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旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

篠田正浩監督の  ≪美しさと哀しみと≫

≪美しさと哀しみと≫

ここ20年間お正月を家で迎えたことは無かった。
最近10年間は別府の某旅館を常宿として、
暮れの31日から正月3日迄を滞在し、どこに出るわけでもなく
本を読んだりぼーっとして過ごした。

その前の10年間は京都祇園の某旅館を常宿として
新年を迎えていた。

そのころはまだ母がどこへでも一緒に行けたので、
列車での移動が出来たからだ。

京都での迎春を思いついたきっかけは
除夜の鐘を京都で聴いて新年を迎えたいという私の意見であった。

母は私と一緒なら行き先とかは全て私任せであった。
除夜の鐘を聴いてから、私はすぐそばの八坂さんへ裏口から
入り、おけら参りをする。
火縄を貰って帰り一旦、宿の人にそれを渡してから、
清水さんへ歩く。

暗い夜道にところどころライトUPされた
塔だの が にょきっと見えぞくっとする。

でもそのときはなぜか一人で散策した。
冷やっとした空気が頬に痛いが気持ちもよかった。

京都でのお正月ーーこれは30年ほど前の憧れであった。

小説≪美しさと哀しみと≫‐川端康成作。
冒頭ーーーー
除夜の鐘を聴く為に京都へ行くという男 大木の描写から始まる
その小説のシーンがなぜか強烈に頭に残っていて
その京都行きに憧れたからだ。

今思えばなんと少女趣味なと思ってしまうが、
京都へ通うようになってその動機は忘れて、
それが当たり前のようになった。

大木は除夜の鐘を聴きに行くのか、
24年前に別れた女性音子に逢うためなのか
分からないまま列車に乗る。

24年前音子は16歳
大木は31歳であった。

音子に子を身ごもらせたが事情はいろいろあって
音子は自殺未遂を図り破局を迎える。

その音子をモデルに書いた小説が図らずも
大木の出世作となった。

京都で日本画家として著名になっている音子に
24年ぶりに逢うのだが、大木はそこで音子の女弟子の
けい子の妖しい魅力に魅かれてしまう。

大木との哀しい恋を知った、音子を敬慕するけい子は
大木への復讐を誓うのであった。

大木を誘惑し、その息子太一郎を誘惑し、
その事実を双方に
分からしめ、一途な太一郎をけい子は命をかけて心中に
追い込む。

というストーリーであるが、この映画で
けい子に扮した加賀まりこが鮮烈な個性を見せた。

川端の文章は、抒情と、時間と、色情のロマネスクを
著わすなかで得意の京都の美しい風雅をたっぷりと
描いた。

その京の雰囲気を音子に紛する八千草薫が演じ、
55歳になった元恋人を山村 聡が、
そして、息子太一郎を当時人気絶頂の山本 圭が
演じた。

原作は昭和30年代に書かれ、遠からずして、
鬼才篠田正浩がメガホンを取った。

小説は川端得意の男女の恋模様を書いているわけだが
三文小説とはっきり違うのは
主人公達の背後に感じさせる知性、教養といったものの
重みの描写であろう。

京の歴史の重みや、川端の伝統文化への憧憬、
そういったものが小説に厚みを加えている。

今でこそ全国、はたまた海外旅行とこぞって出かけるが
やはり昭和30年代にこういうものを読んでも
京旅行など
小説の世界で堪能するのがせいぜいであったはず。

こういう京旅行の味わい方もあるんだと知ったのが
昭和40年代でした。
そして実行したのが昭和50年代。

京旅行の主旨も連れも小説とはかけ離れていましたが
大晦日の夜の京のお散歩は一年間の垢落としと同時に
新年の希望をしみじみ感じる贅沢な時間でした。

晦日の京滞在のきっかけとなった小説の映画化。

加賀さんの少女の顔のなかに宿る魔性の女の魅力と
京美人の大人の魅力の筈の八千草さんが
幾つになっても少女の面影を失わない素敵さ
それを上手く映像に溶け込ませた篠田監督。

川端文学をどこまであらわせたか、また全然違う!と感じるかは
  見た方たちそれぞれのものでしょう!





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