傍聴した新聞記者たちが驚いた話です。
対馬放火殺人事件の裁判員裁判の法廷では、多くの創作話が検察によって主張されました。
創作話と言うのは、確かな証拠による裏付けのある話ではなくて、検察官が想像で作出した話であるということです。
その最たるものは、殺されたFさんが、受刑者が経営する鉄工所の敷地内で半殺しにされたという主張でしたが、そのような証拠はなく、公判廷終盤になると、検察はその主張を取り下げました。
新聞記者と冤罪論者は、裁判所の訴因変更命令に検察が応じたものだと言っています。
また検察は、Fさんが妻の携帯に送ったメールは、受刑者がFさんになりすまして
送ったものであって、そのメールを送信した時点ではすでにFさんは半殺しにされていて意識はなかったと主張しました。
ところが、裁判所は判決理由でこの検察主張を認めていないのである。
さらには検察は、Fさんはユッケを着たまま殺されていたから、受刑者の鉄工所で作業を手伝っている際、受刑者と口論になり、被害に遭ったものだと主張しました。
Fさんがユッケを着る場面は、①イカ釣り漁をしている時、②生け簀の魚に餌をやる時、③受刑者の鉄工所で作業を手伝う時の3つの場面しかない。殺害された当時は、イカ釣り漁は休業しており、生け簀の魚にも餌をやっていなかったから、消去法で鉄工所で作業を手伝っている場面しかない。だから、Fさんは、受刑者の経営する鉄工所で被害に遭ったと、検察は主張したのである。
この主張について、検察は、弁護側と冤罪論者からだけでなく、有罪論者からもダメ出しを受けた。
なぜなら、ユッケというのは、漁師にとって、いわばユニフォームのようなものである。漁に出る時、生け簀の仕事をする時以外でも、着用する機会はいろいろと考えられるからだそうだ。
実は、殺されたFさんは受刑者の鉄工所にエンジン換装工事に出していた漁船以外にも漁船を持っていたそうだ。その船は自宅前に係留していたそうだ。
例えば、係留中の船を手入れしたり、係留のロープに絡まった海藻などの異物を取り除いたりするためにユッケを着た状態で作業した可能性が考えられると言う。
家事の汚れ作業をする時もユッケを着用していたかも知れないとも言う。
検察は、受刑者が経営する鉄工所でFさんが暴行を受けたことを裁判所に認めてもらおうと躍起になった。
それで無理に話を作ろうとしたと新聞記者と冤罪論者は言う。
もし、それが認められないと、Fさん殺害だけでなく、娘のS子さんの殺害と家屋への放火も、一連の犯行すべてが、受刑者によるものでないと評価されても仕方がないと検察内部では判断していたからだ、と有罪論者ですら言っている。
つまり、検察は、弁護側が言う所の「でっち上げられた可能性のあるような胡散臭い間接証拠ばかり」では、有罪判決に持って行くのは無理だと、実は、自分達自身も考えていたということだ、と言うのである。
既述したことだが、警察と検察は、捜査と公判廷対策で、被害者遺族をとことん利用して、その遺族全員の心を踏みにじった。
新聞記者と冤罪論者は、警察と検察は、被害者遺族にも法廷で主張したような作り話を聞かせたのだろうと言っている。
仮に有罪説に立ったとしても、被害者遺族からすると、家族を2人も惨殺されて、家屋が全焼して、思い出のアルバムなども全部燃えてしまって、無期懲役の判決では、警察と検察は何をやってるんだ、ということになると新聞記者と冤罪論者は憤慨する。
検察官の法廷での作り話が災いして、裁判官と裁判員の心に無罪の可能性がよぎり、死刑判決が出なかったと、被害者遺族が思ったとしても仕方がないそうである。
そして、受刑者が真実は無罪であるのであれば、どうして真犯人を野放しにしているのかと、これはこれで警察と検察に対する怒りは抑えきれないだろうと、新聞記者と冤罪論者は被害者遺族の心中を思いやるのである。
受刑者が犯人であろうがあるまいが、どっちにしても、被害者遺族は救済されないでのある。
被害者遺族は判決直後は、裁判官と裁判員を恨み、冷静に考えるようになってからは警察と検察を恨んだであろうと、新聞記者と冤罪論者は想像するのである。