748090 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【ログイン】

重信川の岸辺から

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

昔語り:いつも歌が… New! 天地 はるなさん

Welcome to Ichiro’s… Ichiro_Kishimiさん
沖縄でウエディング… 上等沖縄司会屋さん

Recent Posts

2010/02/10
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 『坂の上の雲』がNHKで放送され、日清・日露戦争が栄光の戦争のように浮かびあがってきている。それらの戦争自体の問題はおくとしても、その裏側で触れられない史実がある。

 日清戦争が行われていた際、朝鮮では農民が抗日戦争を起こし兵站線を攻撃していた。これを弾圧したのが、後備歩兵独立第19大隊であった。主に四国の兵士で構成されたこの部隊は、大本営の指示の下、殲滅戦を繰り広げた。戦いの一端は次のようであった。
 
 明治28年1月28日「宇和島新聞」一等軍曹町田〇四郎から兄町田慎一への私信に「敵は総勢8万人をもって25日午後4日(注、ママ)破竹の勢いをもって攻撃し来れり我隊は弾薬を節減し敵の近接するを待つ敵は先を争い乱進4百米突(注、メートル)に来れり(原注、東西北の三方面)我隊始めて狙撃をなし百発百中実に愉快を覚えたり」ろくな武器も持たずに押し寄せる農民軍が「殲滅」されるようすがよくわかる。(注、人名の〇は判読できないが越とも読める)

 日清戦争で忘れられているのは、旅順での大虐殺である。第二軍が民間人を含む多数の中国人を虐殺したことは、従軍した兵士の日記や兵站に投入された軍夫たちの見聞として記録されている。
 
 日露戦争の際はどうであったか。

 日露戦争の裏側では第一次日韓協約が強制され、韓国保護国化の第一歩が始められた。日露戦争の前、日本政府は京釜鉄道の速成令を出し、京義線は軍用鉄道としてこれも速成し、日露戦争の兵站戦確保のため工事を急いだ。日露戦争には間にあわなかったが、その工事推進のため抵抗する朝鮮の人たちは朝鮮駐刹軍が軍律を敷いて弾圧した。

 日清・日露の「栄光」の陰に朝鮮の人たちのこのような抵抗があり、日本軍によるこのような弾圧が行われていたことは知っておいたほうがいいだろう。

 そして日清・日露そのものについてもそれが侵略戦争であったという事実を、厳しく見つめる必要があるだろう。

 今日は日露戦争宣戦布告の日である。
 
 






Last updated  2010/02/10 02:40:29 PM

Copyright (c) 1997-2017 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.