旧車で最後のドライブ(掛川城・さわやかのハンバーグ・法多山尊永寺厄除け団子)
22年乗った愛車デリカ。 どんなところへも届けてくれた頼もしい車ですが、エアコン冷媒漏れの致命的な問題や、旧車に加算される税金などもあり、小柄な普通車に乗り換えるため手放すことになりました。 下取りに出す日も迫り、大食いの燃料タンクには普通車なら満タンにできるほどのガソリンがある。2月4日。最後のドライブに静岡県の掛川を訪れました、大きな目的は「さわやかのハンバーグ」を食べ、「掛川城」と「法多山尊永寺」の「厄除け団子」を食べる、である。高速を使用し名古屋・掛川往復は約300km、残量からみると渋滞さえなければ確実に戻ってこれる距離。ハンドルを握りながら、豪雪の山道走行や家族や愛犬との旅行やキャンプ、そのすべてがこの車とともにあり、数々の思い出が蘇ります。11:30掛川城に到着。築城は文明年間(1469〜1487)の室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じ築城させたのがはじまりです。戦国時代、山内一豊が城主として10年間在城し城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。城主となった一豊の城郭修築は、後の高知城築城の際に掛川城を模して作られたとも伝えられています。嘉永7年、安政の大地震で損壊、その後掛川城は廃城令によって廃城処分とされ、一部を残して撤去されました。現在の城は平成6年(1994)に日本初の「本格木造天守閣」として復元されたもの。天主丸から重要文化財二の丸御殿の眺め。掛川城内には四季桜、しだれ桜、ソメイヨシノなどが植えられ、春に場内をピンクに染める。掛川城公園から見上げる天守。掛川のシンボル的な存在です。現在の御殿は文久元年(1861)に再建されたもので、現存する城郭御殿は二条城など全国4ヵ所しか残っていない。内部は有料公開されています。平日ながら大陸の言語が飛び交っていた。掛川城・二の丸御殿所在地 / 静岡県掛川市掛川1138番地の33ここから徒歩で逆川を渡り、5分ほど先の大手門に向かいます。三光稲荷大明神。大手門裏側の逆川左岸沿いに鎮座し、後方の建物は大手町屋台小屋になります。三光稲荷御境内由来。“三光稲荷は、名馬の誉れの出世で有名な山内一豊公が掛川城主として文禄年間に城と城下町の大改築を行われた。丁度この時期に豊臣秀吉の命で伏見桃山城の築城に加わった縁で大手郭と大手厩の鎮守として伏見稲荷を勧請された。三光稲荷の由来は、南北朝(吉野朝)時代のはじめの延元元年、後醍醐天皇が京都の花園院から吉野へ御幸をされる十二月二一日の深夜暗闇から難渋され、途中伏見にさしかかり稲荷大社の御前で、「ぬばたまのくらき闇路に迷うなりわれにかさなんみつのともし火(三の光)」と詠まれ、道中の安全と神助を祈願すると、不思議に明るい一群の雲が現れ、御幸の道を照らして無事に大和へ導かれたという故事がある。伏見大社の本殿の脇には御製の碑が、吉野山金峯山には 「導稲荷」があり、東京新宿三光町の花園神社(三光稲荷)は吉野より勧請されたといわれ、こうした御利益から大手厩の構内にお祀りされました。”大手門から天守の眺め。もともと現在地より50メートルほど南に建てられていたが、嘉永の地震で倒壊し、安政5年に再建されましたが廃城に伴い民間に払い下げられ、後に火災で焼失した。現在の門は平成7年(1995)に復元されたもので、間口7間、奥行3間の楼門造りの櫓門。三光稲荷大明神・掛川城 大手門所在地 / 静岡県掛川市城下27次は南西に500㍍ほど先の東海道沿いに店を構える桂花園に向かいます。丁葛製造本舗 桂花園。創業120年の葛湯の老舗でかみさんの目的地のひとつ。店内では葛湯が提供され、寒い日には体をほんのり温めてくれます。飲むイメージのある葛湯、こちらではバラエティーに富んだ食べる葛湯も販売しており、これが実に優しい味でした。桂花園所在地 / 静岡県掛川市仁藤町10-1さて次は掛川城公園駐車場に戻り、車でお昼ご飯を食べに行きます。昨年ふもとっぱらキャンプ場に行った帰り道、静岡で寄る予定でいた「さわやかのげんこつハンバーグ」を食べに行きます。駐車場からさわやか 掛川本店までは県道415号線を西に向かって10分ほどでした。あの時はかみさんが楽しみにしていたが、帰りの時間が日没間際と重なるため、太陽を追いかけて走るのを避けるため寄らなかった。今回のドライブのメインテーマと言ってもいいだろう。静岡では有名店で待ち時間が当たり前のお店。アツアツで提供され、中はレアな状態で、これにデミグラスソースかオニオンソースを店員さんが目の前でかけてくれますが、自分でかけると云えば素の味を楽しむことができます。写真は素のまま、私は最後まで塩・コショーで頂きましたが、肉肉しくてしっかりしたものでした。冷めてくると店員さんが過熱に訪れるので、最後まで冷める事はなかった。ナイフを入れると肉汁タップリでレアな状態、肉の鮮度に自身があるのだろう。待ちの列ができるのも頷ける。個人的に某ハンバーグレストランよりは美味しいかもしれない。さわやか 掛川本店所在地 / 静岡県掛川市大池3001−1お腹も満たされ、最後の訪問地法多山尊永寺までは南に20分ほどのドライブ。県道251号線沿いの駐車場に車を入れ、そこから5分ほど歩くと仁王門が現れます。重要文化財仁王門の山号額「法多山」寛永17年(1640)再建の棟札が残る、入母屋杮葺きの楼門。個性的な仁王像。胴と足の長さに違和感が感じるのは、仁王門再建に伴い他の寺院から寄贈されたともいわれ、それによりこの間に収めるために像高が詰められているともされる。法多山尊永寺境内マップ。広大な境内を持つ尊永寺、左下の仁王門から、上の本堂までは杉並木の参道を15分ほどかかります。最後の石段を登り境内に立つと、右の手水舎には花手水が迎えてくれます。正面が本堂で右手に諸尊堂・北谷寺、左に太子堂などの伽藍が広がります。法多山 略縁起。(境内マップより)“法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。神亀2年(725)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、徳川等武将の信仰を得て、特に慶長7年(1602)、徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えました。明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。”写真は本堂の寺号額と厄除の額、その下には金色の葵と桐紋が輝いています。参拝のあと、下山道から境内を後にする。写真は途中の二葉神社。以下は由緒より。“二葉神社祭神 二葉明神元来は浜松市にあった二葉遊郭内に遊郭の守護神として鎮座していたものである。瀟酒な社は大正年間の建立で、娼妓、芸妓、カフェーの女給といった往時の浜松の夜を華やかに彩った女性たちが一銭、二銭と、浄財を出し合い、郭内安全と自身の商売繁盛や恋愛成就などを願い造営されたともの。戦後の遊郭解体に伴い法多山に遷座した現在でも、女性の願いを結ぶ 「女性の守り神」として、働く女性を中心に信仰を集めている。”色とりどりの布は「結縁乃帯」と呼ばれ、芸妓さん達の間で、愛しい人の名や願いをこの布に認め境内に結んで願掛けをするのが流行っていたそうです。水宮神社付近の花手水。水宮神社全景。氷を貯蔵する氷室が神格化したもので、氷の神様氷室明神を祀ります。“洞窟そのものが社殿であり神様である。往古は熱病平癒の御利益で信仰されていたと「遠江風土記伝」に記されている。現在は暑気払いや流行病の予防・平癒祈願の他、現代社会の心の熱を鎮静させる冷却の神様として崇敬されている。”手前から弁財天堂と蛸薬師堂。蛸薬師堂の左には不動明王像、世知辛い荒んだ世情や物価上昇の根本要因を真紅の火炎光背で焼き尽くしてくれないだろうか。上は法多山名物の厄除団子でたんご茶屋で頂くと@250円、昨年価格改定がありこの価格になっています。これも今回の目的のひとつ、値上げの嵐はここにも吹き寄せています、世知辛い世の中になったものです。濃いお茶と頂く厄除団子は、人工甘味料や着色料に慣れきった現代人には素朴な味わいで、世知辛い現実から解放してくれる、やさしい甘さの味わいです。法多山名物くし団子のはじまりは古く江戸時代から伝わるそうです。以下は茶店脇の「法多山名物くし団子由来」より。“法多山は、その山号にして、寺号を尊永寺と称し、本尊には俗に厄除観音として親しまれている正観世音菩薩と奉安する。法多山はその昔、神亀2年(725)聖武天皇の勅により行基上人が開山した高野山真言宗別格本山であり、勅願定額寺の列に偶せられ、朝廷、武将の篤信を授け信仰、文化の殿堂として栄えた。特に法多山では、毎年正月、江戸幕府の武運長久、天下泰平、五設成就の祈祷を奉修し、祈祷ご符と当地名産品を献上する習わしてあった。十三代将軍家定(1854)の頃、門前に住す寺士八左ェ門の発案による観世音名物団子が登城の土産に添えられたを始めとする。将軍家より「ぐし団子」と御命名賜り以来、一般参拝客の賞味するところとなり、俗に厄除団子と呼ばれ親しまれ今日に至る。”この由来の傍らには、発案者の八左ェ門翁之碑が立てられていました。法多山尊永寺宗派 / 高野山真言宗開山 / 神亀2年(725)開基 / 行基(伝)本尊 / 正観世音菩薩所在地 / 静岡県袋井市豊沢2777さて今回の予定はここまで、あとはのんびり高速で帰る事にします。王子神社。有料駐車場脇に社頭を見かけ、かみさんが帰途のルートを打ち込んでいる間に立ち寄ってみた。三方を杜に囲まれ佇む社殿。拝殿脇の社記によれば。祭神は伊弉邪岐命、須佐之男命を祀り、創立年代などは不詳ですが延享2年(1745)、文政5年(1822)の棟札が残るようです。例祭は10月14・15日のようです。所在地 / 静岡県袋井市豊沢2679袋井インターに向かう道すがら、地元スーパーに寄り、地の食材と酒を買い求めてきました。掛川市横須賀で文政年間(1818~1830)創業の遠州山中酒造株式会社の「山中」名古屋にも流通しているかもしれませんが、初めての銘柄なので買ってみました。香りが強く、個性のある味わいで所謂The日本酒の印象。かみさんには合わないお酒だった。帰りは東名で帰りましたが、この日は寒波が押し寄せ、途中で吹雪いてきました。それまで追い越し車線を吹っ飛ばしていた車は、ブレーキを踏み始め、車間を詰めた走行車線の車列に加わりはじめました、集団心理なんだろう。路面が積雪している訳ではないので、追い越し車線に入り、長い車列を法定速度で追い越しながらクルージングでき、ブレーキを踏むことなく名古屋インターまで戻ってこれました。そのため旧式のデリカにしては想定以上に燃費も良く、市内ならあと一回は買い物に出かけるだけの余力を残して家に到着することができました。総走行距離約300㌔、消費燃料・・・メーターがいい加減なので不明。燃料の不安を常に感じる車でしたが、どんな道でも安心して走ってくれたが、これも最後です。訪問日 / 2024/02/04ドライブルート