八龍神社
前回は三好池の鎮守「三好池神社」を掲載しました。 引き続き今回は、三好池北岸に鎮座する「八龍神社」を掲載します。上の地図は明治(左)の頃と現在の移り変わりを地図で見ています。 上の地図は、明治期(左)と現在の当地の様子を比較したものです。当時のこの辺りは、西側を細い流れの砂後川が流れ、境川にかけて田園地帯が広がり、三好村の出郷三好新屋の集落が見られる程度でした。現在みよし市役所のある、当時の三好村の集落は、さらに南西に離れた場所になります。水量の豊かな大きな河川がない当地で農作を行うには、水の確保が欠かせません。 三好村から東側の丘陵地にかけて、いたるところに灌漑用の溜池が築かれたのも、農業用水を確保するために必要に迫られてのことだったのでしょう。各地の歴史を遡ると、旱魃に悩まされた農村で雨乞いが行われてきたことが分かります。 当地でも、こうした水不足への願いから龍神を祀り、雨を乞う信仰が生まれました。現在では愛知用水や三好池などの整備によって水事情も大きく改善され、農地には安定して水が供給されています。 その一方で、かつてこの地で水を求め、雨を願った人々の信仰を今に伝えているのが、今回訪ねる八龍神社です。三好池の鎮守、三好池神社から三好池第6駐車場に向けて西へ100mほど進むと、三好の水の守護神ともいえる八龍神社が鎮座しています。道路沿いに西を向いて鎮座する「八龍神社」社殿全景。 少し先を右に入ると社頭への入口があります。「八龍神社」入口。 道路沿いに東西に細長い社地を持ち、北側には濃い緑の社叢が広がっています。一方、南側は開けているため、明るい印象の境内です。社頭から境内を眺める。 左には平成8年に寄進された「八龍神社」の社標と、石造の明神鳥居があります。鳥居の寄進年については確認していません。石の額には「八龍神社」と刻まれています。参道から眺める社殿は比較的新しい印象を受けます。 三好池の開発に伴って祀られた神社なのだろうかと思っていましたが、境内の由緒碑を読んで、その考えは改めざるを得ませんでした。八龍神社の由緒碑には、次のように記されています。「八龍神社鎮座地 愛知県西加茂郡三好町大字三好字仲ヶ山四十二番地の一 境内地 六二七平方米祭神 豊玉毘売命 豊玉毘売命は海神の御女に生まれ、海・水・安産・子孫繁栄を司る神で雨乞いの神でも有る。みよし野を切り開き、田とした先人達は、その用水の源を東の谷に求め、幾多の池を築いた。 その池の鎮めと、より豊かな恵みの雨を乞い願って慶長十一年(1606)、池を見下ろす此の地に勧請されれた。以来近郷の雨乞いの神として信仰を集めてきたが、特に徳川吉宗の世となり、大岡越前守忠相が西大平に其の在所を構えてより、西五千石の雨宮として奉斎され、旱魃時には領民等はこぞって八龍大明神に祈願をし、その際には大岡越前守は代参を差し向け、時には宮口の篠田代官が代参をつとめることもあった。 神前に集い火を焚き、龍神の神力を賜るように乞い願った。当社殿はその為、西の天空より雨雲を迎えるように西向きに造営されている。 旧三好村の高台に龍神を奉斎し、初祈願をした三百数十年前より悠久に続けてきた、先人達の祈る誠の心を知るところで有る。折しも、若鯱国体開催の平成六年は大渇水で、曲り池を基として造られた三好池の貯水量も激減し、生活不安に陥りました。 これを機に天王神社奉賛会の諸人で、八龍神社社殿の御造営の運びとなった。新屋の里 八龍神社造営委員会 平成八年四月吉日竣工」由緒碑によれば、現在の社殿が建てられたのは平成8年ですが、八龍神社そのものの起源は慶長11年(1606)まで遡ります。 つまり、現在の社殿だけを見ると比較的新しい神社に見えますが、その信仰の歴史は三好池が造られた時代よりもはるかに古いことになります。当地を開墾し田畑を広げた先人にとって、水は生活そのもの。 幾つもの溜池を築き、その池を鎮めるとともに、雨の恵みを願って龍神を祀ったという由緒は、この地域の農業と水との関わりをよく伝えています。また由緒碑では、大岡越前守忠相が西大平に知行所を構えた後には「西五千石の雨宮」として奉斎され、旱魃の際には領民が八龍大明神に祈願したことも記されています。 さらに興味深いのが、社殿が西向きに造営されている理由です。由緒碑では「西の天空より雨雲を迎えるように」と説明されており、現在も道路側から西を向いて社殿を拝する形になっています。ただし、当社については資料が少なく、愛知県神社名鑑にも掲載されていないため、由緒碑以上の詳しい祭祀の変遷などは分かりません。 三好町史には第7編があり、そこに神社関係の記述があると思われますが、現在Webでは公開されていないため、詳細を確認するには図書館などで調べる必要がありそうです。一方、Web公開されている『三好町神社棟札調査報告書』(1985)も確認しましたが、八龍神社についての記述は見つけられませんでした。また『西加茂郡誌』(1916)にも八龍神社そのものについての記述は見当たりませんでしたが、現在の「みよし」という地名の由来について興味深い話が掲載されていました。 それによれば、花山朝の寛和年間(985~987)のころ、三河国鳳来寺付近の「三吉」の僧、行観自達がこの地にやって来て、柴で庵を結び、托鉢をして暮らしていたといいます。人々がその僧に住んでいる場所を尋ねると、「私は三吉です」と答えた。 そのため当時の人々は、この僧を見かけると「また三吉が来た」と言っていたという話です。これがやがて「三吉」という地名となり、いつのころからか「三好」と書くようになった、と『西加茂郡誌』では説明しています。この説によれば、「三吉」から始まった当地の地名は、江戸時代には「三好」となり、さらに平成22年(2010)には愛知県西加茂郡三好町から「みよし市」へと変わってきました。地名は変わっても、この土地で暮らしてきた人々が水を求め、雨を願ってきた歴史は、八龍神社の由緒の中に残されています。平成8年に造営された社殿は、切妻平入の拝殿に幣殿・鞘殿が続く造りになっています。 本殿については外からは見ることができず、詳細な造りは分かりません。拝殿前の薄化粧した狛犬は新しいものです。拝殿に掲げられている額には八龍神社と刻まれている。三好池の北岸に西を向いてひっそりと鎮座する八龍神社。 三好池の堤体から西側のみよしの街を見下ろすと、現在の豊かな水環境の背後に、かつて溜池を築き、田畑を耕し、八龍神社に雨を願った農村の人々に思いを馳せることができます。八龍神社創建 / 慶長十一年(1606)祭神 / 豊玉毘売命氏子域 / 不明 祭礼 / 不明境内社 / なし所在地 / みよし市三好町仲ヶ山42-1三好池神社から徒歩アクセス / 三好池神社から三好池第6駐車場に向けて西へ100mほど先参拝日 / 2026/09/12 関連記事・三好池神社