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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
名古屋からのんびり走って6時間少々。 奥多摩の山々を見渡す富岡町の山間に鎮座する上野国一之宮貫前神社に到着。 ![]() 一ノ鳥居の下に車を停め、大きな両部鳥居へ続く石段を上り詰め総門に向かう。 石段を避けたい方は総門前に駐車場があるのでそちらがお勧めです。但し、総門から社殿へは長い下りの石段が続く下り宮になっています。 ![]() 朱塗りの両部鳥居に向かい石段を上り始めます。 ![]() 踊り場のない石段、何段あるか数えちゃいないが、長時間運転し体が固まった運転手には結構堪える。 とはいえ、歩けるうちに歩かないと。 ![]() 石段を上り詰め、鳥居の真下から奥秩父方向の眺め。 ![]() 一ノ鳥居からの眺め。 富岡の町を見据えるように聳える大きな両部鳥居(1929年寄進)、雄大な光景が広がる。 ![]() 鳥居から先はフラットな参道が総門まで続きます。 上は参道左の貫前神社前公園。 正面の碑は行幸記念碑。 1873年(明治6)に明治天皇の英照皇太后と昭憲皇后が富岡製糸場を行啓され、行啓70周年の1943年に建立されされもの。 碑文には昭憲皇后が詠まれた「いと車とくもめぐりて大御代の富を助くる道ひらけつゝ」の和歌か刻まれています。 ![]() 公園には四季折々の花が楽しめ、訪れた時にはアヤメが美しい時期を迎えていました。 ![]() とみおか観光マップ。 富岡は北は榛名山、赤城山、西に妙義山、南には秩父三山と三方を山に囲まれ緑豊富な地域。 ユネスコ世界文化遺産富岡製紙工場で知られる。 ![]() 上は貫前神社境内図。 今回掲載する範囲は黄色の部分にあたります。 ![]() 上野国一之宮貫前神社総門。 貫前(ぬきさき)神社の創建は安閑天皇元年(531)とされ、物部姓磯部氏が氏神の経津主神を蓬が丘綾女谷に奉斎したのが始まりとされ、祭神は経津主神、姫大神。 貫前神社の社地は東京ドームの約倍近くもあるといい、その杜には樹齢1200年とも云われる大杉をはじめ、スダジイやイチョウの古木が聳え立つ広大な社叢を持つ美しい神社です。 今回掲載する貫前神社末社の「日枝神社、二十二末社、伊勢内宮・外宮」は総門沿いを左に進みます。 ![]() 日枝神社入口。 二本の巨木が左右に聳えています。 右はイチョウの古木で、黄葉の時期に訪れると境内は黄色の絨毯が敷かれた様になることだろう。 ![]() 門から境内の眺め。 ![]() 広い境内の奥に三つの社と、左に境内社が祀られ、広々とした境内。 ![]() 境内右の手水鉢。 寄進者の名は読み取れたものの、寄進年まで読み取れなかった。 ![]() 境内全景。 左は二十二末社、一つの長い相殿で22社相殿と云えばいいのか。 正面中央の三間社流造の建物が日枝神社、右が伊勢内宮、更にその右が伊勢外宮。 貫前神社の創建は531年と伝えられ、約1500年の歴史を誇る神社。 12年に一度式年遷宮祭が行われ、その際この境内中央に仮本殿が設けられ、12月から3月まで御神体は仮殿に遷座、その間に本殿の補修・修理などが行われるようです。 往古には伊勢神宮の様に社殿を作り替えられていたそうですが、時代と共に現在のような形に変わっていったようです。 境内の社殿配置はそうしたことを前提に配置されたものでしょう。 因みに前回の遷宮祭は2017年に行われたそうです。 ![]() 境内西の二十二末社全景。 横一列に整然と並ぶ姿は壮観なものがある、ここを参るだけでなんでも叶いそう。 賽銭は多めに用意しておいた方がいい、大丈夫かな? 右から扣神社、熱田神社、水分神社、熊野神社、白山比咩神社、八坂神社、伊邪那岐神社、長田神社、少彦名神社、高龗神社、浅間神社、咲前神社、事解男神社、八幡宮、諏訪神社、奇八玉神社、春日神社、栗島神社、速玉神社、沓脱神社、菅原神社、竈神社。![]() 境内に掲げられている由緒。 【末社 ・日枝神社 日枝神社の現在の社殿は寛永12年(1635)以前の旧本社を移築したもの。 明治42年(1909)、近在の氏神である「和合神社(田島)、諏訪神社(宇田)、大臣神社(坂井)各社を合祀。 大山昨神、他十七柱の神々をお祀りする。 ・伊勢内宮・外宮 内宮、外宮は古くは境内の天狗沢峰通り字伊勢屋敷に鎮座していた。 寛永12年に現在地に遷座した。 伊勢内宮は天照大神、伊勢外宮は豊受大神をお祀りする。 ・二十二末社 社領内各地に鎮座していた二十二の末社を寛永12年の御本社造営の際、一棟の社殿にお祀りし、二十二末社と称す。】 ![]() 日枝神社。 寛永12年以前の旧本社を移築した三間社流造の社殿。 創建時期は不明。 ![]() 梁など細かな絵や彫飾りが施され、以前は鮮やかな彩色で華やかな社殿だったことが見て取れる。 ![]() 長い屋根を支える梁の蟇股(左の間)に猿の飾りがつく。 ![]() 中央の間には三猿。 ![]() 右の間にも猿。 ![]() 日枝神社の右、中央が内宮、右が外宮。 何れも一間社流造で内宮は5本の鰹木に内削ぎの千木、外宮が5本の鰹木に外削ぎの千木が付く。 創建時期は不明。 ![]() 外宮から右手を見下ろすと貫前神社の社殿が一望できます。 左から本殿、拝殿、楼門、その奥が神楽殿。 手前の四脚の入母屋造の建物が手水舎、楼門手前の右が社務所。 総門からこの高度差分石段を下りていく事になります。 南に鏑川、北に丹生川に挟まれた小高い山、大鳥居や貫前神社前公園がある尾根の平坦部分は十分な敷地もありながら、敢えて北垂れのここに社殿を建てた理由はなにかあるはずです。 個人的に社殿は一番高い所にあって、そこから氏子の町を見据えるものの認識はあてはまらないようです。 ![]() 日枝神社から境内の眺め。 入口で見たイチョウの巨木と、右に一際こんもりと枝葉を付けた形のいい巨木に視線が行きます。 くぐってきた門の大きさと比較すると如何に大きいか分かるのでは。 ![]() スダジイ。 【群馬県指定天然記念物、とみおか名木十選「貫前神社のスダジイ」 ・樹高15㍍、胸高周囲5.5㍍を誇り、樹齢は不明。 伝承によれば約千年とも伝わる。 スダジイは県内に自然分布しない事から学術上も貴重なもので、上野國一之宮貫前神社境内の代表的巨樹の1本で社叢を形成する重要な樹木で県内では最大のもの。 ・縦冠は大きく、よじれあがる幹は豪快。 ・現在も樹勢は衰えることなく、類を見ない大きさと、奇異な樹姿は貴重な天然記念物。】 細長い実を付け、食糧の乏しかった時代には食用として用いられ、杜の動物たちの貴重な食糧庫の役割もあるが、今時のグルメな動物達のお口に合わないかもしれない。 ![]() とみおか名木十選 「銀杏」 次の世代に引き継ぐ樹として、公募の中から認定されたもの。 ![]() 境内から貫前神社前公園の眺め。 さて、貫前神社総門に向かいかみさんと合流するか。 ![]() 上野國一之宮 貫前神社末社 「日枝神社、二十二末社、伊勢内宮・外宮」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.06.23 00:00:17
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