![]() https://www.facebook.com/photo?fbid=1055870296791855&set=a.204590215253205 【未来に花咲く法の種】①~神さんと一緒に幸せな世の中をついくろうやないか~ T: いいですか。 アマーリエ: ええ。 T: 今のーー。 アマーリエ: 最初にしていただければ。 T: じゃあ、あのーー。 アマーリエ: で、あの、なってったって、天理教知りませんので。天理市ってどこだろう。あの、関西? T: えー、奈良ですね。奈良にあるんですよ。奈良に天理市ってあるんですよ。町自体がね。 アマーリエ: やわらかーいね。何て言うんだろう。京都弁っぽいような感じの言い方の言葉が、ずーっと昨日から聞こえてて、話してる。 T: ああ、そうなんですか。あのー、やっぱり、十柱の神様ってのが、転輪王尊っていうその母体の中にですね、十柱の神様ってのがおられまして、そのー、教えられたんですね。 で、当時としては神名も今までない神名なんですね。教義も全然聞いたこともないような、『泥海古記』っていいましてね、この地上ができたときからのお話がされてあるんですね。で、そういうことで、新たに道を開かれた方なんです。 ですから、どういうご苦労があったのか、そしてまた、どういう方法で道を立ち上げられたかですね、そういうことをですね、まあ今後のためにですね、お話しいただければありがたいと思っています。 それと現在の心境で、ですね。また、この私たちが行っている、お手伝いさせていただいている第三の計画についてですね、新たな立場でですね、ご指導願えればと思っています。よろしくお願いします。 アマーリエ:あの、この間、お礼を言いたいとか、おっしゃってませんでした? T: はい。これ、個人事でもよろしいんでしょうか。 アマーリエ: ええ、最初に入れちゃって。 T: はい。私の両親がですね、やっぱり天理教の信仰をやりまして、実際、教会までやったんですね。それで、私自身も小さいときに、いろんなことでお助けいただいたっていう経験があるんです。それでまあ、そういう意味において、信仰は続けられなかったんですけど、そのことに対してですね、まあ親たちもちょっとつらい思いをしたかなと思いまして、私が代わりましてですね、まあ、感謝申し上げるとともにお礼申しあげたいと思いまして、今日おいでいただければですね、そのときのごあいさつをさせていただきたいと思いましたので、よろしくお願いいたします。 アマーリエ: さっきからずっといらしてますから。 T: ああ。私も親様自体に、どういう方かお会いしてないもので、わからないんですけど。 中山みき: 今日はこのような場にお呼びいただき、ありがとうございます。なるべく現代の日本語をしゃべるようにと言われてまいりましたが、私がしゃべれる言葉で、精一杯、話させていただこうかと思っております。 わたくしは中山みきと申します。 あなた方のお知りおきの記憶の中では、天理教と呼ばれているところの教祖と呼ばれた者でございます。 あの当時は江戸時代という封建時代の末期という時代の、世の中がまだまだ士農工商と呼ばれる身分制度の中で、人びとの自由意志というものは少しも通らず、その身分、そして男女の差別の中で、人びとは食べるものもままならず、生きる目的も知らされず、ただただその体制の中で、縛られるような閉そく感の中で生きていた時代だったのです。 わたくしはその時代に生まれました。そこで一介の、農家と言っても多少は大きいうちでございましたが、そのような、まあ農家は農家でございます。そこの妻として、母として、嫁ぎ先で一生懸命、普通の平凡な人生を送っていた者なのです。 でも、私の心の中にあるのは、いつも神さんと一緒に、人びとがみんな自分たちの個性を、それぞれの素晴らしさを光り輝かせて、みんなで手と手を取りおおて、みんなで幸せに神さんの喜ばれる世をつくろうやないかという、そのような思いで生きていたのです。 ですから、私の気持ちの中には、結婚して、その中で幸せだけを見いだすというよりは、なぜにこのように農民の世界にも庄屋があり、そして畑を持ってる者たちがおり、そして水呑み百姓と呼ばれる小作のように、一生、人の田畑を耕しながら、一生、生きる望みも張りもなく、食べるだけに追われ、いや、食べるものすらままならぬ、ひもじい思いをして生きていくという、そのような貧しい者たちがたくさんおりました。 わたくしが四十近くなった頃でしたか、たいへんな飢饉がありまして、多くの小作たちが、多くの者たちが次々と飢え死にしていったとです。行って、その中でどうにか助けてやりたいなあと思っても、私の力ではどうにもできなかったのです。 なぜこのような天変地異が起きなぜ一方ではうなるほど食べるものがあるのに、このような者たちは飢え死にしていかねばならないのだろうかと、その姿を見るにつけ、悲しくて、悲しくて、はらはらと涙が落ちたのです。 私は一部の富んだ者たちよりも、彼らとともに生きようと決意を決めました。彼らが何も持たなくても、食べるものにひもじかったとしても、そこに幼子たちがおり、女たちのにぎやかな笑い声がさざめき、男衆たちの元気な働く姿があれば、人はこの世でいくらでも幸せに生きていくことができるのだと、私は思いました。 なら、人びとの心に、私にだけしか聞こえなかった神さんの心をみんなに伝えていこう。そして、物はなくても心がけは神様のほうに、ひとすじに向かって生きる。そのような社会をつくることで、人びとの心の中に幸せな思いをつくり、それこそが、いちばんこの地上を苦楽のない素晴らしい、神様の喜ばれる地上天国とさせていくことができる道ではないかと、私は私なりに考えたのです。 中山みき『オピニオンリーダーの女性霊』より *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 【中山みき(1798年 - 1887年)】 江戸時代後期に奈良県の農村に生まれた。農家の主婦として平凡に暮らしていたが、ある日神がかりとなり、天の将軍と名乗る神に「この屋敷、親子もろとも、神の社(やしろ)にもらい受ける」と宣言される。その後財産を貧しい人びとにすべて分け与え、赤貧洗うがごとき生活に落ちるが、神の言葉を取り次ぎ、誰にでもわかるやさしい言葉で教えを説いた。教えを聞いて病が治る者が続出し、信者が増え、やがてそれが天理教に発展した。 信者からは「親様」としたわれる。神を「親神様」と呼び、神はこの世で人びとが陽気に暮らすさまを見たいと思ってこの世を作られたとして「陽気暮らし」を説いた。 梵天界の霊人といわれている。 *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026年08月08日 07時05分03秒
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