新聞休刊日
折々のことば
一分遅れました、夕焼け少し駄目になりました。なんぼ気の毒 小泉八雲
日本国籍を取得し、小泉精を名のった作家ラフカディオ・ハーンは、大好きな夕焼けがみえると急いで家族を呼び、おちゃめにこう告げたという。妻や子供が、筍が頭をもたげた、黄色い蝶を、蟻の山を見つけたと、さも「大事件のように」騒いでいると、八雲も満面に笑み。一人の小さな喜びが波紋のように広がる。いいな、こんな家族。妻・節子が綴った「思い出の記」から。
筒美京平さん死去 「また逢う日まで」「サザエさん」など作曲
新聞の一面ではあるが、そう大きく扱われてはいないし、その「筒美京平」という名前も写真にもに聞き覚え見覚えががなかったので、「・・・」という感じで最初は接していた。
ところが社会面の記事を読み進めていくととんでもない作曲家だったことが理解できるようになった。
手掛けた主なヒット曲のどれを見ても当時本当によく歌われた曲だし、歌手の多彩さに改めて驚く。それにしてもこれだけの仕事をこなした方がなぜ? 記事を読み進めていくとその理由が分かった。
「メディアには掘トンんど露出せず、職業作曲家を貫いた」と書かれていた。晩年はパーキンソン病に苦しんだが、ここ数年の若手ミュージシャンに楽曲を提供するなど、最後まで活動を続けていた。
作曲したシングル曲の総売り上げは7560万枚で、日本の歴代の作曲家で1位に位置する実績を誇る。
今日のサロン「つばめの家」の出席者は男性は自分を含めて2名と女性5名の計7名。つくった食事は10食分だったと覚えている。
食事はオムレツがメインの4品もあり、けっこう量も多く完食するのもなかなか大変。今日初めていものつるを食べさせてもらった。
参加者の大塚さんが半日かかって準備した逸品。「腕過ぎてしまった」と反省していたが柔らかくてなかなかのものだった。戦時中はどこでもこれを料理して食べていたものだったそうだ。
食事後午後からはいろんな相談事があったようだが自分はすぐに抜け出して、如水コミセンに出かけた。
同じ五段格の人が観戦中で部屋に入るなりすぐに対局を開始した。なんとなく組みやすい相手のような気がして落ち着いて対局できる。
1局目はらくちん碁だったが2局目は接戦から接戦を重ねかろうじて半目勝ち、2連勝を収めることができた、
次の相手も同格の五段。この方もどちらかというと与しやすいと考えていた。序盤自分の考え通り打てて、リードを奪った。そのまま安心して余裕をもって打ち進めたが、終盤目算すると全然足りない。
時すでに遅く13目差の大差。途中まで全く気付かなかった。緩むとはこういうことかと改めて反省させられた。
3局だけだったがとても疲れた。それだけ真剣に打つことはできたが、最後に負けると精神的にとてもこたえる。
夕方帰宅してから田んぼに出て、藁束をつくった。腰をかがめてする作業でとても疲れる。
力を込めて頑張っている様子が伝わってきます。