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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
名古屋市北区楠味鋺 東龍神社から西に5分も歩くと「味鋺神社」に至ります 神社正面全景 鳥居の先の番塀が目に留まります 左の山門は僧行基が建立し、自ら刻んだ薬師如来座像を本尊とする真言宗智山派の護国院が隣接しています(護国院は別の機会に記載します) 正面の眺めは神仏習合の名残が漂います、味鋺神社は護国院の鎮守だったらしい 以前掲載した東龍神社は味鋺神社の境外末社 参道の左右に略記と名古屋市教育委員会の解説が掲げられています 創建年代は不明、延期式神名帳(901~930年)に「尾張国春日部群、味鋺神社」の記載が残り、祭神の宇麻志麻治命は物部氏の祖神とされます 古くは味鋺の原で、多くの古墳が点在した事から百塚と呼ばれ、その多くは当時勢力を誇った物部氏の遺跡ではないかと言われています お隣の護国院を訪れると小さな堂があり、そこには石棺(岩屋堂古墳から出土)が収められています 江戸時代には六所明神とも呼ばれた時期もあったようです こちらでは古来流鏑馬が行われていたようで、始まりは1093年(寛治7)と古く 南に間近に迫る庄内川の堤に矢を放ち、ご利益を求め見物客が競って矢を拾う神事 第二次世界大戦の開戦にともない、それも途絶えてしまったようです 参道右に百度石 境内は右に手水舎、社務所、中央に番塀、その先に神楽殿と拝殿の伽藍で 左側に複数の境内社が並んでいます 境内右の石橋 名古屋城と犬山城を結んだ稲置(犬山)街道の石橋(清正橋)がここに保存されている 境内右の竣工碑、戦没者慰霊碑 手水舎(右)と社務所、常に人がいる感じではなさそうです 重厚な石造りの番塀前からの眺め 切妻、瓦葺で四方が吹き抜けの神楽殿 左に境内社が本殿方向に一列に祀られています 手前から 赤い社の津島社、洲原社、秋葉社、稲荷社・斎宮社、山神社、天神社、金刀比羅社、日神社・神明社、熱田社と並びます すべての社は表札が掲げられていて、このように解説も整備されています とても有難いものです 「農村味鋺」、その風景も随分少なくなってきました 拝殿右の遠目に神馬?と思っていたけれど この像は流鏑馬の記念像、空に向け矢を放つ躍動感のある像です 透塀の先の狛犬 扁額 現在の社殿は1992年に改築されたようです 拝殿から本殿の眺め、神紋は橘 祭神 / 宇麻志麻治命、味饒田命 本殿、幣殿、拝殿の眺め 鳥居から庄内川堤を望みます 嘗ての流鏑馬をここで再現するにはもはや難しい環境になりました 「味鋺神社」 創建 / 不明祭神 / 宇麻志麻治命、味饒田命 境内社 / 津島社、洲原社、秋葉社、稲荷社・斎宮社、山神社、天神社、金刀比羅社、日神社・神明社、熱田社
住所 / 名古屋市北区楠味鋺2丁目736 アクセス / 名鉄小牧線 「味鋺」下車、南西方向へ15分程 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.09.29 14:41:05
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