【白い月の風】アレルギー10代編

中学生になって、元々運動嫌いだった私は、
友人に誘われるまま「演劇部」に入部。

楽しかった。
中学時代の私は、部活をやる為に中学校へ通っていた。

宝塚で「ベルサイユのバラ」が上演され、
それが
TVで放映されるのを食い入るように見つめ、
1回で全てのセリフを暗記したのも、この頃。

楽しかった中学時代に、アトピーの悪化があった。
13才の時。
初潮を迎え、体が変化する時期に、「日本脳炎」の予防接種を受けた。

この頃は、みんなが接種するのが当たり前で、
受けなければ、他の日に病院で受けねばならないという、そんな時代だった。

予防接種を受けたその晩から、
予防接種を打った腕が妙にかゆくなり、
それが徐々に全身に広がった。

ある医者は、「毛虫にかぶれたんだ」というほどの、
すさまじいジンマシンだった。
これを機に、疲れた時やストレスにさらされた時など、
あらゆる場面でアトピーと対峙せねばならなくなった。

中3の時に、初めて演劇部の舞台で主役を演じた。
友人が書いた脚本、私を主役にするイメージで書いたという。
「自分が主役」という、この快感。

この主役を取った裏には、陰の物語もある。

学生演劇大会が、11月末に行われ、それに参加するためには、
部活動に11月末まで参加せねばならなかった。
普通の部活は9月一杯で3年生は引退する。

それが、2ヶ月も引き伸ばされる、という事に、
母親から猛反発をくらった。

取り交わした約束は、
「家では脚本を広げない。学年で10番以内の成績を取る」

その2点だった。

1番目は問題無い。
一回読めば、セリフなんて全部覚えるのはお手の物。

問題は2番目。
学年200名ほどの学年。
中3の1学期、私はかろうじて50位以内くらいだったろう。

演劇大会が終わって、2学期の期末テストの結果は、
驚くなかれ、学年で2位だった。

ま、学年の順位なぞ、私にとってはあまり意味がなかった。
目指すは、地元の名門私立女子高だったから、
そこに入るためには、どんなに低くても、
偏差値68は無いと、受験すら出来ない。

部活動を引退した後は、寝る間を惜しんで勉強しましたよ。
後にも先にも、あれ程勉強したのは、この時だったろう。。。

勉強する。偏差値は上がる。睡眠時間が減って体力が落ちる。
オマケにストレスも間違いなく貯まる。

成績の向上の反面、アトピーは悪化の一路を辿った。

学校から帰って、塾の無い日は病院へ。塾の或る日は塾へ。

心も体も休まる時がなかったのだろうと、
今、思う。
でも、どうしても志望校に入りたかった。

あまりに悪化するアトピーに、医者は提案した。
「体質改善の注射を打ちましょう。
 半年ほど、毎週、打ちに来て下さい。」

その言葉を信じて、通った。もちろん、半年。
でも、何も変らなかった。
お金と時間を無駄にしただけだった。

家は決して裕福ではなかった。
でも、私の治療にも、塾の費用にも、両親は黙ってお金を出してくれた。

そして入試!

合格!

ここで、私は殆どのエネルギーを使い果たした。。。

合格してからは余裕の毎日だったろうに、
目標が達成されてしまった私は、抜け殻みたいになってしまったのだ。。。

あれ程入りたかった高校に、あっさり合格してしまった私は、
「目標」が見つからなくなってしまって、
楽しいはずの高校生活を全く覚えていない。

高校を出たら、○○銀行に入って、早く親を安心させたい。

それしか覚えていない。
目標とは、次々に作り出してゆかねばならない物なんだと、
今になって、ようやく思えるようになった。

高校時代の私に、言ってやりたい。
「早く、次の目標を探せよ!」って。

そんなあやふやな高校生時代だったから、
アトピーの方も一進一退。
良くも無く、悪くも無くといったところか。

何しろ、本当にあんまり記憶がないんです。


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