|
全て
| カテゴリ未分類
| 長崎地裁と長崎県警が「嫌がらせ行為」ないし「迷惑行為」を完全解決してくれません。
| 裁判員経験者が退任後、受け続ける受難を地裁と県警が助けません。
| 長崎地裁と長崎県警が約束を守ってくれません。
カテゴリ:カテゴリ未分類
前回分「僕のプロフィル的な話(18) 確信犯を炙り出した合格報告。」の続きです。
僕が受けた被害は、本当は、担任から金銭を賠償してもらえば「チャラ」になるというようなものではありませんでした。 後々の人生にまで響く、重大な損害でした。 僕は、塾の先生から、第1志望から第3志望の大阪と福岡の高校を全部受験すれば、必ず、何れかに合格する。全滅するということはないと太鼓判を押されていました。 だから、暴力事件で怪我をしなければ、青雲高校に行くことはありませんでした。 もし、大阪の某国立大付属や府立の某高校、福岡の久留米附設高校に行っていれば、どうなっていただろう。 これまでの人生で、毎年、そのことを考えなかった年はありません。 世の中には、僕のような体験をした中学生に、「理不尽なことに苦しめられて、良い勉強になったな。大人になって、人の痛みが分かる、思いやりのある人間になれるぞ」などとトンチンカンな慰め言葉を送る人が一定数いるわけです。 僕は、暴力行為のために、あわや、片目を失明する所だったのです。 しかも、体調を崩して、薬を飲んで寝込んでいる所を襲われた。 殺されるかもしれないという恐怖と、連中への激しい怒りしか、僕にはありません。 暴力事件から、何十年、時間が経とうが、「良い勉強したな」なんて感じたことは1度もありません。 そもそも、僕は、このような被害体験が無くても、法や倫理を遵守して謙虚に振る舞い、その上、自分と異なる他人の価値観を尊重することができる人間でした。 暴力事件後、連中とその親達が全く謝罪しなかったことにも、納得できませんでした。 新任教師の年収と同額の賠償金を貰うことを条件に、担任と校長に「表には出さない」と約束したものの、連中とその親達からは謝罪があって然るべきかと思っていました。 連中の1人は、2,3学期(後期)の男子のクラス委員長でした。 この2,3学期(後期)のクラス委員長はおとなしい性格だったので、事件の時、僕を暴行せず、暴言を吐いたわけでもありませんでした。このクラス委員長は、生徒会長が僕を罵り、Mが僕に暴力を振る際、黙って近くにいただけです。 しかし、この「黙って近くにいた」行為を、担任と校長は「見張り」の行為だと認定しました。 既述の通り、僕は青雲高校に合格した後も卒業まで登校拒否を続けましたが、その期間、このクラス委員長は何度も僕の家に来て、「卒業文集に載せる文章を書いてくれ」と言い続けました。 僕は断りました。 彼から謝罪がなかったからです。 僕は、彼の立場が分からないわけではありませんでした。 クラス委員長だから、僕の家に来たくもないのに来ているわけです。 これは、担任による罰ゲームの可能性がありました。 控えめでおとなしい性格だから、僕へのバッシングの扇動者だった1、2学期(前期)のクラス委員長Kや、言葉巧みに僕を責める生徒会長、それに乱暴なMの行動を止めることが出来なかった。内心では「こんなこといけない」と思いつつも、不本意ながら、暴力行為の現場に居合わせることになったのかも知れない。 でもね。2,3学期(後期)のクラス委員長。ダメなものはダメだと、はっきりと意思表示をしないと一味だと思われてしまうのだよ。 その上、謝罪の言葉が無いとなると、悪意のある確信犯だと思われても仕方がないわけなんだよ。 君が僕の立場なら、このように考えることはないと断言できるかね? また、このようの考える僕に落ち度があると、君は言えるかね? 担任が、新任教師の年収と同額の賠償金を払うと言った対象に、暴行現場で君が何もせず、ただ居ただけのことも含まると、担任自身が言っていたことを、君はどう思うかね? 僕の怒りは、登校拒否をしたり、卒業式をボイコットする程度では収まりませんでした。 それで、この2,3学期(後期)のクラス委員長に言ったのです。 「僕は、この命ある限り、お前ら、中3時のクラスメート達とは関わらない。だから、先々、同窓会には絶対行かない。案内状は出すなよ」と。 同じことは担任にも伝えました。 僕は、数十年経った今でも、こう言い切った自分は間違っていなかったと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.02.08 13:57:43
コメント(0) | コメントを書く |
|