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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
石動(いするぎ)神社。
横川から国道253号線を約6㌔程西に走った浦川原区飯室地区に鎮座する神社。 国道から県道253号線に入った右側に杉の杜に包まれた社殿は見えているのですが、社頭になかなか辿り着けず、地区内に鎮座する本教寺の門前から西に進んだ先で社頭を見付けることができた。 一帯は幅員の狭い生活道路で路駐は出来ません、社頭左に更地がありそちらに車を停めさせて頂きました。 万が一の為かみさんには車の中で待ってもらい、大急ぎで参拝し社地をひと回りしてきました。 社地は県道253号線の東に隣接し、社頭は東向き。 真っすぐに伸びる見事な杉の杜に囲まれ、石動神社の社殿が建てられています。 炎天下の下、石動神社の杜が作る木陰は涼し気だ。 社頭全景。 一ノ鳥居は石の明神鳥居で参道脇の二本の杉の巨木が印象に残る。 鳥居左に古い手水鉢が置かれており文字も刻まれていましたが、寄進年などはっきり読み取れなかった。 境内に続く石段の奥に石燈籠と石像が安置されています。 新潟には古くから伝わる郷土玩具の三角だるまがあります。 それが摺りこまれているのか、この石像は達磨にしか見えない。 達磨か否かは定かではないが、実に穏やかな表情をしており、いつもこうした顔でいたいと感じさせる。 最近は歩くことが多くなった。 地元の街中を歩いていると、車や自転車の運転者の法令順守意識の低さを実感することが多くなる、そんな時はついつい目は三角になるが、そんな時こそこの表情に戻して反面教師として捉えないとねぇ。 一ノ鳥居の額は「石動神社」。 石段の先のニノ鳥居は靖国鳥居。 右手が拝殿で左手に手水舎があります。 石段を上った境内の正面に複数の石の祠が祀られています。 こちらも新潟県神社庁上越市の神社一覧に石動(いするぎ)神社として登録はあったがそれ以上の情報は得られらかった。 手水舎。 境内に入ると灼熱の外気とは別世界で苔が自生する涼しい環境。 石動神社拝殿全景。 手前で狛犬が守護し、その先に形も見慣れて来た常夜灯(昭和49年)が立っています。 拝殿は切妻造の平入で向拝が付くもの、落雪を促す様な屋根の勾配。 拝殿を守護する狛犬。台座には平成19年(2007)寄進と刻まれています。 向拝に架けられた扁額も石動神社。 賽銭を納め参拝。 拝殿内は格子戸から垣間見ることは出来ず、建物は比較的新しく境内に由緒など見当たらなかった。 浦川原村史(1984)に石動神社について記されていました。 「石動神社 所在地 飯室字ブタイ474番地 祭神 伊邪那岐命 祭礼 4月14日・11月3日」 とあったが、創建時期についての記述は見られなかった。 しかし昭和57年当時に撮影された写真では、今の社殿はなく、石段正面の石祠の位置に社の姿があり、現社殿はその後に造営されたものと思われます。 拝殿左から鞘殿後方に繋がっており、そこから社殿見た社殿全景。 平入の拝殿と妻入りの渡殿・幣殿、平入の鞘殿がひとつに繋がっています。 社殿を支える高い基礎は積雪の多さを感じさせます。 社殿を包み込む杜が強い陽射しを遮ってくれています。 境内から見下ろす一ノ鳥居、寄進年は昭和55年のものでした。 石動(いするぎ)神社 創建 / 不明 祭神 / 伊邪那岐命 所在地 / 新潟県上越市浦川原区飯室474境内社 / ・・・ 祭礼 / 4月14日・11月3日 参拝日 / 2024/07/20 横川剣神社から石動神社 / 国道253号線(ほくほく街道)に戻り5~6分程先の浦川原区飯室地区の飯室山西の信号を右折・直進した右側。 関連記事 / ・無印良品津南キャンプ場を拠点に清津峡と越後一宮を訪れる 3『越後一宮 居多神社』・清津薬師堂 ・剣神社(上越市浦川原区) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.19 00:00:38
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