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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
8月6日、この日は青春18切符を握りしめ、JR金山駅から朝7時の快速電車で京都市内の西国33所の17番から19番札所を巡って来ました。
JR東海道本線米原で乗り換え、インバウンドで混雑する京都駅を避け、一駅手前の山科駅で降車し地下鉄東西線で京都市役所に向かうことにした。 その前に山科駅の「京都志津屋」のぶどうパントースト・ゆで卵・コーヒーセット(@520)で朝食を摂る。 右上は志津屋名物のカルレ(@270)、フランスパンにハムとオニオンスライスをサンドしたもので、シンプルですがオニオンが主張し個人的には好きかも知れない。 ぶどうパントーストはそれ自体美味しいだろう、マーガリンが浸み込みこんだパンの上に追いマーガリンも乗り、油を欲する時には魅惑的だろう。 歳も重ねるとやや過剰気味のマーガリンより、レーズンの甘味やパンの風味を求めたくなる。 山科駅から地下鉄東西線で京都市役所まで約25分程、そこから北へ10分程歩いて京都市中京区行願寺門前町に鎮座する第十九番札所 霊麀山 革堂 行願寺には10:50到着。 京都は暑くて、海外の観光客で溢れている印象しかないが、ここまではそれ程ではなかった。 門前の西国十九番札所 の石標。 京都府内には11ケ所の札所があり、松尾寺、清水寺、成相寺へは過去に訪れたが、今回三寺巡るので6/11は巡拝した事になる。 長い人生急ぐことはないが、一ノ宮、西国三十三、四国八十八と手を広げすぎ、遅々としてコンプリート出来ていない。 山門から見る本堂。 行願寺は寛弘元年(1004)、行円が一条小川の一条北辺堂跡地に堂を復興して行願寺と名付けたのが創建とされ、その始まりは更に遡る。 幾度かの焼失再興を繰り返し、宝永(1708)の宝永の大火後、寺町荒神口の旧地から現在地に移転した。 伽藍は山門・本堂・愛染堂・寿老神神堂・鎮宅霊符神堂・鐘楼が主な伽藍。 参道から本堂の眺め。 参道両脇をはじめ、境内には鉢植えの蓮が置かれており、ピークは過ぎていたが境内にピンクの彩りを添えてくれていた。 現在の本堂は文化12年(1815)の再建とされ、入母屋瓦葺で前が千鳥破風と唐破風向拝が付き、後方にも千鳥破風が付くようです。 本尊は千手観音。 陽当たりの加減で、一部にはまだ蕾の固い花も残っており目を楽しませてくれそうだ。 4/11巡拝。 革堂(こんどう)行願寺(ぎょうがんじ) 開山 / 行円 宗派 / 天台宗 山号 / 霊麀山 本尊 / 千手観音 創建 / 寛弘元(1004) 西国三十三所 / 十九番札所 所在地 / 京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町 次は十八番札六角堂 頂法寺に向かいます。 来た道を戻り、県道37号線を越え南下し、六角通を西に進みます。 六角通東洞院西入堂之前町に鎮座する頂法寺門前までは約25分程で着けるはずです。 第十八番 紫雲山 六角堂 頂法寺門前。 鎮座地は本堂の三方をビルが迫り、エアポケットの様に寺が鎮座しています。 頂法寺本堂は六角形であることから六角堂の名で親しまれています。 また、池の坊発祥の地として知られます。 頂法寺のはじまりは、淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子が、用明天皇2年(587)に四天王寺建立の材木を求め、京都を訪れた際に池で身を清めるため、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地で人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建て安置したのがはじまりと伝わります。 聖徳太子が創建したと伝わる六角形の本堂は、人々から六角堂や六角さんとして親しまれている。 親鸞聖人が六角堂で百日間の参籠を経て浄土真宗を開宗したはじまり地で、境内には親鸞聖人の像や親鸞堂などが建てられている。 山門をくぐり本堂に続く参道右側の由緒書き付近に「へそ石」があるが、嘗ては六角堂のこの辺りが京都の真ん中と云われていたようで、その証が「へそ石」なんだとか。 西国三十三所十八番札所頂法寺礼堂。 本尊は如意輪観音。 伽藍は本堂右手に親鸞聖人像や親鸞堂、左に不動堂があり、本堂後方には太子堂がある。 親鸞聖人像から見る六角堂の眺め。 現在の本堂は明治10年(1877)の再建で、確かに六角形の形をしているようですが、もっとはっきりと見たい。 境内から左のwest18ビルのエレベーターに乗れば、高い位置から六角堂を眺めることができます。 west18の9階から見た六角堂の全景、右手の礼堂と六角形で二重屋根の本堂が複雑に繋がったもので、本堂の内陣に如意輪観音、左側に毘沙門天立像、右側に不動明王が安置されています。 本堂左上の小さい朱色の六角堂が太子堂、礼堂上方に見えている六角堂が親鸞堂になります。 これで5/11巡拝。 頂法寺 開基 / 聖徳太子(伝) 宗派 / 天台宗 山号 / 紫雲山 本尊 / 如意輪観音 創建 / 伝・用明天皇2年(587) 西国三十三所 / 十九番札所 所在地 / 京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248さて巡拝最後であり、最大の目的地である西国三十三所十七番札所 補陀洛山 六波羅蜜寺に向かいます。 頂法寺から東に向かい、鴨川を渡り鴨川左岸の東山区轆轤町に鎮座する六波羅蜜寺までは徒歩で35分前後、約2.3㌔の距離になります。 補陀洛山 六波羅蜜寺門前。 本堂全景。 補陀洛山 六波羅蜜寺は天暦5年(951)、醍醐天皇第二皇子 光勝空也上人(903-972)により開創された西国第17番の札所で、本尊の十一面観音の他、多くの仏像や平清盛像などを所蔵する寺で、今回京都を訪れるにあたって最も楽しみにしていた寺院です。 平安時代末期には平正盛が付近に阿弥陀堂(現・常光院)を建立して以来平家との繋がりができ、平忠盛が当寺の塔頭に軍勢を駐屯させ、境内の隣に六波羅殿と呼ばれる館が建築され、平清盛によって六波羅蜜寺は平家の屋敷群に取り込まれてしまい、寺の内外一帯に5200棟余りの平家一門の邸館が栄えたという。 しかし、寿永2年(1183)に平家没落の際に炎上し、本堂を除いた伽藍は焼失した。 其の後は源頼朝、足利義詮による再興修復や火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉による修復や徳川歴代将軍から朱印を与えられた。 寺号にある六波羅蜜とはなにか、ということになります。 HPによれば「この世に生かされたまま仏の境涯に至る六つの修行」を指すようです。 成仏の境涯を得るためには、憎しみや貪欲の心を和らげ、煩悩から解き放ち、全ての命に感謝し慈悲心を育み仏に近づくことを目標とするもので、自分なりに要約すると「人として資質(成長)を高めよ」という事かと勝手に解釈する。 それを達成するための六つの修行として、布施(貪欲の気持ちを抑える)・忍辱(堪え忍ぶ)・禅定(自分自身を見つめる)・持戒(自らを戒める)・精進(不断の努力)・智慧(実践)があるという。 煩悩まみれの自分が現代風に置き換えると、給与・忍耐・自己分析・コンプライアンス順守・努力・実践となり、サラリーマン人生そのもののようにも思え、これらバランスよく実践すれば昇進や平穏な家庭も自ずとついてくるものと理解する。 仏の境地には到底到達できないが、人として幸せな人生を得るためにこれら欠いてはならないものかも知れない。 まずは、ストレスから三角に吊り上がった目の周りの筋肉を緩めてやるだけでも何かが変わるような気になる。 本堂正面全景。 現在の本堂は貞治2年(1363)の修営で、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)に解体修理が行われたものという。 本堂向拝に架けられた額は「六波羅蜜寺」、この向拝は文禄年間(1593-1596)に秀吉により新たに附設されたものという。 幾度も伽藍は火災に遭いながら唯一残るのがこの本堂です。 この本堂の右にある銭洗い弁財天の前を奥に進むと六波羅蜜寺令和館があり、そこが目指す場所です。 空也上人像(HPより)。 館内には平安・鎌倉時代の国宝・重文に指定された見事な仏像や像が拝観できますが、六波羅蜜寺を開創した空也上人像を見ることが最大の目的でした。 HPには空也上人について「南無阿弥陀仏を称え、今日ある事を喜び、歓喜躍踊しつつ念仏を唱えた。 上人は常に市民の中にあって伝道に励んだので、人々は親しみを込めて「市の聖」と呼び慣わした。」とあった。 特徴のある鹿の角の杖の経緯も書かれていました「上人が鞍馬山に閑居後、常々心の友としてその鳴声を愛した鹿を、定盛なる猟師が射殺したと知り、大変悲しんでその皮と角を請い受け、皮をかわごろもとし、角を杖頭につけて生涯我が身から離さなかったという。 定盛も自らの殺生を悔いて上人の弟子となり、瓢をたたき、法曲を唱し、寒い夜もいとわず京中を巡行して衆生の能化につとめた。」とあり、少しはこの像の意味が分かった。 この像は運慶の四男康勝の作で胸に金鼓、右手に撞木、左手には友だった鹿の杖をつき、草鞋をはいて、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承を再現したもので、実に写実的で今にも南無阿弥陀仏と唱える声が聞こえてくる。 椅子がなく立っての鑑賞になりますが、空也上人像の前でずっと見入っていました。 また、鎌倉時代に作られた平清盛像座像もありますが、あの清盛とは思えぬ実に穏やかな表情をしたもので印象が少し変わったように思える。 その他の仏像も時が過ぎるのを忘れるほど見応えがあり、六波羅蜜寺を参拝の際に拝観される事をお勧めします。 これらの仏像のポストカードが販売されておらず、そこがやや心残りだった。 6/11巡拝。 補陀洛山 六波羅蜜寺 開山 / 空也 開基 / 村上天皇 宗派 / 真言宗智山派 山号 / 補陀洛山 院号 / 普門院 本尊 / 十一面観音 創建 / 天暦5年(951) 西国三十三所 / 十七番札所 所在地 / 京都市東山区轆轤町81-1以上で目的としていた寺を参拝、ここからは当日立ち寄ったお店を取り上げます。 京都酒蔵館別邸 第十九番札所 霊麀山 革堂 行願寺から西に10分程の中京区堺町通二条上ル亀屋町にあり、お酒と京都らしい飾りつけの料理が食べられる店。 右側の京都町屋麦酒醸造所と隣接してクラフトビールのお店「味の蔵 奥満笑屋」もあります。 天明元年(1781)創業のキンシ正宗の酒蔵兼町家をリノベした店舗。 ぱっと見は古くから続く酒屋さんの印象を受けますが、内部はもともとの建物を活かした落ち着いた雰囲気のお店になっています。 国の登録有形文化財である酒蔵を利用しており、黒光りした太い梁と白壁の対比が綺麗。 店内には酒蔵時代の用具も残され、酒蔵当時の趣も残されています。 店内では日本三大酒処のひとつ伏見から京都府北中部、京都府下全域の酒が揃えられており、タブレットから地域・好みを選択するとお勧めの酒に巡り合える。 店内には当時の桶や左手から中庭に出ると仕込み水「桃の井」が湧き出ています。 大きなカウンターとテーブル席がある店内、テーブル席へ案内される。 メニューは蕎麦・肉料理・魚料理など幅広く取り揃えています。 朝食が多少遅かったこともあり写真の酒肴六種盛り(@2200)とお漬物をオーダー。 で、お酒は三種の飲み比べセット(@1600)を其々オーダーする。 こうした飲み比べセットに15種もあるが、訳がわからなくなるのでこれにしました。 3種類といっても30蔵の中から好みの銘柄を選ぶので、タブレットでは決めきれない。 お店の方に北中部の酒蔵ですっきりしたお勧め三品を選んで頂いたのが上の銘柄。 ・若宮酒造 (綾部) 綾部の四季 純米 【使用米】京の輝き 【日本酒度】+3 【酸度】1.7 まろやかな口あたり 店内奥のテーブル席。・白杉酒造(京丹後) 丹後のヒカリ 純米吟醸 【使用米】丹後産コシヒカリ【日本酒度】±0 【酸度】1.8 絹のようなのどごしと甘み ・羽田酒造(洛中) 羽田 純米 【使用米】京の輝き 【日本酒度】+3 【酸度】1.6 絶妙な酸のバランスと旨味が特徴 この三品どれも美味しい訳だが、金メダルが丹後のヒカリ、銀メダルが羽田、銅メダルが綾部の四季となる。 ガラスの向こうは昔のままの漆喰壁、天井の太い梁や柱は、今では見る事もない。 暑い京都、酒蔵で涼みながら美味しいお酒を飲むには最適か。 京都酒蔵館別邸 営業時間 / 昼9:00~14:30(LO14:00)、夜17:00~22:00(LO21:00)※土・日・祝日は9:00~22:00、定休日 / 水曜日 所在地 / 中京区堺町通り二条上る亀屋町172 そろそろ帰途に着くため京都駅方面に向かいます。 下は帰り際に立ち寄った錦市場の様子。 もはや地元の人の市場ではなくなっていました、海外観光客率90%。 ここから脇道にそれて市バスで京都駅に向かうが、バスもガラガラを持った観光客が多く何本か見送る。 空いたバスに乗るも、それとて途中からガラガラで一杯になり、乗れない人も多く見かけた。 今回訪れた西国33所の各寺では海外の観光客は見られず意外な気がした。 それにしてもやはり京都は暑くて混む、その印象は変わらなかった。 電車を乗り継ぎ18:30には、これまた暑い名古屋に戻り、駅近くの餃子ニュー柳橋でお疲れ様の祝杯をあげることができた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.13 00:00:23
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