2007/07/20(金)02:46
アートは誰のモノ?
楽天友達の眠そうなラクダさんが
原美術館で開催されていた「ヘンリー・ダーガー展」を観に行って
アウトサイダー・アートに触れ
いろいろ考えちゃったようで
いろいろ悩みながら
いろいろ面白いことを書いてます(笑)
そこら辺をnagoo的にも
とりあえず、ヘンリー・ダーガーのネタは以前こちらで
http://plaza.rakuten.co.jp/nagoo/diary/200401050000/
それからアートとデザインの違い云々はこちらで
http://plaza.rakuten.co.jp/nagoo/diary/200405300000/
http://plaza.rakuten.co.jp/nagoo/diary/200406010000/
ってなことをふまえて(爆)
もう一度ラクダさん
なかなか重要なこと書いてらっしゃるんですよ
芸術家たろう、アーティストであろうとすること自体が
もう芸術でもアートでもないのではないか?
「私」が揺さぶられる物を「私」は芸術とかアートとか呼ぶ
ラクダ 語録
なるほど
ファインアートの話ですね
ハイカルチャーとポップカルチャーの問題でもある
「アートは誰のモノ?」
1.自分(作者)だけのモノ
2.一部の理解者のためのモノ
3.なるべくたくさんの人のモノ
4.誰のモノでもない
とりあえず 1は放っておきましょう
隠されてちゃ 誰にもわかんないし~
勝手にやっててください(笑)
2は、ここ2世紀ぐらいの間で多いタイプ(笑)
こういうアートは他を排除して
どんどん仲間で固まって
オリジナルの言語を使い始めて
いつしか作品より言い訳(コンセプト)が前に出る(笑)
大きくなると自然崩壊(爆)
せっかく新しい表現手法を見つけ出したのに
それをやらないと支持してくれないから
どんどん表現が縛られていく・・・
(コレがラクダさんの言っていた意味)
3は、いわゆるポップアート
生活にアートを!とか、誰でもアーティストになれる!
なんて動きも一緒(笑)
デザインとの区別はたぶん無理
というか、これを現在はデザインと呼んでいるのでは?
大量に消費されるため
ニセモノ(パクリ)も必要になる
消耗品になりやすく鮮度が必要(笑)
4は、一般的にゴミと呼ぶ(爆)
たとえ良い感情でも悪い感情でも
なんらかの気持ちを動かせないモノは
アートとは呼べない
Aさんに履きやすい靴とBさんに履きやすい靴
両方の中間に作った靴は2人とも履きにくい
オレはアーティストだぁ!
↓
どうだ!オレの作るモノはすげぇだろ~!
↓
いや、べつに・・・
↓
終~了!(笑)
クリエーターは常に精進、精進(爆)
ところで・・・
パプリックアートは待ち合わせ場所以外に
使い道はないのかなぁ?(笑)
nagoo 本館
http://www1.odn.ne.jp/nagoo/index.html