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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
名古屋市北区如意2-1
味美白山神社から国道302号線を西へ、県道161号線を北上、如意の交差点を左りに進み県道59号線を西方向の如意1丁目交差点を目指します、徒歩で約40分程です。 如意1丁目交差点交差点角に見上げる様な杜が見えてくれば「大井神社」は近い。 ![]() 信号の角に玉垣で囲まれ、南向きに鳥居が建っています。 交差点から眺めると境内は南北に長い。 ![]() 信号角に建つ神社案内板 塩竈神社の分霊を祀り、安産にご利益があるとの事。 塩竃神社?安産? 身近なのは天白区御幸山の塩竃神社、そこから分霊されたの? ![]() 大井神社鳥居から境内 参道は奥行があり、正面に蕃塀があるようです。 境内は松、クロガネモチの巨木が森を形作っています。 ![]() 境内の伽藍は左に社務所、蕃塀の先に拝殿、右手に手水舎。 ![]() 鳥居の先で境内を守護する狛犬、陽光の加減で陰影が強調され、彫の深いいい表情をしています。 ![]() 手水舎は鳥居右 奥に見える赤い鳥居は東に隣接する「真言宗 鶏足寺」の伏見稲荷。 大井神社とつながりがあるのかも知れません。 ![]() 漱水で清めを済ませ拝殿に向かいます。 控え柱のある白く輝く蕃塀、1928年(昭和3)に寄贈されたもので、正面には滝を上る鯉、上には龍が彫られた立派なものです。 右手に西を向いて覆屋があり境内末社が纏められています。 ![]() 御祭神は罔象女命、速秋津彦命、速秋津姫命 相殿神が鹽竈六所大明神 御神徳は五穀豊穣、家内安全、安産守護、延命長寿など 由緒 『御祭神 社殿によれば、和銅・養老年間(700年代)に、現社殿の北西にあった大井の池のほとりに産土神として勧請せられ大井神社と称し祀る。 中世、大水の難を避けて現在地へ鎮座される。 延喜式神名帳(927年)に山田郡大井神社と記録される式内社。 尾張国内神名帳に従三位大井天神と見え、神社に保存される社名額・棟札に六所大明神・大井塩竈神社とあり、古来より如意の氏神として崇敬され現在に至る。 塩竃六所大明神 石黒大炊助藤原重行は、後醍醐天皇の皇子宗良親王を貴船城に迎え、建武の中興に功績のあった越中国奈呉郡貴船城主石黒越中守藤原重之の子で、勤王の志を継ぎ度々兵を挙げたが、遂に越中国を去り 一時奥州へ移る。 後亀山天皇の明徳四年(1393)に奥州千賀に鎮座される塩竈六所大明神の御分霊を奉斎し、尾張国春日部郡如意郷に来て潜居し大井神社に合祀する。 以来氏神とともに崇敬され現在に至る。 社殿 本殿は、重行の子石黒右馬頭藤原朝房が、嘉吉二年(1442)に再建する。 その後、元禄十一年(1698)に氏子により再造立される。 以来290年の風雪に耐え、近隣最古の建物として創建時の三間社流造の原形を伝えてきた。 然るに近年老朽が甚だしく維持が困難になった。 昭和62年の式年に当り、氏子の総意により古来の建築様式を守り、本殿・渡り殿・幣殿を鉄筋コンクリート造、手水舎を木造で造営し、併せて境内整備を行い御神徳の高揚をはかる。今度の造営は、第三回造営、第二十九回遷座となる。 なお二十年毎の式年遷座祭の斉行は、寛政二年(1790)以降である。』 宮城の鹽竈神社より分霊された、天白区の塩竃さんの創建が1844~48年の弘化年間と云われるが、こちらの大井神社は更に古い事になる。 ![]() 境内左の絵馬掛けに乙女心をくすぐるような可愛い熊の絵馬が無数に掛けられています。 ![]() 境内で見かけた旧手水鉢、これが一番古そうで、年号は彫られているようですが識別不能。 ![]() 境内末社 左から 合殿 : 神明社 / 天照大御神、御嶽社 / 国常立神、山神社 / 大山祇命 合殿:八幡社 / 大鷦鷯尊、津島社 / 須佐之男命、 合殿:富士社 / 木花開耶姫命、天神社 / 少彦名命、菅原道真 合殿:白山社 / 菊理姫命、厳島社 / 市岐島姫命 直来社 / 大直日神、神直日神 ![]() 拝殿 切妻造りの瓦葺で妻入りで更に向拝が付く。 ![]() この位置から見ると拝殿、幣殿、本殿まで渡廊で繋がって一体になっているようです。 祭神 / 罔象女命、速秋津彦命、速秋津姫命 相殿神 / 塩竃六所大明神 ![]() 拝殿右に一体の狛犬 彫の妙義というよりはデザインに拘ったようで、これもまた乙女心を引き付けるのだろう。 安産を祈願し撫でられた表面は艶々。 首に付けられた注連縄が首輪の様にも見え、こちらを見つめる丸い目は・・・・・かわいい ![]() 東側から見た拝殿と渡廊、吊り灯籠のシルエットが浮かび上がる。 ![]() 渡廊から幣殿、本殿、ここからは近年建て替えられているようでコンクリート造り。 幣殿は切妻の平入り、狛犬が一対拝殿前で守護していますが、どうも撮り忘れたようです。 ![]() 本殿流造で外砥ぎの千木と鰹木が施されています。 社殿全体の見通しが効きません。 ![]() 上は「尾張名所図会後編三」 大井神社より 尾張名所図会は1838年(天保9)から3年を費やし纏められ、後編が1880年(明治13)に纏まったと云われています。 これは後編なので明治の頃の大井神社を書き留めたものと思います。 写真左下の鳥居が大井神社で、鳥居右の杜の中に鶏足坊とあるのが現在の「真言宗 鶏足寺」。 周囲は一面田畑、そこに浮島のように寺社の杜があり、右上に「瑞応寺」が描かれています。 本殿後方の杜は当時の名残りを感じさせます。 『 大井神社 如意村のうち、大井という地に鎮座。 今六所明神と称す。 延喜神名式に山田郡大井神社、本国帳に従三位大井天神とある官社。 塩尻に山田庄如意村六所明神は式内大井神社なり。 六躯の神形をきすみ、男体三躯、女体三躯、社説は筒男之神、海童之神三所なり。 然れば住吉・和魂・荒魂なるにや。 社の西に若宮と称する社あり。 是には神形二躯、男体・女体を安置。是神功皇后・応神天皇なりといへり。 住吉の神によせあれば、さも侍るにや。 両社の間には昔観音堂あり。 聖観音・如意輪を安置せしが、如意輪は盗人にとられ侍る。 聖観音は堂破れし後、鷄足坊に移し安置。 如意輪の像は今愛知郡尾頭沢妙安寺に安置する像なりとかや。 思うに是は社の本地仏にて、六観音なども有りけん。 昔此村は神戸と称し、和名抄に山田郡神戸とあるはここなり。 然るに大井神社の本地仏に如意輪堂ありし、この村名を如意と呼び初めし。』 お隣の鶏足寺や瑞応寺、少し離れるけれど妙安寺も行かないといけないようです。 ![]() 参拝も終え、鶏足寺の稲荷によって帰りますかね 2019/11/08 「大井神社」 創建 / 不明 祭神 / 罔象女命、速秋津彦命、速秋津姫命 相殿神 / 塩竃六所大明神 住所 / 名古屋市北区如意2-1 アクセス / 味美白山神社からゆっくり歩いて40分程 公共交通機関 / 名鉄小牧線「味美」下車西にゆっくり歩いて40分
Last updated
2019.12.03 20:33:50
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