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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
紅葉の時期に足助町を通りかかると道路は渋滞
グリーロード入口の力石ICまでの道程の長いこと ついつい足助町内を避けてしまいがちです、宿場町城下町でもある足助には、宿場の名残を留めた町並みや古くからの寺社など見所は多い ![]() また紅葉やカタクリ、清流巴川が町内を流れ自然豊かな町でもあり、そうした中を歩く東海自然歩道も整備されています 今回掲載する十王寺は、先に掲載した足助八幡宮の両部鳥居の向かいに鎮座しています ![]() 神宮山十王寺は愛知県豊田市足助町に鎮座する真宗大谷派の寺院 寺標の側面に「寛永8年石平道人正三和尚開基」とある 本堂は木造切妻瓦葺の平入で一間の向拝を持ったこぢんまりとした佇まい 国道沿いに境内入口はありますが、周囲が有料駐車場ばかりのなか、参拝駐車して良いものか定かではありません 因みに自分はずっと下流の無料駐車場から散策がてら歩いて訪れました ![]() 境内左の十王寺解説は以下のようなものでした 十王寺は寛永年間(1624~1645)、鈴木正三和尚により創建された 正三和尚は、天正7年(1579)足助郷則定城主忠兵衛重次の長男として生まれ、徳川家の旗本として大坂夏の陣に戦功をあげた武将 42歳の時、家督を弟に譲り自らは出家 風飡無宿の禅僧となり宗教自由人として庶民に仏教の裾野を広げるため、仮名草子本(二人比丘尼、因菓物語)を書き、近世文学の基となったことでも評価の高い人物である 本堂に安置される木造阿弥陀如来立像(室町時代前半から中頃の制作)は別名「またたき如来」と呼ばれ、土地には伝説も伝わる また、足助八幡宮境内にあった神宮寺の本尊、木造薬師如来座像は高さ90㌢と小さいが鎌倉期の優れた作品とされ、他に江戸時代初期のものとされる木造十王像を所蔵し何れも文化財の指定を受けている 境内左には解説板、右には古い石塔や石仏が並び小さな社が祀られています因みに「またたき如来」の伝説とは以下のようなものらしい 「その昔、不届き者により如来像が盗難にあった ある晩信者の夢枕に如来像が現れ、「京都にいるから迎えに来てくれ、来てくれたらまたたいて合図する」とのお告げがあったそうです 信者が京都に迎えに行ったところ、如来像がまたたいて合図され無事に足助にもどった」 と云うもの 当日は本堂の扉が閉じられ、人の気配もなく「またたき如来」の姿は見られなかった 運が良ければ拝むことができるのかも ![]() 遠目から霊神碑が立ち並ぶ御嶽神社かなと思っていました、しかし山丸三の紋も見当たらず どうやら御嶽神社ではなさそうです どの石塔も年月が経っているようで、確認できたもので「三界万霊」と刻まれた塔に寛文2年(1662)の元号が見られました 先の解説から創建が寛永年間(1624~1645)とあるので、創建後ほどなく造られた「三界万霊塔」です 煩悩にまみれ、戦に明け暮れた戦国の武将から、風飡無宿の僧となった鈴木正三和尚 彼は欲界・色界・無色界の有情無情の精霊を供養するために、三界万霊塔を建てたものかもしれません 神宮山 十王寺 宗派 / 真宗大谷派 本尊 / 木造阿弥陀如来立像 創建 / 寛永8年 開基 / 石平道人正三和尚 所在地 / 豊田市足助町宮平41 参拝日 / 2024/03/07 名古屋市役所から車アクセス / 猿投グリーロード力石ICから国道153号線左折約50分 関連記事 ・足助八幡宮 ・足助神社 ・西中金駅舎・岩倉神社・岩倉神社農村舞台 ・香嵐渓 カタクリ群生地(2024/03/07) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.07 09:30:07
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