340329 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

自らをヨシトスル 

自らをヨシトスル 

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

サイド自由欄

フリーページ

楽天カード

2009年07月04日
XML
カテゴリ:地元ねた
 新潟というと、日本酒を思い浮かべる人が大半だろうが、実は、日本のビールの歴史は、新潟県と大きなかかわりがある。


 日本で始めて、本格的な国産ビールの製造に着手した会社が、今のアサヒビール(大阪麦酒会社)

 その、アサヒビールの創設に、大きくかかわったのが、2人の新潟県民。

 生田 秀(いくた ひいで、1857年(安政4年) - 1906年(明治39年))は、日本近代ビールの父と称された大阪麦酒会社(現アサヒビール)の支配人、技術長。息子に鼓筒研究家の生田耕一がおり、自身も小鼓を収集していた[1]。新潟県佐渡市(旧真野町)出身であり、16歳のころ上京し、同じく新潟県出身の司馬凌海による私塾「春風社」へと入塾、同時に東京外語大学へと入学してドイツ語を学ぶ。大学卒業後は大阪麦酒会社に入社、1888年にドイツへと渡り、醸造学を9ヶ月で学位を獲得し日本人として初のブラウマイスターの称号を得た。帰国後はドイツ留学の経験を生かし、吹田村醸造所の建設を手がけアサヒビール初出荷へ向け尽力した。

外山脩造(とやま しゅうぞう、1842年11月10日 - 1916年1月13日)は、新潟県長岡市(旧栃尾市)出身の明治期の実業家、政治家。
 外山氏は、アサヒビールの前進大阪麦酒会社、創立委員の一人。
 電気鉄道をはじめ多くの事業を起こし、関西の経済基盤を作り上げた。


 そんなこんなで、新潟の地ビールは、ビンの中で熟成させるドイツ風の作り方をしている。

 
新潟ビール 呑みくらべ6本セット
本格シュバルツタイプの飲み応え黒猫ノンアル黒ビール!かわいい小ねこ・ノンアルコール黒ビー...


【地ビール】【新潟産】【八海醸造】八海山泉ビール 飲みくらべセット(500ml×3本)


オーガニックの麦芽・ホップを100%使用した有機農産物加工酒類【送料無料】上馬ビール 330ml 6...


個性豊かな地ビールメーカー、新潟麦酒(株)の6本セット VOL.1【マンゴー】【ブルーベリー】【ル...

 新潟には、10箇所くらい地ビールの製造元があるそうだ。

 ここにあるのはそのうちのごく一部。

 それにしても、昔の新潟県民はチャレンジャーが多かったみたい。

 がんばれ新潟!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年07月04日 07時40分40秒
コメント(0) | コメントを書く
[地元ねた] カテゴリの最新記事


カレンダー

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

まだ登録されていません

© Rakuten Group, Inc.