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カテゴリ:映画
先週の水曜日に、以前から平和問題などでお付合いさせていただき、何度か教会にも来ていただいた近所の映画会社の会長さんから電話があって、いわゆる飲み会のお誘いを受けました。飲み会といっても、ちょっと話題になった藤沢周平原作の映画「蝉しぐれ」(黒土三男監督)の映画を見て、感想などを語り合う会とのこと(「蝉しぐれ」あらすじはこちら)。慌てて、4日に見に行きました(ちょうど、長野ではこの日がこの映画の最終日だったのですが)。「蝉しぐれ」って、テレビドラマでも話題になっていたんですね。全然、見ていないものだから知らなかったのですが、藤沢周平は、なんとなく気になる作家でしたし、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」や「隠し剣 鬼の爪」などによっても、興味がありました。
全然、テレビドラマを見ておらず、小説を読んでもいないものとしては、まったく先入観なしに見れました。 気骨ある尊敬する父親が、勢力争いに巻き込まれ、切腹せざるをえなくなるときに、主人公の牧文四郎が最後の面会後に言えなかった言葉に後悔する場面、友人の逸平が「人間は後悔するようにできているんだ」というセリフが心に残りましたし、文四郎とふくとの心の通う様子に、それぞれの子ども時代の俳優に堅さがありましたが、それが返ってその雰囲気を表していた感じがしました。 一方で、男と女の関係を描き、他方で、文四郎の剣について描き、最後は宿敵を倒していくという中で、反権力の思想、下層の人々へのまなざしを感じる映画でもありました。父を切腹に追い込み、文四郎をも陥れようとした家老に対して、「死んでいくものの気持ちが分かりますか?」というようなセリフを残す場面は、なかなか感じさせられるものがありました。 しかし、不満も残ります。架空の海坂藩を庄内地方に設定していたはずが、言葉は標準語でした。文四郎の友人与之助役の今田耕司の標準語はかえって笑ってしまうのですが、建物などを風雨にさらして作ったというリアルなセットに比べ、言葉のリアリティが今ひとつでした(これは、わたしが東北出身ということだからかもしれません。藤沢周平の出身も山形鶴岡のはずですが...)。 それから、ふくの少女時代からイメージする大人のふくのイメージは、私にとっては木村佳乃では、ないんですね。それから、文四郎役の市川染五郎も生活感というか下層の雰囲気がないので、その辺がやや不満でした。 テレビ版や小説と比較する方は、映画では、男と女の描き方が綺麗すぎると言われていましたが、わたしはTV版も見ていないぐらいなので、含蓄のある終わり方で良いと思いました。 ただ、これを機に、今まで読んだのは上杉鷹山を描いた「漆の実のみのる国」だけでしたので、もう少し藤沢作品も読んでみたいと感じさせられたことは事実です。 ところで、飲み会は、最高齢80歳まで一歩の方をはじめ、ご高齢の方々が多く、それなりに楽しかったです。俳人で一茶の研究家がいたり、「今はもう、テレビを信用してはいけない」という元テレビ局に勤めていた方や、映画のプロデューサーの方がいたりと面白い出会いでした。私が牧師だというと、元教師の方が「わたしは英語の授業のとき聖書の言葉から教えていましたよ」といって聖書のことなどにも関心を示してくださり、有難かったですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 7, 2005 11:48:31 PM
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