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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
豊田市伊保町宮本鎮座「八幡社」 前回掲載した豊開神社から北進し、県道58号線(飯田街道)を右折し東に進み伊保町的場交差点で右折、1本目の道を右折直進すると今回の八幡社に至ります。 上は明治24年(1891)当時と現在の比較地図。 神社は街道沿いに出来た下伊保集落の南側に位置し、南に伊保川が流れ、すぐ東に籠川が合流する田園地帯に鎮座します。 古くから要衝として開け、天正19年(1591)に原長頼により検地が行われ、延宝8年(1680)、当時の殿貝津陣屋の支配に置かれていた。 八幡社の創建も古い様で当時の地図に既に描かれています。 社地全景。 細い道を西に進むと伊保町区民会館に至り、その脇に南北に長い社地を持つ「八幡神社」の社頭に出ます。 右に昭和12年寄進の「村社 八幡神社」の社号標が立ち、その先に社殿が広がります。 社頭全景。 西から南にかけて田んぼが広がり、周囲に高い建物もなく開放感のある社地。 昭和62年健之の石造明神鳥居と八幡神社の額。 鳥居から先の境内。 左に手水舎、中央の拝殿・本殿、右手の境内社が主な建物。 手水舎から田んぼの先のお助け地蔵や開豊神社が鎮座する浄水町方向の眺め。 周囲の田んぼは概ね稲の収穫を終えるころでした。 八幡神社の龍口。 手水舎右手の社記。 「社記 社名 八幡神社 所在地 豊田市伊保町宮本20番地 祭神 誉田別命(応神天皇) 由緒 創設は応安2年(1369)8月15日、京都府石清水八幡宮の分社として勧請 旧下伊保の氏神として奉斎し村民の尊崇極めて厚く今日に至っている 明治5年10月村社に列せられる 昭和14年10月18日神饌幣帛料供進神社に指定される 例大祭 10月10日 境内末社 【神明社】 祭神 天照皇大御神、【津島社】 祭神 素戔嗚尊、【秋葉社】 祭神 加具土命、 【天神社】 祭神 天満天神、【金毘羅社】 祭神 大物主命、【風神社】 祭神 不詳、 【御嶽神社】 祭神 伊佐波登美命 境内 1991㎡ 氏子 134戸 崇敬者 76戸 昭和62年5月吉日」 西加茂郡誌に目を通しましたが、内容は社記に及ばぬものでした。 舞殿。 入母屋妻入りで四方吹き抜けのもので、昭和62年の寄進物が多いのでこの時期に改修されたのだろうか、全体に社殿は綺麗に保たれていました。 舞殿右から社殿全景の眺め。 舞殿から拝殿方向の眺め。 拝殿全景。 昭和62年寄進の狛犬。 拝殿額。 拝殿内。 拝殿左から流造の本殿。 外削ぎの置き千木で鰹木は3本、鬼板の紋は左三つ巴の紋が入る。 境内右の境内社。 社記によれば神明社、津島社、秋葉社、天神社、金毘羅社、風神社、御嶽神社があるとあったが、境内で他の社が祀られている様子もなく、この社に全て合祀されていると思われます。 社前の狛犬。 狛犬、常夜灯共に寄進年を見忘れましたが、昭和初期に寄進されたもののようです。 蟇股の龍。 この社、彫には相当拘って作られています。 向拝柱木鼻の獏。 海老虹梁の波と肘木の牡丹の彫。 脇障子にも手の込んだ彫が施されていますが、この部分は後付けか? 小さな社ですが、よく見れば随所に拘りが詰め込まれています。 拝殿から社頭方向の眺め、綺麗に手入れされた居心地のいい神社です。 車を停めさせて頂いた伊保町区民会館から南の眺め。 あの頂からかつては多くの若い世代が飛び立っていった、その空にアキアカネが飛び交っていた。 八幡神社 創建 / 応安2年(1369) 祭神 / 誉田別命(応神天皇) 境内社 / 神明社、津島社、秋葉社、天神社、金毘羅社、風神社、御嶽神社 所在地 / 豊田市伊保町宮本20 参拝日 / 2024/09/06
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Last updated
2024.10.21 09:11:23
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