替地 天神社
丹羽郡大口町替地2「天神社」。江戸時代に新田として開拓されたこの辺り、これらは寛永10年(1633)に作られた入鹿池や入鹿用水、その後の木津用水の恩恵を受け、荒れ地から作物の生産に適した状況になり、次々と開拓されて行きました。一帯の新田の名の頭には「入鹿」の名がつけられ、神社が鎮座する替地もその一つで、当時は入鹿長桜・替地新田として呼ばれていた。現在の替地の地名は、それまでの幾つかの郷を平成になって、替地1から3丁目に整理したもので、大字秋田字東郷前・字東八丁の一部・字天王・字鳥見塚が整理されたのが鎮座地の替地2丁目になります。替地 天神社社頭全景。車道沿いに南北に長い社地を持ち、社頭左に「村社 天神社」の社号標があり、右手の石柱門の先に鳥居を構えています。替地 天神社について「大口町史、愛知県神社名鑑」では以下のように纏めています。『由緒「愛知県神社名鑑」に社伝として、この社の東隣にある替地釈迦堂の開基定隠尼が、京都の北野天神の分霊をうけ天保14年(1843)この地に祀り氏神とした。なお、境内にある春日灯籠には「文政8年(1825)8月」と刻まれている。境内社 金刀比羅社・津島社・御鍬社・稲荷社・国府宮・金刀比羅宮旧社格 村社』今回も過去の地図で鎮座地を見てみます。鎮座地の大口町替地にあり、明治・大正時代の地図でも入鹿長桜替地新田集落のほゞ中心に鳥居の印が見られます。「替地」という地名の由来として以下のような話が伝わるという。『江戸時代に紀伊国 田辺城主 安藤直次(紀伊藩付家老)の子で浪人となった安藤彦十郎直高が、慶安2年(1649)、愛知郡古渡村(現在の名古屋市中村区古渡)に来て棚村小十郎と出会った。直高は、子の安藤伊兵衛と棚村小十郎をともない長桜村に移り、村の土豪であった鈴木重任に許しを得て、長桜村の南辺を開発した。さらに南方の土地(現在の替地集落)を開墾して集落ができた。同地は犬山城主 成瀬氏の領地であったため、尾張藩主に申し出て小口村にあった尾張領の一部と交換した。それ以来「替地」と呼ばれるようになったという。』新田開墾により集落が形成され、その鎮守として祀られたのが天神社のはじまりのようです。石柱門から参道の眺め、右手の建物は替地集会所。この神社のシンボルは参道を遮るように広く根を張った一本の楠ではないだろうか。樹齢は不明ですが、地表にまで現れる根の力強さは自然が持つエネルギーを感じられる。境内左側から常夜灯と境内の眺め。常夜灯は「日本惣社」文政8年(1825)と刻まれている。「文政8年(1825)の春日灯籠」とあるが、これを指しているのだろうか、これ春日灯籠だろうか。参道の一対の灯籠の寄進年は未確認。灯籠から先の狛犬と大正6年(1917)に寄進された神明鳥居、その先に蕃塀を構えている。鳥居前の子持ち毬持ちの狛犬は、昭和62年(1987)に寄進されたもの。蕃塀は昭和47年(1972)に寄進されたもの。境内左の手水舎。社殿全景。左手に稲荷社があり、写真では切れているが右手の替地集会所の裏にも境内社が祀られています。玉垣の右には菅原道真の神使「伏せ牛」が安置されている。替地 天神社について大口町史と愛知県神社名鑑では以下のように纏めています。『由緒「愛知県神社名鑑」に社伝として、この社の東隣にある替地釈迦堂の開基定隠尼が、京都の北野天神の分霊をうけ、天保14年(1843)この地に祀り氏神とした。なお、境内にある春日灯籠には「文政8年(1825)8月」と刻まれている。内社 金刀比羅社・津島社・御鍬社・稲荷社・国府宮・金刀比羅宮旧社格 村社』上記のようなものでした。拝殿全景。入母屋妻入りの拝殿に後方で切妻平入の幣殿が一体となった木造建築。拝殿前を守護する狛犬は、大正6年(1917)に寄進された子持ち毬持ちで、鳥居前のものと比べても風格が漂います。拝殿額は「天神社」。右側から眺めた社殿全景。小さいながらシックな装いの纏まった外観で、後方に流造の本殿が祀られています。本殿、高い壁もあり本殿域に摂社が祀られているかまでは分からない。写真は替地集会所後方の境内社。左は本四国、西国、秩父、坂東の霊場巡拝記念碑、地蔵堂、役行者像、不明社が祀られ、後方にも石像が祀られています。拝殿左の伏見稲荷社。鳥居の先には二つの社と石標が祀られています。境内には金刀比羅社・津島社・御鍬社・稲荷社・国府宮・金刀比羅宮の五社が祀られているという。この三社は中央が伏見稲荷、右は金刀比羅社と見立てると、左の社は社名札がなく不明です。天神社本殿域にも社は祀られているようです。替地 天神社創建 / 天保14年(1843)祭神 / 菅原道真祭礼 / 10月第2日曜日氏子域 / 大口町:替地所在地 / 丹羽郡大口町替地2-305参拝日 / 2025/10/13八王子社から天神社 / 北に向かい県道176号線を西に向かい、秋田三丁目右交差点を左折し南下、矢戸川を越えた左側の天神社まで、距離2.3km、車で5分強。関連記事・秋葉神社(河内屋新田)・不明社(河内屋新田)・入鹿宗雲 熊野社・入鹿伝右 八王子社