2008/04/19(土)04:39
プチ同居 決定
マムの体調がまだ本調子ではないから、プチ別居のことは来週、マムの調子がよくなるまでしないということになっていた。
私は一日も早く話をつけたいけれど、それに同意した。
そしたら夫は、この場に及んで別居をしたことによって夫が案じる要素をまた私に話し始めた。いつまでも往生際の悪い男だ。
もし、このプチ別居がうまくいかなくて(どううまくいかないのかは知らない)、この家にもどることになったとき、今の最高のテナントさんを失うことになる。一年中いないのに家賃を払ってくれるような最高のテナントさんはもういない。と。
その話はもう、お互い納得したはずじゃないのか?
金銭のロスは分かっているけれど、それ以上のベネフィットがあると判断するからうつるんじゃないか。まだ金銭のことを言うのか?私。
ここで住めば、子供ができたときにはもう、私は10人のゲストを受け入れる自信はない。ゲストルームのスペースをゲストに確保したまま、仕事をしながら子供を育てる自信はない。義弟家族にはホテル滞在してもらうことになるよ?
義弟の子供がベイビーを見てくれるじゃないか。
義弟の子供がベイビーシッターしてくれたって、家の大混雑はかわらない。台所がどんなになるか知ってるでしょ?バスルームだって混雑する。あんたはどんだけ大変かわかってないと思うけど、ほんとに大変なんだよ?8人の子供達の食事を義妹が作って、ダディーとマムの食事が要って、自分の子供とプラス、仕事しなきゃならないなんて、考えただけでもぞっとするよ。子供が3歳ぐらいになるまで、私が仕事せずに子育てに集中することををオーケーできる甲斐性があんたにはないんだから、それを私に押し付けることはできないんだよ!
あたしに働けっていうのなら、あたしのストレスが削減できるようにあんたは考えないとほんとに手遅れになってもしらないからね。なんでいまさらそんなことを言うんだよ!いい加減にしないとホントにしらないよ!!
今すぐ、マムに話をしてくれと頼んだわけではないけれど、夫はそのまま二階に行ってマムに話をした。
しばらくして夫が、マムがオーケーって言ったよ。と、ベッドルームに戻ってきた。
私はマムに話をしに二階に行った。
まずはありがとうと言った。アパートに移ることを承諾してくれてありがとう。と。
マムはちょっと悲しそうだった。
「あなたがそうしたいのならかまわない。もう少し距離がいることも私は理解できるし。ダディーは最近調子がいいし、私はこの風邪さえよくなれば全然大丈夫だから。」
と言った。
「アパートに移っても、私は今までどうりに出来ることはするつもりだから。xx(夫)だって朝食はここでダディーの分も作って毎朝食べることもできるし、夕食だってマムが望むんだったら週の半分は作ってもってきてあげる。今はマムもダディーもまだまだ自分達でやれる状態だから、それに甘えさせてほしい。自分のキッチンとスペースを可能なうちにエンジョイしたい。それに、子供が出来てから、今のスペースで義弟家族を10人受け入れるのはどうしても無理。できると思ったけど、多分無理。アパートに移ることで、マム達の経済的なロスになることはないようにするし、私達がもっと近くにいなくちゃならなくなったら、すぐに戻ってくるから。」
マムはやっぱり悲しそうだったけれど、ダメといえないことは分かっていた。
話をした後、夫もなんだか悲しそうだった。
両親を案じる気持ちは分かる。夫にもありがとうと言った。
別居って言ったって、ワイヤレスのインターネットが届く距離なのだ。多分、たいしたことはないのだけれど、毎日彼らが老人二人で食事しなきゃならないのが悲しいのだろうか。でも、そんな生活をしている人たちは五万といるんだよ。相方に死なれて、たった一人で暮らす90を超えるおばあさんだっているんだよ。夫が悲しい気持ち、分からないでもない。でも、私は今のシステムで同居することが出来ないのだから、自分を守るためにもこの選択は間違いじゃないと思っている。
そして多分、距離を置いたほうがマムたちにやさしくしてあげられるように思う。
多分、距離をおくことで私はもっともっと、マムたちのヘルプができるような気がする。一緒に暮らしていると、ヘルプすればするほど彼らはそれに依存し始めて、実際にそうなってきてるのが見え始めたから、私は出来るだけ自立を奪わないようにと、ヘルプをできるだけしないようになっていた。離れて暮らすことはそのリスクを排除できる。同じ屋根の下にいないということは、それだけでマム達の依存心を許さないようにできるのだと思う。
引越しは5月の末ぐらいにできたらと思っている。
今日明日中に、テナントに連絡を入れると夫が言っていた。