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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
名古屋市中村区大秋町鎮座 八幡社。
地下鉄東山線本陣駅3番出口から南に徒歩5分程、アクセスが容易なこの神社から2024年の徘徊を始める事にしました。 大秋 八幡社社頭全景。 社殿は南を向いて建てられ、鳥居左に手水舎、石の明神鳥居、社号標を構えている。 鳥居正面。 道路沿いに提灯櫓があり、その先に鳥居と蕃塀がある。 境内に聳える大きな楠が大秋 八幡社の象徴かもしれない。 社頭の右端に大秋城址の碑が建てられています。 碑文は以下。 「尾張徇行記記載曰大秋村之條 織田真記曰 其後謀令所属荒子城絶滅 熱田与清須之路 米野大秋二城絶清州群那古野之路 而略奪公充厨田篠木三郷 今按古城志不載大秋城墟 云々」 自分なりの解釈は、「尾張徇行記に記された大秋村には、織田公記に後に荒子城が絶滅。 熱田と清須を結ぶ路は、米野と大秋の二つの城が絶ち、篠木三郷などの地域を略奪しています。 今思うに古城志には大秋城跡の記載は見当たらない」的な感じだろうか。 織田信長と弟の信行の家督争いから起きた稲生の戦い(1556)についての解説だと思われます。 大秋城は天文・弘治年間(1532~1557)今川氏豊に仕えた大秋十郎左衛門が居城したとされ、稲生の戦い(1556)では信行側に付いた大秋十郎左衛門(大秋城)、中川弥兵衛(米野城)らと共に清州の信長の進路を妨げ、信長の領地篠木三郷を奪うも、戦いは劣戦を制した信長が勝利し家督を確かなものとした。 尾州古城志(1708)に目を通す、大秋村の項目に米野城云々の記載はあったが大秋城の記載はなく、このあたりは大脇と称されていたように見受けられます。 現在、城址碑の立っている八幡社境内、周辺の立地を見渡しても城の記録同様に痕跡は残っておらず、廃城時期も定かではないようです。 参道はこちらの正参道の他、北側の道路から境内に通じる細い脇参道があります。 参道の正面には木造の蕃塀がドンと構え、その先の社殿を遮っています。 参道左の由緒。 「大秋八幡社御由緒記 祭神 応神天皇 例祭 十月九・十日 由緒 住吉 尾張之国愛智郡大脇鄉(熱田神宮神領地)の産土の神として 神之宮の地(現中村区上ノ宮町)に鎮座し在しました。 天文(1532)の昔、口碑に依れば今川氏豊の属士大秋村の住人大秋十郎左衛門守護神と崇め祭祀されたによって庶民も厚く景仰するところであった。 その後幾星霜を経て、元禄十三年(1700)八幡大神の御神託により、老松生い茂る大秋城墟のこの地に移し祭られたと伝えられる。 尾張徇行記に「備前換ノトキ社領田一反二款二十七歩 宮田二付ケオカレ修理料二用ユルト也」と、また 宮跡は開墾して畠となしたる旨載せている。 雨来、水き歳月に互り 諸人 斉しく宏大無辺なる 御神徳を仰ぎ謹みて祭祀宗拝す。 現在の町名の大秋は、大脇郷からきたものかと思いましたが、大秋十郎左衛門居住地から大秋と呼ばれるようになったのか。。。御例祭には氏子の若者 梯子獅子の舞を奉納した 尾張名所図会に「大秋の階子獅子とて 其の名高し 府下及び近郷より遊人来集して見物す」と載せている。 御神徳 御祭神におはします 応神天皇は御在世中 大陸文化を採り入れ 学問文化 殖産興業 交通経済など 凡てに 御治績を垂れた給い 古来 厄除開運 無病息災 家内安全などの御神徳を以て 人々との景仰するところである」 中村区史跡散策路日比津・大秋の里散策コースの大秋八幡社解説は以下。 「古書に、「則武の荘に八幡社三社あり、その中で本社最も古く、今川氏附属の大秋重郎左衛門が此地に住みたる故に附近を大秋という」とあります。 明治の頃まで盛んに行われていた梯子獅子は、「大秋の梯子獅子」として有名でした。境内に近郷の若者達が石を持ち上げて力比べをしたという「力石」があります」 と紹介されていました。 尾張名所図会より大秋八幡社の記述。 地下鉄本陣駅西に鎮座していたようですが、大秋十郎左衛門が勧請したとなれば創建はそこまで遡る。 上は明治31年当時とほゞ現在の地図。 この地に遷座してからでも300年、神社を取巻く環境が様変わりした今も大秋の氏神として、氏子はじめ崇敬者から護られている神社。 境内左の手水舎と御神木の楠。 蕃塀の先の境内。 綺麗に整備された境内は中央の社殿と左右に境内社が祀られています。 芭蕉の碑。 「城あとや古井の清水まづ訪はん」 拝殿全景。 瓦葺の木造切妻造で手前に一対の燈籠と狛犬が安置されている。 寄進年を見忘れましたが、味のある風貌の狛犬です。 大きく枝を張る楠と十六菊の紋の入る鬼。 拝殿額はないが、妻壁には獅子が彫られた蟇股や雲の彫が施されています。 拝殿・幣殿の連なり、渡廊の両脇に狛犬が安置されています。 拝殿左の力石。 大きさの違う複数の石が置かれ、これを持ち上げる事で村中に自らの力を誇示したんだろう。 力石の表面には時に重さが刻まれていますが、こちらの力石にそれは見られなかった。 社殿を包む様に聳える楠、なにかが宿っていると感じさせる堂々とした姿です。 拝殿左の境内社。 手前から護国社、右が天道社、加佐戸社、役行者。 右から天道社、中央の加佐戸社はあまり馴染みがなく、鈴鹿市加佐登町の加佐登神社から勧請されたものかと思われます。 左の役行者の前に置かれている鉢には文化14年(1817)寄進と刻まれています。 本殿横の境内社。 右から天満宮、熱田社、秋葉社、津島社の境内社が纏められています。 拝殿右から社殿の眺め、右には大秋龍神社が祀られている。 大きな覆屋の中に祀られる大秋龍神の社。 その前に二つの祠があり、中には白蛇の像が安置されていました。 赤い目をしてとぐろを巻いた二匹の白蛇が其々安置されており、いかにも龍神社らしい。 薄暗い覆屋の下で見る白蛇は、石とはいえ蛇嫌いにはあまり心地よいものではない。 子供の頃、年輪を重ねたこうした樹には白蛇が宿ると教えられたものだ。 白蛇とは言わないにしても、不思議な力を秘めているような気になる。 大秋 八幡社 創建 / 不明(元禄十三年当地に遷座) 祭神 / 応神天皇 境内社 / 護国社、天道社、加佐戸社、天満宮、熱田社、秋葉社、津島社 所在地 / 名古屋市中村区大秋町2-81 地下鉄東山線本陣駅から大秋 八幡社 / 3番出口から南へ徒歩5分 参拝日 / 2024/01/09 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.01.29 00:00:18
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