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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
瑞浪市の酒蔵開きを訪れる為瑞浪駅を降り酒蔵を目指す
歩道は蔵を目指す人で思う様に歩けなかったので人波を避け少しコースアウト その道すがら、土岐川堤の北を道一本入った辺りで見かけた「栄町公会堂」 公会堂の出入り口前に三つの祠を祀った鞘堂を見かけ足が止まりました 出入り口の奥に鞘堂が建っています 近寄って鞘堂全景 綺麗に積まれた石垣上に鞘堂が建てられ、その下に祠が三つ並んでいます どなたを祀るのか、祠前には名札がありません 周囲を見渡すと公会堂の壁面に立派な沿革が掲げられている事に気が付く 更に自宅に戻り写真を見ると公会堂の道路側に、小さく「栄町三社鞘堂」とまで掲げられていました 沿革の内容は以下 「1902年(明治35)中央線開通とともに、町の形態は大きく変わり、栄町の人口増加に伴って独立した区への気運が高まった、土岐村もその事情を認め、1924(大正13)に一日市場区より分離し、翌1925年栄町区が正式に誕生した。 当時の栄町区は戸数126戸、人口は742人で土岐町では最も人口の多い区だった。 栄町区は区制運営の場として「栄町区倶楽部」を建設、この倶楽部の前に、先人が町の発展と安全祈願の為の守護神として子安観音・津島様・秋葉様の三神を迎えられ、それぞれの祠を建て安置された。 その後、1958年(昭和33)に新しく「栄町区公会堂」が建設され、1976年(昭和51)には新都市計画が実施される中、1980年(昭和55)に現在の「栄町区公会堂」の竣工を見た。 建設の度ごとに神殿は移動され現在は公会堂玄関前の神殿に安置され、子安観音の大祭を4月、津島様の大祭を7月、秋葉様の大祭を12月と、毎年区を挙げて実施している。」 ここ栄町が誕生した1925年(大正14)に創建された様です 祠についても以下の様に記されています 「子安観音 昭和初期、四国「金蔵寺」より清来寺住職と栄町代表者の数人によって御分身を奉迎し、当初個人の家に祭祀されお祭りを行っていたが、その後、公会堂の御神殿に安置し祭礼行うようになり現在に至っている。 津島神社 地区内に疫病などが入らない様にとの願いを込めて提灯を軒並みに下げる。 秋葉神社 火の災いから地区内を守る事を祈願する。」 中央が津島社、左が秋葉神社で右が子安観音の様です、多少しっくりこない部分も残りますが これで三社の正体は分かったので、すっきりした気持ちで参拝させて頂きました 町の繁栄と共に人が集まり、氏神として祀られたこの三社 住民が集う公会堂に集約され より身近な場所から氏子を見守っている様に見えます 鞘堂から少し南に歩くと眺望が開け土岐川堤に出ます、緑の山々を背景に土岐川が流れ、堤の先に瑞浪で二件残った酒蔵も目の前です 栄町三社鞘堂 住所 / 岐阜県瑞浪市土岐町42-1 アクセス / JR中央線「瑞浪」下車南東に徒歩15分 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.05.07 01:31:32
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