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2024.08.23
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
居多(こた)神社。
新潟県上越市五智にある越後国一ノ宮。
鎮座地の東を流れる関川左岸下流の高田平野に鎮座し、北に10分も歩けば、越後国府に配流となった親鸞聖人が上陸した居多(こた)ヶ浜があり、海は間近に迫っている。

居多神社社頭は上越市国府にあり、社頭の状況は左に居多神社解説、右に明治15年(1882)に寄進された「県社 居多神社」の社号標と一対の常夜灯がある。
wikiの紹介には、ここに一ノ鳥居を構える姿が残されていますが、現在はここに鳥居はありません。
何をきっかけに、いつ頃鳥居が無くなったのか定かではありませんが、想像できる要因は限られてきます。
この一ノ鳥居跡の社頭から、緩やかに下る参道を進むと、大きな駐車場と真新しい社号標が立つ二ノ鳥居の前に出ます。

ここ一ノ鳥居跡から右に向かうと五智国分寺が目の前です。

社頭の由緒。
「越後一の宮 居田神社
祭神 大国主命、奴奈川姫、建御名方命
祭典 
例祭 5月3日
講社大祭 8月19日・20日
由緒
 弘仁4年(813)に従五位下を、貞観3年(861)に従四位下を朝廷から賜わった。
  延長5年(927)の「延喜式」神名帳に記載された式内社である。
 越後国司・越後守護上杉家・上杉謙信の厚い保護をうけ、越後一の宮として崇敬されてきた。
  今日、縁結び・子宝祈願の神として信仰されている。
宝物
 居多神社文書・狛犬(上越市指定文化財)
親鸞聖人御旧蹟
 親鸞聖人日の丸御名号・御詠歌・越後七不思議「片葉の芦」
境内社
 雁田神社 祭神:高皇産霊神、神皇産霊神、子宝・安産の神
 稲荷神社 祭神:倉稲魂命(商売繁昌の神) 」

社頭右の社号標。

常夜灯の寄進年は見忘れました。
居多神社の創建年代は定かではなく、往古は現在の社地から北、親鸞聖人上陸の地居多ヶ浜の西の身輪山の海に面して鎮座していたとされ、上陸した親鸞聖人は最初に居多神社を訪れたと云われます。
しかし、風や波の浸食、地震による社地の崩壊から現在地に遷されたようです。
神社は幾度も兵火で焼失するも、都度再興されたが、明治35年(1902)社殿を焼失し、明治40年(1907)に仮社殿の再建以降は長年仮社殿のまま推移していたが、平成20年(2008)、現在の優美な社殿に生まれ変わりました。

木陰に包まれた参道を進みニノ鳥居に向かいます。
真新しい社標の前は車道が横切り、ニノ鳥居の先に拝殿が見えてきます。
車で訪れると駐車場も近く、ここが社頭のようにも見えます。
社標周辺の草むらをよく見ると、越後七不思議のひとつ「片葉の芦」も見られます。

ニノ鳥居前の由緒、先の由緒と内容が同じなので割愛。

石段の先のニノ鳥居。

石造神明鳥居から境内の眺め。

広々とした社地の参道の先に真新しい社殿がある。
大国主命を祭神とする居田神社、拝殿に対し右に寄せられた向拝は出雲大社拝殿の趣に似ている。
社殿右手に親鸞聖人の像や境内社が纏められています。

参道左の手水鉢。

拝殿前の狛犬、台座に皇紀2600年(昭和15年)寄進とある。

向拝鬼板に左三つ巴の紋、向拝の額は居多大明神と書かれています。

拝殿内の光景。
祭神は大己貴命、奴奈川姫命、建御名方命、事代主命を祀ります。

居田神社と書かれた拝殿額から先の幣殿は、本殿に続く階段が右に寄せられおり、大社造りに似ている。
居田の「居(こ)」の読みは古くは「け」と呼んでいたようで、けたじんじゃと読んでいた、海岸線を西に進めば富山の越中国一之宮氣田(けた)神社も大己貴命を祀っていた。
更に西に向かえば出雲の国に繋がる、日本海がこれら繋げているような・・・

社殿左から全景。
拝殿左の建物の用途は良く分からない、社地に神饌所が見られないので神饌所か?。

社殿左は神輿庫。
御朱印はこの左手奥に社務所があるのでそちらで頂ける。

本殿後方眺め。
三本の鰹木、外削ぎの置き千木が施された鞘殿に覆われ本殿の造りは分からない。
鞘殿の基礎となる石垣は、随分と高く積まれ雪深い土地柄を感じさせる。

社殿右の稲荷神社、倉稲魂命を祀る。
慶応2年(1866)旧社地が崩壊する以前には、境内に天神社、八幡社、稲荷社、八坂社、諏訪社、大間神社の境内社あったとされます。
この地に遷った現在の境内には、由緒にある写真の稲荷社と北参道の右に鎮座する雁田神社の二社。

北参道左側に大国主命と奴奈川姫命の像があり、愛おし気に我が子建御名方命を抱く奴奈川姫命の姿が印象的だ。

北参道口。
右手の建物が境内社雁田神社。

雁田神社。
祭神は高皇産霊神と神皇産霊神。
懐妊、安産、夜尿症治癒、性病治癒の神とされ、納得の御神体です。

雁田神社の右の石碑。

祥元元年(1207)親鸞上人が越後国府に配流となり、居多ヶ浜に上陸、最初に参拝したのが越後一宮 居多神社とされ、その時「すゑ遠く法を守らせ居多(こた)の神 弥陀と衆生のあらん限りは」と詠み神前に供えて祈願したところ、一夜にして境内の葦が片葉になったという。
この片葉の葦は「親鸞上人越後七不思議」のひとつとされ、社頭右手の社標周辺で見ることができます。
親鸞上人は後の建保2年(1214)に常陸国に旅立つまでの越後で生活した。

写真中央の一際大きな岩には親鸞上人が詠んだ「すゑ遠く法を守らせ居多(こた)の神 弥陀と衆生のあらん限りは」と彫られています。

境内右の親鸞上人像と社殿。
この地に上陸した親鸞上人は、五智国分寺境内に竹之内草庵を構え、建保2年(1214)に常陸国へ旅立つていった。

拝殿からニノ鳥居と五智国分寺が鎮座する一ノ鳥居跡方向の眺め。


越後一宮 居多神社
創建 / 不明
祭神 / 大国主神、奴奈川姫、建御名方神(栞より)
境内社 / 雁田神社、稲荷神社
所在地 / ​​新潟県上越市五智6-1-11
参拝日 / 2024/07/20
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Last updated  2024.08.23 09:02:16
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