この世にてまた逢ふまじきかなしさに勧めし人ぞ心乱れし 西行
同行に侍ける上人終りよく思さまなりと聞きて申送りける寂然乱れずと終り聞くこそうれしけれさても別れは慰まねども返しGeminiさんによる解説こちらは西行の修行仲間が亡くなった際に友人の寂然から送られたお悔やみの歌とそれに対する西行の返歌です仏教者としての理想と人間としての悲しみの対比が鮮やかに描かれています歌の解説【作者】 贈歌:寂然法師(じゃくねんほうし・俗名:藤原為業。西行の親友) 返歌:西行法師【出典】 『山家集』哀傷歌【現代語訳】詞書(西行法師の)修行仲間であった上人がその最期(臨終)において心が乱れることなく願い通りの立派な往生を遂げたと聞いて(寂然が西行へ)申し送った歌寂然の歌あの上人様が臨終に際して心を乱すことなく往生されたと聞き本当に嬉しく尊く思いますそうは言ってもやはり二度と会えないお別れの寂しさまでは慰めようもありませんが返し(西行の歌)(おっしゃる通り、故人は立派に往生しました)しかしこの世でもう二度と逢うことができないという悲しさのあまり臨終の念仏を勧めて看取った私(勧めし人)の方こそがかえって心を乱してしまいました詳しい解説この贈答歌のテーマは仏教徒にとっての最大の課題である「臨終正念」と残された者の「悲しみ」です1.寂然の歌:仏教的な喜びと人間的な悲しみ「乱れずと終り聞くこそうれしけれ」仏教の修行者にとって死に際に迷いや執着によって心が乱れず安らかに浄土へ旅立つこと(臨終正念)は人生の最終目標であり最も尊いことです友人がそれを成し遂げたと聞き寂然はまず僧侶として「うれしい」と称賛します「さても別れは慰まねども」しかし同時にどれほど立派な死であっても友を失う「別れの寂しさ」は消えないと正直な人間的感情も吐露しています2.西行の返し:看取る者の動揺西行の返歌は寂然の言葉を受けてさらに深い悲しみを伝えます「勧めし人」死にゆく人の枕元でお経を読んだり念仏を勧めたりして安らかな往生を助ける役割をした人(善知識)のことここでは看取った西行自身を指します「心乱れし」ここに鮮烈な対比があります死にゆく者心乱れず浄土へ旅立った見送る者(西行)悲しみのあまり心乱れてしまった本来僧侶であれば死を「無常」として冷静に受け止めるべきですしかし西行は「この世にてまた逢ふまじき(もう二度と会えない)」という決定的な別れの悲しみの前では修行者としての平静さを保てず心をかき乱されてしまったと告白します【まとめ】この贈答歌は立派に往生した故人とそれを喜びつつも悲しみに暮れる残された人々を描いています特に西行の返歌は「死者は乱れなかったが、生者である私こそが乱れてしまった」という逆説的な表現を用いることで故人への深い愛情と別れの悲しみの激しさを人間味あふれる言葉で伝えていますChatGPTさんによる解説これは――■ 寂然がまず詠んだ歌「(あなたが)取り乱すことなく臨終を迎えられたと聞きそのことは本当にうれしく思いますしかし——別れそのものはやはり慰めようがありません」つまり立派な最期を遂げたと聞きよろこびと悲しさが同時に胸にあるという心■ 返歌(西行)この世で二度と会えないという悲しみのためにあなた(=上人)を励まし教え導いてくださったその人こそ心乱れずにはいられずに亡くなったのでしょう◆ 構図の整理寂然の歌は 「乱れずに終えられた」ことをよろこびつつ別れの悲しみを詠む西行の返しは その“乱れず”という情報に疑問の余韻を投げかけている◆ 西行の返歌の核心「乱れなかった」と人は言うけれど——本当にそうだろうか?なぜならこの世で最愛の人たちに再び会えないそれでも教導の道を貫かねばならないその使命を果たして死んでいくその背後には深い悲しみ・未練・断ち難い情があったはずではないかだから西行は励まし導いたあなたへの思いが深いがゆえにその人こそ実は心を乱したのではないかと逆説的に詠んでいる◆ “乱れ”の反転寂然: 乱れず逝けたと聞き嬉しい西行: 乱れないはずがない 乱れるほどの情があったはずどちらも故人への敬意・深い愛があるただ視座が違う寂然は「死の瞬間の姿」を見ている西行は「死の瞬間までに至る心の深層」を見ている◆ 結果として両者には矛盾がないむしろ西行の返歌は“取り乱した”ところなど見せなかったがその沈黙の奥こそ深い心の乱れだったのだという見えない真実を代弁する歌になっている◆ この二首の味わい死者を讃えるのでもなく死別の悲嘆に沈むのでもなくどちらも別れは避けられないが人の愛は終わらないという地点に立っている境地は静かだが感情は深いこの重さと静けさが宗教者であり詩人である西行と寂然ならではの世界です西行全歌集 (岩波文庫 黄23-2) [ 西行 ]価格:1,507円(税込、送料無料) (2025/11/26時点)楽天で購入