おやじのブログ

2024/06/29(土)10:15

八柱神社 豊田市乙部町北屋敷

神社仏閣・御朱印(1319)

先に掲載した豊田市乙部町北屋敷の秋葉社からの続きとなる今回は八柱神社を掲載します。 鎮座地はほゞ秋葉社と同じ位置になります、社頭は生活道路の北側にありますが、鬱蒼とした樹々で見落としていたようです。 大正時代の左の地図上でも八柱神社の鳥居が印されており、明治に遡っても印は見られます。 車で訪れた場合、駐車出来る場所は秋葉社から右に上りきり、八柱神社社殿脇に駐車スペースがあります。 駐車スペースから社殿側面の眺め。 銅葺屋根の本殿と拝殿が渡廊で一体になっているようです。 本殿の造りまでは分からなかった。 駐車スペースから脇参道から社務所脇を進み境内に向かう。 右手には捕獲用の檻がおかれています。 捕獲対象が何かとても気になるところですが、捕獲しなければならない対象がいるということです。 市町村合併で猿投山周辺のこの辺りも豊田市となり、住居も多くなりましたが、自然は色濃く残っており、森に入れば涼しくて解放感がありますが、熊鈴を付けておく方が気持ちが落ち着く。 あとはマムシもいるので足元は固めておいた方が賢明です。 八柱神社境内南側から社殿方向の眺め。 左手から社務所、中門、拝殿、渡廊、本殿と続き、手水舎は左側になります。 境内南側の眺め。 社頭から境内に繋がる参道の姿は見られず、杜の中に社頭に続くと思われる道筋があります。 社殿全景。 ユーモラスな龍口がありますが、清水は注いでくれていなかった。 中門の前には一対の狛犬(1987)と常夜灯(1931)があります。 八柱神社由緒。 八柱神社 鎮座地 豊田市乙部町北屋敷六〇五番地祭神 多紀理毘売命 市寸島比売命 多岐都比売命 天忍穂耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須卑命由緒  創建は万治二巳亥年(1659)十二月の棟札に奉造立八王子権現とある。  境内社の神明社は文政三年(1820)八月朔日創祀とあり、乙部の氏神として尊崇する。 明治五年十月、村社に列格した。例祭日  例大祭 十月第一日曜日 新嘗祭 十二月第一日曜日 祈年祭 四月第一日曜日  創建当時の乙部集落がどの程度だったのか分からないが、創建以来今日まで乙部の移り変わりを見守ってきた神社。 因みに大正15年(1926)に出版された西加茂郡誌によれば以下の内容でした。 「八柱社 創建年 不詳、祭神 八王子、境内 二反六畝三歩、氏子 36」とあった。 約700坪、テニスコート10面相当の広大な社地を有しているようです。 中門前の狛犬。 中門から拝殿の眺め、こちらで参拝となります。 拝殿全景、軒下に「八柱神社」の扁額がある。 本殿周辺の全貌は分かず、境内社の神明社も分からないままです。 中門から透塀が繋がり社殿域を取り囲んでいます。 理由は分からないが、一帯には本当に八王子神社や八柱神社が多い。 古くは牛頭天王と頗梨采女の8人の御子神(八将神)が祀られていたはずで、神仏分離後は須佐之男命と天照大御神の御子神五男三女神を祀るように改められています。 八柱神社の杜全景。 今年気候の影響から梅が不作なんだとか、気軽に梅酒・梅干も仕込めなくなってきた。 そればかりか、朝市や縁日で並んでいた、オラが家の秘伝の漬物も手に入らなくなる。 そこまでする必要があるのか理解に苦しむ、それより優先して手を付けることがあるのではないか。 「30分以内ならもう一つ・・・」洗脳するかのようなあのフレーズなんとかならんかい。 八柱神社 創建 / 万治2年(1659) 祭神 / 八王子 境内社 / 神明社 所在地 / ​豊田市乙部町北屋敷​  車アクセス / 矢草インターチェンジから国道248号線を南下、保見交差点で左折現地まで約20分 参拝日 / 2024/06/07 関連記事 / ・​秋葉社 豊田市乙部町北屋敷

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