い、硬いさなぎの殻を破らねば、蝶として出発もできないし、蝶としての可能性がありながら、そのさなぎの中で息絶えてしまうという、そのような現実になってしまうということなのです。 ですから、今世の大事な人生、今を生きるという意味においては、今世は一度きりの人生であるということ。その一度きりの、今という現実のご自分たち、一人ひとりの環境、お一人おひとりの状況を通して、あなた方は何がおできになりますか? 愛あふれる奉仕というのは、キリスト教のブラザーやシスターたちに任せておけばいいのではなくて、信仰心における愛というのは、すべての人びとの人生の中できらめくべき問題であるということ。 そのことをあなた方は肝に銘じなくてはなりません。けっして一部の宗教者たちだけが愛あふれる奉仕の人生ではなく、あなた方が、お一人おひとりが、自分の中においてできることを探していただきたいのです。 聖母マリア 『ファティマの真実』より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月19日 07時05分04秒
コメント(0) | コメントを書く
[聖母マリア Mother Mary] カテゴリの最新記事
|