房総半島一之宮巡り
一之宮巡りも近場の一之宮はほぼ巡り終え、残るのは一泊以上必要とする遠方のみ。燃料費の高騰もあり、しばらく控えていたが、長年乗り続けた燃費の悪い車から、小回りの利くHVに乗り換えたことで、移動コストを大幅に削減できるようになった。新しい車の燃費や車中泊の快適性を確かめながら、納車後初めての遠出として、5月28・29日の二日間で房総半島の一之宮を巡ることにした。訪れたのは、安房國一之宮の 安房神社 と 洲崎大明神、上総國一之宮の 玉前神社 の三社。房総半島を巡るこの旅の総走行距離は1,000kmを超え、久々の長距離移動となった。車中泊なのでシュラフ×2、インフレーターマット×1、クーラーボックス×1、遮光シェードと二日分の着替、ポータブル電源は持っていかなかった。これらを荷室のボードの下に収納、見た目に車中泊するような車には見えない。5:30に名古屋ICから高速に乗り、ひたすら東へ向かう。早朝の高速で東へ向かうと、朝陽が眩しくて視界がなくなる場面があり、あまり好きではないが、この時期はさほど眩しさは感じなかった。8:05 上り静岡SA到着。ここのベーカリーでパンを買い朝食・休憩。車は、小排気量ながら法定速度内であれば全く不足を感じる事はなく、自動追尾やクルーズコントロールもあり、運転のストレスは随分軽減された。しかし自動任せだとアクセルのON・OFFが急激でエンジンの回転数が上がり過ぎ、小排気量なのでその都度安っぽいエンジン音が耳につきます。これは長時間連続走行すると燃費にも影響が出てくる。人が操るような滑らかな加減速とは程遠い印象を受け、自動追尾は途中からキャンセルにした。この先、蛯名パーキングで休憩、メロンパン2種と小田原の吉匠の鯵のから揚げを買い求め再び走り出す。しばらくして工事による車線規制、事故渋滞などに巻き込まれる。覚悟はしていたが1.5時間ほどタイムロス。個人的な意見ですが、高速で横暴な運転が起因する事故については、重たいペナルティーを与えなければ抑止力にはならないと思う。12:00海ほたる到着。写真は東京湾アクアトンネル方向の眺め。前回、船上から眺めた際は風雨が強く、風の塔も霞んでいたが、今日はくっきりと浮かび上がっています。ここから海上を横切る大きなクルーズ船を眺めてみたいものだ。昼の時間ですが、ここではASARIYA CAFEの「あさりまん」をシェア。味の評価は、特別印象に残るものでもなかった、550円なり。海ほたるとあさりまんはコースの経由地に含まれており、かみさんの目的のひとつはクリア。12:30、海ほたるを後にしてアクアブリッジを木更津JCT方向に向かい、東関東自動車道を南下し冨浦ICへ。13:40、「房総の駅とみうら」到着。こちらで昼ご飯、渋滞の影響から随分と遅れてしまった。目的としていた丼は既に完売。写真はとみうら丼、1,980円なり。房総の駅とみうら・冨浦亭所在地 / 千葉県南房総市富浦町深名 房総の駅とみうら内房総の駅とみうらから、最初の目的地「安房国一之宮 安房神社」までは、国道127号線、410号線を経て南下し、鎮座地の館山市大神宮まで約30分ほど。15:15、安房國一之宮 安房神社到着。参道左右と社頭に駐車場があり何れも無料。安房神社境内マップ。参道から社殿のある吾谷(あづち)山の眺め。社頭の鳥居からニノ鳥居まで長い参道が続きます。上の宮。祭神は天太玉命、天比理刀咩命忌部五部神(櫛明玉命、天日鷲命、彦狭知命、手置帆負命、天目一箇命)安房神社の創始は、今から2670年以上前に遡り、神武天皇が即位した皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられている。神武天皇の命令を受けた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求め、最初は阿波国(現徳島県)に上陸し、麻や穀を植え開拓を進められました。その後、天富命は更に肥沃な土地を求め、阿波国に住む忌部氏の一部を連れ海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸し、ここにも麻や穀を植えられました。この時、天富命は上陸地である布良浜の「男神山・女神山」という二つの山に、自身の先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祭りしたのがはじまりとされます。下の宮。養老元年(717)、吾谷(あづち)山の麓の現在地に安房神社が遷座され、天富命と天忍日命をお祭りする「下の宮」の社殿も造営されます。それが現在の安房神社となります。上陸の地で安房神社のはじまりの地とされる「男神山・女神山」、G先生によれば国道410号線を5分程南下した海岸沿いというのですが、観光化されていないのかよく分からず、次の一之宮を目指しました。安房國一之宮 安房神社所在地 / 千葉県館山市大神宮589安房神社社頭から海岸沿いに県道257号線を15分程北上した館山市洲崎に鎮座するもうひとつの安房國一之宮。駐車場は「一宮洲崎大明神」の社号標から先の鳥居(二ノ鳥居)左側にあります。太平洋を見下ろす御手洗山の中腹から、東京湾の入口を見守るように鎮座する神社の姿が印象に残る神社です。安房國一之宮洲崎神社境内マップ。房総半島の西海岸に位置し、境内左側の富士見鳥居から下れば、江戸時代まで洲崎神社の社僧を務めた養老寺(観音寺)に至ります。また、社頭を横切る県道を渡り、海岸に向かうと一ノ鳥居があります。二ノ鳥居から先の境内。随身門の先に「厄祓坂」と呼ばれる148段の石段が社殿へと続く。社叢は千葉県の天然記念物に指定された神域で、緑豊かな照葉樹林に囲まれている。特にヒメユズリハの白っぽい樹皮が印象的で、海風の影響を受けてか、くねくねと曲がった白い幹は、日本海側で見られるような光景をみせています。安房國一之宮洲崎神社社殿全景。御手洗山の中腹に築かれた境内の右側には石宮、長宮、左側に稲荷社の境内社があり、稲荷社から左に進むと富士遥拝所、そこから下ると養老寺(観音寺)へ通じています。洲崎神社主神 天比理乃咩命、相殿神 天太玉命、天富命。由緒神武天皇の御代、安房忌部一族の祖天富命が勅命により四国の忌部族を率いて房総半島を開拓し、忌部の総祖神天太玉命の皇后天比理刀咩命を祀ったのが洲崎神社です。平安時代の延喜式神名帳に式内大社后神天比理刀咩命神社とあり、元の名を洲ノ神と称されていました。鎌倉時代の治承四年(1180) 石橋山の合戦に敗れ房総の地に逃れてきた源頼朝は、洲崎神社に参籠し源氏の再興を祈願したとされます。寿永元年(1182)には奉幣使を派遣し妻政子の安産を祈願して、広大な神田を寄進。以降、関東武家の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進、徳川幕府も朱印状で安堵しています。室町時代には、江戸城を築いた太田道灌が、鎮守として当社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前身と伝えられます。東京湾をはさみ、湾の西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊を奉斎する神社が数社あります。また、成田市鎮座熊野神社境内には、明和二年(1765)建立の 「六十六社石碑」があり、四方に一宮の社名が彫られ、安房國一宮として当社の社名が彫られていて、広く信仰されていたことがうかがわれます。江戸時代後期の文化九年(1797)、房総の沿岸警備を巡視した奥州白河藩主老中松平定信が当社に参詣し「安房國一宮洲崎大明神」の扁額を奉納したという。神徳は安産、航海安全、豊漁、五穀豊穣、厄除、再起・再興の神として崇敬されています。富士見鳥居。本殿左の稲荷神社から左側に下りる細い道を下った海岸を見下ろす高台にある。雲がなければ鳥居の先に霊峰富士が望める遥拝所。厄祓坂から海岸に向け参道が続いています。一ノ鳥居。ここも富士の撮影スポットで、夕方になると夕陽を背にした富士が鳥居の先に現れます。海岸の一ノ鳥居から御手洗山の眺め、山の中腹の白い鳥居が富士見鳥居です。鳥居の手前には、その昔役行者飛来し、海上安全のため祀ったとされる「阿呍の石」が安置されています。また、龍宮より奉納されたとも伝わる不思議な石です。陽は傾いてきたとはいえ、ドラマが始まるのはまだまだ先のようです。安房國一之宮洲崎神社所在地 / 千葉県館山市洲崎169716:45。周辺に車中泊スポットでもあれば、ここでゆっくりとしたいところですが、車中泊予定の千葉県長生郡睦沢町森の「道の駅むつざわ つどいの郷」までの所要時間が一時間半、道草もするのでそろそろ洲崎神社をあとにした。17:05、館山市下真倉236-3の木村ピーナッツ到着。洲崎神社から県道257号線を海岸沿いに東進、約20分程の国道418号線沿いにある落花生の製造販売店。かみさんの目的地のひとつで、ここのピーナッツソフトとピーナッツパフェを食べたかったらしい。18:00閉店のため外の片付けをしていた同年輩の方から「わざわざ名古屋からかね」と尋ねられた。一ノ宮巡りで訪れた事を伝えると「遠くからご苦労さん」とねぎらいの言葉を掛けられた。確かに房総は遠い。さて写真は木村ピーナッツのピーナッツパフェ。生クリームにチョコソースと香ばしいピーナッツが乗ったもので、見た目ほど甘々ではなく、カリッとしたピーナッツの食感もあり美味しかった。昼が遅かったこともあり、ソフトクリームまで到達できなかったが、パフェで十分満足したようです。木村ピーナッツ所在地 / 千葉県館山市下真倉236-318:55、道の駅むつざわ つどいの郷に到着。道の駅は既にフードコートは営業を終えていたので、向かいのスーパーに買い出しへ。完全に食事のタイミングが狂ってしまい、ほとんど酒のつまみばかり買い求め車に戻る。車中泊用に車内を準備し、道の駅併設の「むつざわ温泉」で汗を流す。こちらの温泉は20:30まで入場可能。ヨードチンキのような色をした「かん水」と呼ばれるよう素を含んだお湯で、太古の化石海水を温めた天然温泉。筋肉痛や関節の疲れ、冷え性、切り傷、疲労回復などの効能が期待できる。よう素の濃度が高い海水なので、風呂上がりにはかけ湯をしないと肌がつっぱった感じになり、唇を舐めるといつまでも塩味が残る。翌朝かみさんに「塩味しない?」と聞いたところ、かけ湯をしろと書いてあったという。晩御飯、というよりほぼ晩酌。吉匠の鯵のから揚げにイカの丸焼き、漬物と巻き寿司に地元の酒。いい感じで自作ラゲッジボードがテーブルに使えた、TVは受信できますが、アンテナを一工夫しないといけないようだ。このまま横になれば寝落ちしそうだ。スーパーで買い求めた酒、右が勝浦の地酒で、1830年創業の吉野酒造の純米酒 腰古井。左が印旛郡酒々井町で元禄年間に創業した飯沼本家の生貯蔵酒 甲子。腰古井はthe酒の風味で、甲子は飲み心地の良い女性好みの味でかみさんはこちらを押していた。どちらも美味しいお酒でした。道の駅むつざわ つどいの郷所在地 / 千葉県長生郡睦沢町森2-1翌朝の6:15。はじめての車中泊。以前より数値では確実に狭い室内ですが、お互いに寝返りも出来、室内高が高いので着替えも狭苦しくなく全く問題なく寝ることができました。課題としては枕かなぁ。早朝から目覚めたこともあり、道の駅から車で5分程の睦沢町に鎮座する八幡神社に参拝し時間調整。九十九里浜の西側の山間にあたるこの辺りは、住宅もまばらで、長楽寺川の両側に一面水田が広がるひと昔前の光景が残る地域で、氏子や水田を見守るように八幡神社は鎮座します。杉が聳える杜の入口には、石の明神鳥居を構え、参道が山の中腹の社殿に続いています。苔生した境内に石畳が続き、その上の社殿まで石段が続きます。社殿は拝殿と鞘殿のみで至ってシンプルなものですが、静まり返った境内は、緑が鮮やかでなかなかいい雰囲気を持っています。こういった雰囲気の神社、個人的に好きな神社のひとつです。この神社の詳細は今の時点で良く分かりません、なんとなく古墳の趣も漂ってきます。八幡神社所在地 / 千葉県長生郡睦沢町佐貫23326:30、今回最後の一之宮は、ここから東へ15分程の上総國一之宮玉前神社を目指します。玉前神社の授与所が9:00に開くので、食事は少し遠回りして茂原市のジョイフル茂原店で済ませました。9:00、上総國一之宮玉前神社に到着。一旦参拝者駐車場に駐車し、参道口の和菓子屋を訪れたが、目的のお店は定休日。和菓子司かね吉でキウイ大福を買い求める。フルーツ大福は数々あれどキウイ大福ははじめて。ふわふわの餅と白餡の中に、半身のキウイがそのまま入っていて、白餡の上品な甘味にキウイの酸味が交わってさっぱりとした味わいの美味しい大福でした。和菓子司かね吉所在地 /千葉県長生郡一宮町一宮上総國一之宮玉前神社社頭。房総半島九十九里浜の南端に位置し、一宮町の名称の由来となった古社です。参道にはこの一ノ鳥居とその先のニノ鳥居、拝殿正面の朱の三ノ鳥居を構えています。社頭前の境内マップ。社地東側に駐車場がありますが、案内看板を見逃すと狭い道路を再び一周する必要があります。玉前神社社殿全景。祭神は玉依姫命をお祀りし、縁結び・子授け・出産・養育・安産・縁結びの御神徳が得られという。境内には社殿右側に神楽殿があり、拝殿右に招魂殿、左側に十二神社、はだしの道があり、ニノ鳥居付近に玉前稲荷、三峯神社の境内社があります。黒漆塗りの社殿は銅板葺きの権現造りで、貞享4年(1687)に造営され、唐破風向拝の正面の彫刻は左甚五郎の作とも言われようです。玉前神社の創建時期は兵火にかかり焼失したことから定かではないようですが、延喜式神名帳にも上総国埴生郡「玉前神社 名神大」と記されており、1200年以上の歴史を誇るとされます。現在の社殿は江戸初期の貞享4年(1687)の棟札が残るそうです。当神社は房総半島東端の神社で、玉前神社から西に向かい、寒川神社・富士山・竹生島・元伊勢内宮皇大神社・出雲大社と一直線に配置された光の道上に鎮座し、春分と秋分の日の太陽はこのライン上を通過していきます。偶然なのか、意図したものなのか定かにはなりませんが、不思議なものを感じます。はだしの道。作法に則り素足で三周するもので、敷かれた玉石は丸いもの、角のあるものなど混じり合い、足つぼマッサージ以上の刺激があり、寝ぼけた体は一気に目覚める。上総國一之宮玉前神社所在地 / 千葉県長生郡一宮町一宮3048以上で今回の一之宮巡りはコンプリート。最後の目的地はここから一時間ほど南下した勝浦市の勝浦タンタン麺の店「江ざわ」で終わりを迎えます。元祖勝浦タンタン麺のお店らしく、せっかく来たから寄って見たかったという。10時前には「江ざわ」に到着、整理券をもらい開店の11:30まで、勝浦の朝市を見に行った。10:10勝浦の墨名市営駐車場に到着。駐車場から左方向の朝市に向かう、一部店舗を除きほぼ終了していました。魚が安かったが持って帰る訳にもいかず、塩辛だけ買い求める。ならば、正面の小高い岡に鎮座する遠見岬神社に参拝しようかとも思いましたが、ひな祭りの時期でもなく、そこまでの時間もなく、「江ざわ」に戻る事にした。11:20「江ざわ」到着。整理券を持った客の車が続々と駐車場に入ってきて、開店前の店の前に並び始める。開店まで並ぶ事を思えば開店時間に戻ってきては拘束されないので有難いかも。11:30店内へ。これが勝浦タンタン麺。醤油ベースのスープにラー油と唐辛子で炒めた玉ねぎと豚挽き肉が乗り、白髪ネギが添えられたもので練りごまベースの担々麺とは全く別物。どちらかといえば台湾アメリカンに玉ねぎが入った感じのもので、ラー油の辛さと玉ねぎの甘みが不思議な辛さのラーメンだった。今回の予定はここまで、後は地元スーパーで地の物と酒を買い求め、名古屋に向かい高速に乗る。今回頂いた御朱印。千葉のスーパーで買い求めた梅一輪。まだ開封していないので味が楽しみです。DAY1走行ルートDay2走行ルート新しい車の燃費は全行程エアコン使用し、出発前に400km走行した状態から、20liter補給し満タンで出発、千葉で高速に乗る前に20liter補給し合計40liter補給しました。自宅に戻りトリップメーターを見ると走行距離は1,401km。千葉往復の走行距離は1,001kmで、単純計算ではリッター25kmになりますが、出発前の平均燃費が25.3kmでしたが、帰宅した時は25.9kmと平均燃費が上がっているのでリッター26kmは走っているようです。もう少し期待したが、自動追尾のロスが影響しているのかもしれない。