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2024.08.05
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
眞名井神社から参道を南下して、意宇川堤防道路を左折し1・2分程上流に向かいます。
前方に橋が見えてくれば左側に意宇六社五社目の六所神社の杜が見えてきます。

社頭の南を流れる意宇川の眺め、先に見える橋を渡った左には大草古墳群もあります。

意宇川の堤防から六所神社の参道と社叢の眺め。
堤防から川へ降りる石段が整備されており、ここも禊場のような雰囲気が漂います。
堤防道路沿いに狛犬が安置されており、堤防道路下に降り神社に向かいます。
車は写真右側の出雲国府跡の広場に停めさせてもらいました。

堤防道路に安置されている一対の狛犬。
色黒でぴんと突き上げた尻尾を持ち、隙あらば今にも飛び掛からんばかり凛々しい姿をしています。

堤防を下りた参道には一対の石灯籠があり、参道はその先の杜に続く。

意宇六社 六所神社社頭全景。
鳥居はなく、左手に「出雲国総社 六所神社社標」、ここでも飛びかからんばかりの狛犬が守護する。
この地方の神社で見かける形のもので、こうした姿のものを出雲型と呼ぶようです。
いずれも柔らかい素材の来待(きまち)石が使われ、宍道湖周辺が産地とされます。
宍道湖の南の宍道町東来待には、採掘場を公開した「モニュメントミュージアム来待ストーン」があり、来待石が古代から現在までどのように利用され、出雲から各地に広がったのか知ることができます。

ニノ狛犬と出雲國総社 六所神社の社号標。何れも寄進年を見忘れました。

鎮座地は意宇川左岸の平野の南端に位置し、広大な水田が広がっており、水の張られた田んぼに眞名井神社が鎮座する神名樋野(現在の茶臼山)が姿を映す。
社地の右手から後方にかけて、奈良時代に国府が置かれ、社頭付近にはその正門あったと云われ、国府跡には建物の柱が復元され、古代出雲の中心地だったことを忍ばせる光景が広がっています。
鎮座地は国府の中心に位置し、以前は国府の少し東に鎮座していたようですが、平安時代以降、国府の衰退とともに、かつての国府中心地に移転し、この地区の氏神として信仰されてきた。
国府と隣接した六所神社は出雲國総社に都合が良かったのかもしれない。

社頭・境内に由緒はなく、島根県神社庁から当社の解説を調べて見た結果は以下のようなものでした。
「主祭神 伊邪那岐命・伊邪那美命・天照皇大神・月夜見命・素盞鳴命・大己貴命。
例祭日 10月15日。
御神徳 諸願成就。
由緒・特殊神事
『延喜式』、『出雲国風土記』に記載されている古社。
 奈良時代以降は「出雲国総社」として社格を有し、国内の神社に奉る幣帛を班つ班弊式や諸祈願は、出雲国内の神主を当社に集め、国司が斎行した。
王朝時代以来続く古伝「御田饌神事」は、観応元年(1350)までは勅使の御参向があり、その行列と儀式を描いた壁画は県の文化財に指定されている。
 出雲国造家と関わりの深い「意宇六社」の一つで、御本殿は大社造、神紋は二重亀甲に「有」である。この神紋は、出雲大社の古来の神紋であり、神魂神社と眞名井神社も同紋である。」

参道右の手水舎と随神門。

手水鉢の龍が清水を注いでいるので鉢の水は澄んでいました。

随神門から拝殿の眺め。入母屋瓦葺の八脚の随神門で、左右の間には随神と狛犬が向き合う様に安置されています。

内部の随神と狛犬、何れも木造のもので、制作年代は不明です。
脱色と劣化はありますが、今も彩色の一部が残っています。

拝殿正面全景。
入母屋瓦葺の平入で向拝が付くもので、向拝柱には大きな注連縄が架けられています。

先に掲載した八重垣神社と六所神社は、出雲国風土記(733)や延喜式神名帳(927)に記された「佐久佐社」・「佐久佐神社」は自社であるとの論争があり、現在は八重垣神社が比定地として落ち着いた?ようで、一時期佐草神社と称していたが大正11年に慣れ親しんだ八重垣神社に戻された。

拝殿の外観に比較すると向拝に吊るされた大注連縄や〆の子は大きく感じます。
賽銭箱や本殿鬼板などの神紋は二重亀甲に有の文字が入るもので、既に訪れた神魂神社や眞名井神社と同じ神紋です。

シンプルな拝殿額は「六所神社」と書かれている。
下は拝殿から幣殿、本殿の眺め、薄暗い内部にあって中央の鏡は外光を受け鈍く輝いていました。

拝殿左側から眺めた社殿全景。

本殿左の境内社「王子神社」、祭神は高御産霊命、神御産霊命をお祀りします。

本殿は出雲では定番の大社造りで、幣殿から続く向拝は本殿宇豆柱の中央にくるもの。
祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照皇大神、月夜見命、素盞鳴命、大己貴命を祀る。
神社の創建は不詳ですが、出雲国風土記(733)、延喜式神名帳(927)に記される古社であることに間違いなく、出雲国総社の六所神社に参拝すれば出雲国内の神社に参拝するに等しいことになる。
境内左の石の社は外観から社名は判断はできなかった、奥に結界の張られた一画がある。

拝殿右から社殿の眺め。

社地右側の片隅に古い狛犬が安置されています。

本殿右の「丁明神社」、祭神は須佐能乎命の御子青幡佐久佐彦命。
大草郷の地名の由来となる神で、大原郡の高麻山に初めて麻を蒔いたとされる。

国府跡に繋がる境内右手に鎮座する天満宮。

拝殿前から随神門・社頭方向を眺める、御朱印などは参道の右側の宮司宅で頂けます。

車を停めた広場の前の出雲国府の解説。
解説文は以下。
「今から1300年前(奈良時代初め)、全国60余国に地方政治の中心となる国庁が造られた。
国庁の周りには様々な公的施設が造られ、これらまとめて「国府」と呼ぶ。
国府のうち、国庁は発掘調査により六所神社境内周辺にあったことが明らかになる。
付近には国庁の正門があったと推測。
古代出雲の政治・行政・文化の中心地だった。」

上は解説の復元模型に六所神社(赤星)と概ねの方角など落したもの。
現在の写真と比較して、民家はあるものの当時の風景と大きな違いはない。

広大な一帯に掘立て柱が建てられ当時の姿を想像することができます。
写真は六所神社東から北の正殿・後殿・後方官衛の眺め。

後方官衛から西方向の遺構と右に神名樋野(茶臼山)の眺め。

六所神社社地西側から、水が張られた稲田と眞名井神社が鎮座する神名樋野(茶臼山)の眺め。
都市化と称し森が消え、地表はアスファルト化され、緑や水辺は悉く消えてしまった身近な光景から見ると、出雲の原風景をそのまま残すこの光景は貴重な光景でもある。
意宇六社 5/6 『六所神社』
創建 / 不明
祭神 / 伊邪那岐命、伊邪那美命、天照皇大神、月夜見命、素盞鳴命、大己貴命
境内社 / 天満宮、丁明神社、王子神社、不明社





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Last updated  2024.08.07 08:57:59
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