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2025.01.13
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
初歩き2の今回は水分橋から春日山に向かい、春日山弁財天へ参拝します。

写真は水分橋から対岸の庄内用水元杁樋門方向の眺め。
ちょうどこの辺りに旧名岐鉄道大曽根線(名鉄小牧線)の橋梁が架けられていた場所になります。

ここから北を見ると築堤が残り徐々に高さが低くなっていきます。
この先は既に一部に民家や駐車場に姿を変えています。

築堤は消え、線路もなく電車も通る事はありませんが、線路内立入禁止看板が掲げられています。
地上を走って来た小牧線は、ここから200㍍ほど先の県道162号線あたりから地下に消えていきます。
更に北進し、味鋺駅付近から左に進路を変え、県道102号線を北上、地蔵川を渡り戸田公園に向かいます。

戸田公園。
地蔵川右岸沿いにある公園、この界隈には次の目的地、味美春日山古墳や白山神社の鎮座する味美二子山古墳が隣接しています。
後方に見えているのは冨士山滑り台で古墳ではありません、味美春日山古墳へはここから徒歩10分ほど、ここで少し一休み。


味美春日山古墳全景。
古墳を含め春日山公園として整備されており、春日山弁才天は墳丘の上に祀られています。
春日山には犬山街道を挟んだ二子山に鎮座する白山神社の御旅所や春日神社がありましたが、寛永年間に御旅所は春日山から現在の二子山に移され、大正7年(1918)には春日神社も白山神社に合祀されました。

味美春日山古墳を南側から見た全景。
古墳は6世紀後半の古墳時代のものとされる前方後円墳と云われます。
実際に訪れた印象では右手が後円部で左側が前方部、中央の階段部分がくびれ部分のように感じます。
春日山弁才天と御嶽神社は左の前方部に祀られています。

こちらは北側から見た味美春日山古墳。
春日井市古墳散策マップの春日山古墳解説は以下のようなものでした。
「二子山古墳に後続すると推定され、現在は春日山公園内に保存されています。
かつて巨石が掘り出され白山神社に運ばれたという記録があり、埋葬施設は横穴式石室の可能性が考えられます。」とありました。
そう聞いて白山神社の写真を改めて見直すと社頭の由緒碑の台座など、それらしい岩が使われています。
それほど人の手が入っていながら出土品は不明とある。
敢えて古墳と言われなければ、小高い小山の上に鎮座する神社の印象しかないかも知れません

古墳を実感させるものは後円部に建てられた「春日山古墳」の石柱くらいで、古墳に関する解説板など特に見られなかった。

墳丘から前方部の御嶽神社の全景。
右手には「南無大悲観世音菩薩、南無大師遍照金剛」の大きな石碑が建てられてます。

左側の斜面に小さな社の姿があります。
どうやらこちらが春日山弁才天のようです。

公園南側から見る春日山弁才天。
左に春日山弁才天縁起の石碑があり、社は大きく育った椎の樹の根元に祀られています。

お賽銭はこの不思議な形の賽銭箱に入れます。
これ、遠目には陶器なのかと思っていましたが、近寄ってよく見ると金属製のもの。
この形どこかで見た事がありませんか。
気体の種類は分からないですが、これはガスボンベの空容器を加工したものではないだろうか。
ここに硬貨を入れると澄んだいい音が出て、いいアイディアだと感心しました。

「春日山弁財天縁起
この地方は、17世紀中頃までは味鏡原と呼ばれる荒れはてた原野もあったが、南西部の湿地帯では新田の開拓が始まり、人の集まりはやがて集落となり、村人の暮らしも次第に良くなり、人々は更なる平安を願い苦しい労働のなか、村の辻々には石仏を、小高い塚には祠を祀り、天災疫病等の退散を祈願し、心のよりどころとしました。
江戸時代下期の頃、当村住人周左衛門は人々に請われ、護国院第廿七世實如和尚の勧めも有り、同寺境内に祀られていた大弁財天女尊をお迎えして、当春日山南西麓に祀りましたが、参拝者の不便等の為、ほどなく現在の中新町1-9-5へ遷され、以降約百四十有余年あまたの人々の信仰を集めてまいりましたが、時代変わり、再び当初の地春日山に遷座するにあたり、嘉永の昔村人が使用した礎石を新しい社の脇に据えたことを添えて略記とする。
平成七年三月吉日」
この弁才天はもともと、南に20分ほど歩いた庄内川右岸に鎮座する護国院から遷されたもので、護国院⇒春日山⇒中新町⇒春日山と三回も動かされたようです。
具体的な創建時期は定かではないようですが、この地に戻ったのは30年前の平成7年(1995)のようです。
今日も地元の方の参拝者も見え、賽銭を投じる澄んだいい音が聞こえてきます。

春日山御嶽神社、ここにもあの賽銭箱が置かれています。
左手に霊神碑、中央に祭神や多くの霊神を記した石碑、右手に祠が祀られ、後方にも複数の社が見られます。
石碑の上部の内容は以下。
「八海山大頭羅神三国狭槌尊、大己貴命、大日大聖不動明王、国常立尊、少彦名命、白川大神、三笠山刀利天宮豊斟停尊、覚明霊神、普寛霊神」
霊峰御嶽は、二人の行者により開かれました。
その一人、普寛霊神は王滝口修験道の開祖であり、もう一人の覚明霊神は黒沢口修験道を開いた行者で、地元牛山町出身です。
出生の地でもあることから、この地域では御嶽神社はよく見かけられます。

右手の祠と奥の社。
カッラーン〃、参拝させてもらいます。

祠の額には神變大菩薩とあります。
神變大菩薩とは役小角(役行者)のことで、光格天皇より「神變大菩薩」の諡号が与えられたもので、祠の中に役行者が安置されます。

後方の社、右は国府宮神社、左に稲荷大明神が祀られています。

その左の二社は右が秋葉神社、左の赤い社は津島神社。

その左、右から八海山、御嶽神社、白川大権現、摩利支天が祀られています。
これで古墳の上に祀られている社は参拝しました、次の目的地に向かう事にします。

春日山公園の東北角に写真の道標が立てられていました。
もとからここにあったものか、道路整備に伴いここに移されたものかは不明ですが、すぐ近くを上街道が北へ伸びるだけに道標には違和感はない。

標の一面を除いた三面には以下のように彫られています。
「是よ里十八丁常安寺・天保七年(1837)丙申二月十五日・三国伝来釈迦如来 」とありました。
「常安寺」とは、ここから空港方向に約2kmほどの豊山町に鎮座する常安寺を指し示すものでしょう。
次の目標は、この道標から北東へ15丁ほどの15丁公園に向かいます。

春日山弁才天・御嶽神社・春日山古墳
弁才天創建 / 不明
御嶽神社創建 / 不明
境内社 / 秋葉神社、津島神社、国府宮神社、稲荷大明神
所在地 / 春日井市中新町2-21
訪問日 / 2025/01/05
水分橋から春日山弁才天徒歩ルート / 距離2.3km、​移動時間約35分
参拝日 / 2025/01/05
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過去記事
・​味美 『白山神社』
・『​味鏡山 天永寺 護国院​』
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Last updated  2025.01.17 20:41:03
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