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2024.07.13
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
建速神社から広沢川上流に鎮座する廣澤神社までは移動時間​約5分程になります。
名古屋から猿投グリーンロードで訪れるなら加納ICで降り、加納インター東の三叉路を左折、藤岡飯野方面に向かい、1分程先で左折してください。

写真は左折ケ所から北の眺め、正面に愛知環状自動車道の高架見えてきます。

左折ケ所には写真の猿投山西回り登山道入口の看板が立っています。
狭い道です、ここから神社に至る道は更に狭くなりガードレールもありません、幅寄せ、バックが出来ない人は立ち入らない方がいいでしょう。

上は今回の目的地廣澤神社の鎮座地を赤枠で示しています、黄色の枠は猿投神社になります。
猿投神社は猿投山周辺の神社を巡り、最後の目的地としているのでなかなか到達しませんが、廣澤神社が猿投神社の境外末社なので気持ち近づいた気になります。

写真は廣澤神社の向かいにある登山者用駐車場から、今走ってきた道(右側)と右に広沢川を見ています。
猿投山は猿投神社から何度か登っていますが、この西回り登山道から上った事がなく、猿投神社西の宮、東の宮参拝はここから目指したいと考えています。

この辺りに立てられているウオーキングマップ。
ウオーキングとあるとお手軽に登れるように感じますが、しっかりと足ごしらえし、水、防虫スプレー、熊鈴など最低限の装備は必要です。
猪・カモシカ・蛇などいても不思議ではないかも知れないね。
ここ何年か熊情報だけは見るようにしていますが、年初から6月までは猿投山の熊目撃情報は上がっていなかった。
渓流に分け入っていた頃の熊はお互いに見かけると離れていったが、新世代の熊は寄ってくるらしいので困ったものだ。

駐車場の横を流れる広沢川。
陽射しは強烈ですが、水が流れ落ちる音、吹き抜ける風は心地いい。

廣澤神社頭の眺め。
社頭は駐車場の向かいにあり、普通車なら4・5台は駐車できそうですが、奥に作業小屋があり、そこへの道筋は塞げません。
正面の林道はこの先更に狭くなり、道も荒れており猿投七滝までは車で行けるようです。

社頭全景。
右手に廣澤神社社標、社名の上に何か書かれているのだが読み取れなかった。

駐車場の向かいにある石の神明鳥居は平成5年(1993)に建てられたもの。
その傍らに広沢天神の由緒があり、そこに書かれている内容は以下。
「広沢神社(広沢天神)
猿投山西入口の広沢川に面した場所に鎮座し、学問と医薬を司る神として信仰のある少名彦命を祭神に祀っています。
少名彦命は、出雲大社の祭神大国主命と共に国をつくり固めた神でもあります。
平安時代の延長5年(927)に編さんされた法律書「延喜式」に加茂郡七社の一つとして記されています。
他に江戸時代の慶安2年(1649)の三河国神名帳にもその名が見られます。」
因みに延喜式の「加茂郡七社」とは以下の七社を指します。
・野見神社 豊田市野見山
・野神社 豊田市榊野町見切
・兵主神社 豊田市荒井町松島
・射穂神社 豊田市保見町北山
・狭投神社(三河国三宮)・東の宮・西の宮 豊田市猿投町大城
・廣澤神社 豊田市猿投町小黒見
・灰寶神社 豊田市越戸町松葉

廣澤神社
もともとは広沢川が流れるこの地に古くから鎮座していました。
しかし、明治政府による神社合祀令(1906)により明治から昭和の間は広沢川から離れ、猿投神社へ合祀されていました。
神社合祀令は、明治41年(1908)の第2次西園寺内閣の内務大臣平田東助が推し進めたもので、神社合祀令の名のもと、それに関わる者の私腹を潤した政策だ。

国営放送の朝ドラ、植物学者槙野万太郎を題材にした「らんまん」のなかにも、神社合併が近代化への道筋という名のもとに、神社や社叢が姿を消す環境破壊に対し、植物学者の視点から憂慮する姿が描かれていた。
ドラマに登場した南方熊楠は「神社合祀に関する意見」として白井光太郎に書簡を送り、政府に意見を発表しており、そのなかで神社合祀令の裏で神社・神域という特別な空間が育んできた資産を買い叩き、地元に還元する事もなく、高額で転売し推進派の私腹を肥やしている事にも触れている。

現在は故郷の広沢川の傍らに猿投神社の境外末社広沢天神として戻されています。
古い資料が見つからず、猿投神社に遷される前の鎮座地が定かではありませんが、古い元号の常夜灯や下流の開発状況から見ても鎮座地が大きく変わってはいないのかもしれません。
なんたら支援金、なんたら補助金と称しては金をばら撒き、一向に根源を改めず一部の者を潤すだけの現状と何ら体質的に変わってはいない。

鳥居の先右手に自然石の常夜灯があり、先は登山道のような参道が奥に続いています。

車はあるが人の気配のない鬱蒼とした緑の参道両脇。
広沢天神の白い幟が連なる姿は心なしかホッとする。

狭い参道の少し先から開けた杉林に変わり、斜面に先に社が見えてきます。
社と右側の登山道は頻繁に人の往来があるのか道はしっかりとしていました。

杉林の中に佇む社に続く石段は、手前に一対の常夜灯があり、そこから社までは不揃いな石で組まれた石段が伸びています。

常夜灯の竿を見ると安永(1772-1781)の元号が見られ、当時の村人の思いがここに残されています。

石段から見上げる廣澤神社社殿。
樹々の隙間から差し込む陽射しは神秘的な雰囲気を演出します。

供えられている榊は新しく、御神酒も供えられており、大切にされているようです。
人気のない境内に一人身を置くと、いつもより強く拍手する自分がいる。

右手の登山道から眺める社殿の全景。
神明造で鰹木は4本、千木は外削ぎのもの。

ここから上に続く登山道、西に向かって続いているようですが、何処に繋がるのか分かりません。
白地図とコンパスもなく迂闊に知らない道には入らない方がよさそうです。

社殿後方から社頭の眺め。
社殿が鎮座するここは涼しく居心地がいい。
まだ、6月だと云うのに木陰から一歩外に出ると真夏並みの強烈な暑さが襲ってきます。

道中の道さえ問題なければ、駐車場からここまでは普段靴で訪れる事が出来ます。

猿投神社境外摂社 広沢天神
創建 / 不明
祭神 / 少名彦命
境内社 / ・・・
所在地 / 豊田市猿投町小黒見
車アクセス / 畑中 建速神社から広沢川上流に向かい広沢天神まで移動時間​約5分​​​
参拝日 / 2024/06/07
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Last updated  2024.07.13 16:08:11
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