旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

2005/02/01(火)23:17

めぐり逢い ケーリー・グラント

今夜はケーリー・グラントの作品の紹介です。 作品は ”めぐり逢い” ニコラことニッキー  ケーリー・グラント テリー        デボラ・カー 早速、ストーリーから。 あちこちの国で浮名を流したニコラ・フランチェは 今度はニューヨ-クの大富豪令嬢と婚約した。 そのニュースは各国のラジオで報じられた。 つい最近までつき合っていたガブりエラはこのニュースにかんかん!。 その頃、ニコラはニューヨークへ向かう豪華客船の船上にいた。 ここでも彼は有名人で、 レディキラー、ニコラにサインを求めるご婦人や 紳士に囲まれた。 しかし、今まで手練手管で女性を操っていたこのハンサム男は 何日かの船上生活で180度変貌する事になるのである。 落としたシガレットケースを拾った テリーというエレガントな女性と 言葉を交わした。 しかし、彼女も彼がそういった噂のある男性と知ったので 彼のスマートで上手い誘惑には乗ってこなかった。が、 まるで彼をからかって楽しんでいるような接し方であった。 船上の人々は彼が又新しい女性を口説いているのだろうと 興味津々。 二人の行動を常にマークして楽しんでいるのだった。 テリーにも5年間付き合っている恋人はいる。 だが、・めぐり逢いとはこういうものか・・。 運命の赤い糸は・・・? いかなるレディキラーのニコラもテリーの知性ある辛辣な ジョークはニコラを戸惑わせた。 今まで付き合ってきた派手な女性達とはどこか違う エレガントで知的なこの女性に、 興味がそれ以上の恋へと 変りつつあることをニコラは気づいていない。 賢いテリーも、彼が噂のとおりの男なのか? それは仮面で本当は本物の恋を求めているのか 計るような眼差しで見つめている。 船はビル・フランシュという町に寄港した。 下船すると言うニコラにテリーも付いておりた。 聞けば祖母を訪ねると言う。 半信半疑だったテリーは 着いたその屋敷の天国の庭のような佇まいに ため息をついた。 年老いたマリアさまのようなその夫人に ニコラの素顔を見たような気がした。 老婦人の皺のある手で奏でられる美しいメロディーに 歌手のテリーは思わず、ピアノに合わせて口ずさんだ。 おばあ様が身に付けていた素敵なレースの肩掛けを いつか頂くと言う約束にテリーは喜んだ。 去りがたい思いを残して屋敷を後にしたテリーの心は 急速にニコラに傾いていった・・・ ニコラも同じだった。 ”二人の進路は変った”・・と熱いキスをかわす二人は 部屋に戻っても興奮を押さえるのがやっと。 進路は変ったといっても二人のそれぞれのパートナーの 問題があるのであった。 みなの目を欺く為に白々しい態度を取ったが 仲良くしても白々しくしても結果は同じ。 蛍の光が恨めしい。下船すれば現実が待っているのだ。 明日は下船という夜、   半年後、エンパイアー・ステートビルの展望台で   再び会う約束、そして結婚の約束をした。    本物の恋を成就させる為には時間がいる。 そして半年間、色々なトラブルを片付けようと頑張っている二人・ ニコラ=ニッキーは好きな絵で生計を立てようとしていた。 テリーもステージをこなし、婚約も解消していた。 そして半年後、 それぞれエアンパイアーステートビルに向かった。 いくら待っても来ないテリーに ニッキーは夜の帳が下りるまで待ちつづけた。 だが、テリーは来たくても来れなかったのだ。 ビルの下まで来て上を見上げていて交通事故にあってしまった。 車椅子の生活となったテリーは足を治してからでないと ニッキーに会いたくなかった。 そんな姿を見せたくなかったのだ。 テリーに振られたと思ったニッキーは 傷心の中、祖母の屋敷を訪ねた。 今はもう居ない祖母。 ピアノの音色を思い出すニッキー・ 使用人がニッキーに手渡したのはあのレースの肩掛けだった。 ニッキーはそれまでの レディキラーの生活に戻ってしまった。 彼女をへの愛への辛さに苦しみながら。 ステージに立てなくなったテリーは 辛さをこらえて、 子供達に歌を教えていた。 祖母が亡くなってからのニッキーの画風が変ったと 画廊主は言った。 あるクリスマスの夜、 バレーの公演を見に行った劇場で ニッキーは座席に座っていたテリーに 出くわしてしまった。 恨みと未練のニッキー・ テリーは今は友人として助けてもらっている 以前の恋人の手を借りて 車椅子で来ていたが気づくはずのないニッキーだった。 テリーはそんな身体でも ニッキーへの愛は変らず、早く足を治して 歩いて彼の元へ行きたいと思っていた。 今夜のクリスマスは子供達の合唱隊の初舞台。 コーチのテリーは舞台に上がれない。 テリーのベッドを囲んでのリハーサルも終わり、 リヴィングのソファーに横たわるテリー。 その時、男性が彼女を訪ねて来た。ニッキーだった。 祖母の形見の肩掛けを届けに来たのだった。 ソファーに横たわる彼女に皮肉を並べ立てた。 それでもテリーはあの時の言い訳をしなかった。 ソファーから立たない彼女を不審に思いながらも よそよそしい彼女に腹が立つニッキー・ 想いを断ち切ろうとしていたニッキーにとって 劇場での再会は応えたのだ。 ショールを手にしたテリーに 一旦はさよならを言ったニッキーだったが ドアの前でふと言った自分のことば。 ”その姿を絵に画いたよ・ 若い女性がその絵を欲しがっていたが その女性にはその絵を買うお金がないといったので 差し上げたと画商が言った”・・ ニッキーは踵を返して彼女の寝室の扉を開けた。 そこの壁にはそのニッキーの絵がかかっていたのだった。 そしてすべてを一瞬に理解したニッキーだった。 このラブロマンスがなぜ素敵なのかと言いますと。 さんざん女と浮名を流した男と それまで結婚の理想像の中にしかいなかった女性が 初めて本物の恋をして、真剣に純愛を貫こうとする 現在には見ることが出来ないような大人のドラマであるからだ。 そしてそこに人生の厳しさが込められ、 あの頃の温かなアメリカ映画そのものの 世界が描かれているからだ・ 監督、レオ.マッケリーといえば ”聖メリーの鐘”や”我が道を往く”の名作を生んだ人。 この人の映画には必ずと言っていいほど たくさんの子供達が登場する。 そういったエンターテイメント性もたっぷりで 二人をとりまくシチュエーションが何とも素敵である。 そしてあのニッキーのおばあ様がまた素敵。 彼女が二人のキューピットであり、あのレースの 肩掛けが二人の愛を結びつける重要な小道具ですね。 見るものの納得の行く運びのこんな恋愛映画。 適度なもろさと明るさが魅力のスマートなケーリー・グラントは こういった都会的な作品が多いですが 初期の頃にキャサリン・ヘップバーンと多く共演しています。 その中の一作、”赤ちゃん教育”という楽しい作品がありますよ。 彼の笑みは 不潔さを伴わないレディキラーの表情、仕草、 子供のような純粋さ、 必死に女性をこちらへ向けさせようとする 内面の動きを 含んだものなのである。 やはりグラントは その笑みで極意を極めた都会的紳士なのである。 そして聖母のような美しさと清潔なお色気はうっとりものの デボラー.カーとで成り立った作品です。 1957年度作品。

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