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2025.01.14
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
春日山公園の道標から国道302号線を越え、北東へ約1.6km、徒歩25分ほど先の春日井市知多町の十五丁公園に向かいます。

白山西横断地下道。
勝川と枇杷島を結ぶ城北線味美駅と国道302号線を渡るための地下道。
城北線は一度乗りたいとは思っていますがなかなか縁がない路線。
地下道は、明り取りもあり内部は思ったより明るく、壁には子供達の絵が展示され、ギャラリーになっており、冷たいコンクリートの空間に温もりを与えてくれます。
作者にとっては歳を重ねて訪れた時、子供に自慢できる思い出になるのでは。

八田川。
名二環(国道302号線)北側の人道橋から庄内川方向の南の眺め。
こうして見ると実に怖い所だ、人の想定が自然の振舞いに通じるのだろうか、この下で地震に遭いたくない場所だ、車で名二環を走るたびにリスクを感じる構造です。

知多町3の十五丁公園。
春日井にあって知多町とはなにかしっくりこない。
町名の由来を調べて見ると理由が分かりました。
この周辺の新田開発のため、寛文3年(1663)知多郡藪村、現在の東海市養父町界隈の移住者により新田開発され、それに伴い知多東・知多屋敷と称されたようです。

1891年頃の地図を見ると、犬山街道と下街道に沿って大きな集落ができていますが、八田川左岸のこの辺りは小さな集落が点在する程度で、八田川にかけて八田与吉新田が広がる地帯。
田畑が消え、今のように区画整理・住宅が広がるようになったのは昭和以降のこと。

今回訪れるのは十五丁公園内の北西角に鎮座する洲原神社。

子どもらが遊ぶ公園に佇む神社は好きな光景です。
公園内の角に玉垣で囲った社地の高い台座の上に社が祀られています。
Gマップによれば「川原神社」の社名は出てくるがコメントがなく、現地を訪れても社名札はなく、裏付けとなるものが全くありません。
webの川原神社情報や過去の地図をみても神社に関する情報は得られず不明社とするつもりでいました。

「郷土誌かすがい」にこの神社について記述がありました。
まず、この神社は川原神社ではなく「洲原神社」と呼ばれています。
「郷土誌かすがい」から一部抜粋した内容は以下です。

「昭和の洲原詣その2
知多町の十五丁公園北西隅に洲原神社の小祠が祀られている。
この社は、昭和49年まで付近の平手庸明氏宅地内に奉祀されていたが、区画整理により現在地に移され、同51年6月に移転を完了した。

十五丁場洲原社創建の由緒は次のように伝えられている。
天保の大飢饉がおさまった翌天保9年(1838)、この地方に害虫が大発生して農作物が食い荒らされ皆無となった。
人々は雑草、木の皮まで食い尽くす悲惨な状態であったという。

翌天保10年、十五丁場の集落の寄り合いで、集落のリーダーが中心になり、五穀豊穣の神として知られる美濃洲原神社を当集落へ分神として迎えることにした。
毎年4、5月頃に集落の代表が洲原神社に参拝し、お札を受けてきたという。
現在でも、今年の豊作を祈願して参拝する。」

洲原神社は​、岐阜県美濃市須原の長良川右岸に鎮座し、主祭神は伊邪那岐命を祀る古社です。

周辺から田畑が減少し、農作物は作る側から買う側になってしまった今日、農作物の豊穣を祈願する習わしが今も受け継がれているのだろうか。
広い意味で買う側になったとはいえ、作物の豊穣を祈願しない訳にはいかない。
昨年の米不足・野菜の不作・高騰は日々実感します、ないものは金で解決できるはずもなく、作物を育てる知識と土壌を失ってはいけない。
我家の猫の額ほどの小さな菜園でも最近は野菜を植える機会が多くなってきた。
それとて昨今の異常気象では上手く育たなくなった、土を育てる知識がないのである。
ものが無くなるとそれを盗む者が現れ、やがては豊かな土壌を盗むそんな時代になってしまうのだろうか。

新田の豊穣を祈願した洲原神社、「雑草や木の皮まで食い尽くす」そんな現実が訪れないことを願いたいものだが、既に動き出している実感がありますねぇ。

洲原神社
創建 / 天保10年(1839)
祭神 / 伊邪那岐命
所在地 / 春日井市知多町3-104
春日山弁才天から十五丁公園 / ​​​北東に1.6km、25分ほど
参拝日 / 2025/01/05
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・​「洲原神社」





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Last updated  2025.01.17 20:40:21
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