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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
春日井市桜佐町『八龍神社』
庄内川が滔々と流れ、堤を隔て周辺には農地と住宅が広がります。 このあたりは釣りやカヌーを漕ぎに昔はよく訪れた場所ですが、眺める景色も若かりし頃とは随分変わったものです。 自然が残る住みやすい環境ですが、穏やかな表情の庄内川もこの時期の大雨では荒々しい表情を見せます。写真は吉根橋下流から密蔵院のある吉根橋方向の眺め。 堤から北を眺めると今も着々と造成が進む光景が広がります。 造成地なので周囲に木々はなく、唯一八龍神社境内の杜だけが島の様に見えています。 熊野町の熊野神社から南西方向に徒歩でも10分程、街中の住宅地に埋もれた環境ではないので分かりやすい。 『八龍神社』はその造成区域に取り残された様に鎮座しています。 神社周辺は工事区域なので現在は車で訪れる事はできません。 現在こんな光景ですが、以前はどうだったのか。 右が1947年(昭和22)頃の鎮座地、当時の地図には鳥居の印は見当たりません。 北を流れる内津川と庄内川が合流し、川に挟まれた地域で周囲は見渡す限りの田園風景が広がっています。 印がないから新しいのかとも言い切れません、古くはここから少し下ると渡しがあったとされ、人はそれなりに集まった場所、別の形で古くから龍神さまが祀られていたのかも知れません。 最初に書いておこう、『八龍神社』の沿革は分かりませんでした。 造成地の中に取り残された様に鎮座する『八龍神社』。 その外観は鳥居や玉垣、社号標等すべてが新しい。 社地の片隅に如意輪観音や馬頭観音等の石仏が安置され、写真左奥に庚申塔が纏められています。 八龍神社正面全景。 鬱蒼としたものではなく、ご覧の通り風通しも陽当たりも非常にいい。 個人のイメージで、龍神様と聞くとなんとなく木々が生い茂り、薄暗い印象を受けますが、ここは明るい印象を受けます。 2016年(平成28)に建之された真新しい鳥居と社号標。 鳥居の先に拝殿と周囲を塀で囲まれた本殿域を一望できます、左右に小社が複数あるようです。 神社は目の前の桜佐町とその先の庄内川を向いて鎮座します。 拝殿正面全景。 瓦葺の切妻造りで四方は吹き抜け、龍をアピールする飾りや額などは見当たりません。 シンプルで素朴な佇まいです。 拝所からは見た本殿域、一対の狛犬が本殿域を守護しています。 石の白さが映える鳥居、拝殿も綺麗で新しい、棟札を見ていませんが恐らく同時期に建て替えられた印象を受けます。 拝殿先の本殿域、新たに小高く積まれた石垣、その上に塀や本殿が祀られています。 右手には板宮作りの社が二つ、その後方に複数の石標が建てられています。 その中には1923年(大正12)、1929年(昭和4)の年号が見られます。 1947年(昭和22)の地図では記されていないけれど、祭祀形態は違うにしても、それ以前から桜佐に鎮座していることになります。 桜佐の地名、諸説あるようですが、古くは桜沢と呼ばれていたものが縮まって桜佐となったという説があるようです、1844年(天保15)に編纂された尾張志でも桜佐と記されていました。 本殿右の二社を参拝していきます。 こちらは桜佐集落の火伏として祀られた秋葉神社。 その左奥の社は御嶽神社。 良くある霊神碑の類をこちらで見かけることはありませんでした。 本殿全景。 真新しい石垣、瓦葺の白い塀が周囲を囲っています。 その前を白い狛犬が守護しています。 色白の面々、恐らくは再建時に併せて奉納されたものでしょう。 玉砂利が敷き詰められた本殿域、中央に神明造りの本殿が見えます。 本殿左の小社。 参拝時に社名を確認しメモしたのですが、なくしてしまい忘れてしまいました。 写真から識別できるだろうと甘く考えていましたが大間違いでした。 近くに寄った際にもう一度参拝し、ここに追記とします。 本殿の側面に回り込むと5本の鰹木と外削ぎの千木が良くわかります。 境内左の保存樹、境内ではひと際目を引く存在です。 天に向かって聳える大きな樹には何かが宿るとも言われます。 目には見えていないがここには桜佐町の田畑を潤し、雷除けの龍神が宿っているのかもしれない。 『八龍神社』 創建 / 不明 祭神 / 不明 境内社 / 秋葉神社、御嶽神社、不明社 住所 / 春日井市桜佐町346 関連記事 / 熊野神社 熊野神社からのアクセス / 南西方向に徒歩でも10分程 公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」下車、徒歩で東へ20分程 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.06.15 21:10:32
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