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カテゴリ:本
日本中が大寒波が来ているというのに、松本は、確かに寒いのだが、まあいつもどおりかな、と思えている。妻も「冬だもの。あたりまえじゃない」とのこと。特に、水道が凍ったりもしていない。
さて。教会の図書に 帚木蓬生著『ネガティブ・ケイパビリティ 答えのない事態に耐える力』という本がリクエストされた。聞きなれない言葉であるが、「消極的能力」、「消極的受容力」などと訳されている。 実は、副牧師がリクエストした本だったが、先の日曜日の礼拝説教でこの本のことが紹介された。 その中で、なんとなく分かったような分からないような感じだったので、ざっと読んでみた。 実は、私は帚木蓬生なる作家のことも全くしらなかった。しかし、読んでみて大変興味を持った。 彼自身が、どのようにしてネガティブ・ケイパビリティ―という言葉と出会ったのか、また、その言葉の出どころが、どこにあるのか、ということから語られていた。 もともとは、イギリスの大詩人キーツによるもので、しかも、彼が兄弟に当てた手紙にたった一度しか 使わなかった言葉だった。それが、キーツの死後150年ほどたって、イギリスの精神科医ビオンによって再発見された、ということだった。そして、帚木自身は、精神科医として、患者との間で起こる現象や言葉、その不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度として、この考え方を受け入れ実践している。さらに、本書は、その概念が精神科の治療だけでなく、教育の過程や、政治においても応用され、役に立つことが示されていた。ある種、自分の考えを一つに定めないという宙ぶらりんな態度において、他者の立場を理解し共感できるのだ、というのである。 すぐに答えを出そうとする、すっきりしようとして人間は、性急さゆえに、多くの過ちを犯してきたのではないか、と考える。人を決めつけ、善と悪、敵か味方かにレッテルを貼ってしまう。そして、敵対するものを滅ぼそうとするのだが、それが近代は特に悲惨な戦争に向かってしまった、と解釈する。歴史的には、宗教改革者ルターがカトリックと袂を別ったのは、ネガティブ・ケイパビリティ―が足りなかったのではないか、と手厳しい。一方、『愚神礼賛』でカトリックの堕落を批判した人文主義者のエラスムスは、最後はカトリックにとどまっており、ネガティブ・ケイパビリティ―を要していた、と解釈する。また、その関係を、カルヴァンとラブレーにも見たりしている。また、フランスの思想家モンテニューが、ネイティブ・アメリカンに共感した例も出されていた。 また、本書では、マグリット・ユルスナールの短編『源氏の君の最後の恋』にも触れていたし、彼自身の児童文学ともいえる『ソルハ』という作品も紹介していた。これらにも、大変興味を持ったし、深いところで私たちの魂を動かすものがあると感じさせられた。 現代人に欠けるのが、共感する力であり、二元論的に考える方向が、近年特に進んでいるかのように思える。そして、誰もが中途半端な状態を嫌がるのだが、それに耐えてこそ、他者と共感していく道も見えてくるのではないか、と思わされた。 しかし、寛容であろう、共感しよう、という立場の人が、不寛容である人に対して、なかなか寛容になれなかったり、共感できなかったりするのだが、その矛盾はどう考えたらよいものだろうか、と思わせられている。 ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力【電子書籍】[ 帚木蓬生 ]ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 東方綺譚/マルグリット・ユルスナール/多田智満子【2500円以上送料無料】 ソルハ [ 帚木蓬生 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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