California Journal

2006/04/10(月)13:49

Uちゃんと刑事の出会い

今日二回目の更新となります。 そして、この更新の後は さっき焼き上げた ブラウニー というチョコレートのお菓子を食べながらお茶を飲み、勉強して寝たいと思います。。。 昔話の続きからが、この日記の始まりです。 ******************* 皆さんお待ちかねの、Uちゃんの登場! Uちゃんは、私より2年ぐらい早く、サンタバーバラに来ていました。 彼女はコンピューター関係の勉強を専攻していました。そして、マック(アップル)のプロでした。 私は7年前、中古のマックを14万円で購入し、アメリカに持ってきました。 刑事の提案でした。 刑事も、マックの賢者でした。 コンピューターを持っていれば、かなりのアドバンテージになる。 レポートを書くにしても、情報を集めるにしても、コンピューターは必要不可欠になる。 彼がいうとおり、中古のマックは私の学業に多大な利益をもたらしました。 エッセイやレポートを提出するために、わざわざ学校のコンピューターラボまで行かなければならないなんて、考えられませんでした。 今では ブログ などというものがあり、素人でも簡単にホームページが作れますが、あの当時は誰でもできることではありません。 そんな素敵なデザインなどを チョチョンノチョン とやってしまうUちゃんに、刑事の白羽の矢が突き刺さります。 あ、正確に言えば、私がUちゃんを刑事に紹介したのですが。。。 まずは、時間的流れのおさらいです。。。 1998年9月から11月の間: 「チェーンロック事件」(過去日記ご参照ください) 1999年7月ごろ:Yちゃんの香水プンプン事件」(過去日記ご参照ください) 1999年8月ごろ:Yちゃんが私のアパートから出ていく *このあたりから、私は刑事を無視。 刑事はそれでも、しつこく言い寄ってきます。 私が付き合う相手の男を殺して、ブラジルに逃げたって、誰も自分をつかまえられない。とか、そんなことも言っていました。 暴力を振るわれたのも、この時期です。 そして、刑事がフェイドアウトしつつあった頃でした。 私の生活に少しだけ、平和が訪れ始めたとき、再び刑事から電話がありました。 2000年夏ごろ だったと思います。 私にとって刑事はすでに 過去の人 でした。 刑事が何をしようが、私には何の興味もなく 刑事も私の生活に干渉しなくなっていました。私は新しい自由な人生を満喫していた頃でした。 それでも、新しい恋や出会いを求める気持ちはなく、仕事と勉強と生活に一生懸命の時を過ごしていました。 刑事は私に、コンピューター・デザインに強い人がいないか聞いてきました。 私はUちゃんのことをすぐに思いました。 大学のコンピューター・マネージメントのセクションで、アルバイトを募集しているとのことでした。刑事はそれ関係の勉強をしていたようだし、彼自身もそのセクションでそれなりに責任のある仕事を任されていましたので、信憑性はかなりありました。 まずは、自分のバイク(V-MAX)のホームページデザインを作ってもらい、それでどのくらいの知識と腕があるのかを査定してから、実際のインタビューに進めていきたいと思っている。 そんな話をしていました。 悪い話じゃないじゃない!? 私はUちゃんのことを思いました。 私たちが通っていたカレッジとは違う大学ですが、キャンパス内の、しかもUちゃんが精通する分野のことをしてお金がもらえるのなら、彼女にとっては大きなチャンスです! 心当たりの子がいるからすぐに話をしてみるね。 私は刑事に、そういって電話を切りました。 早速、Uちゃんと会って話をしました。 Uちゃんはとても興味があると言いました。 Uちゃんには刑事の電話番号を、刑事にはUちゃんの電話番号を渡しました。 私のビジネスはここまで。 ここから先は、彼らのビジネス。 私は、「見猿、聞か猿、言わ猿」を実行するつもりでした。 続きは明日です~。 みなさん、ごきげんよう。おやすみなさい。。。 いつもありがとうございます。 刑事のことを、「なんじゃ?!この男!!」と思った方は ↓ ↓ ↓ ↓ をクリックしてください。 人気blogランキングへ

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