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2025.01.20
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
光風園神社。
梅森坂神社から次の目的地光風園神社へは、東に向かい、県道219号線の先にある東名古屋病院を目指します。
Gマップのルートでは、病院敷地沿いの北側道路から行けるように示しますが、北側の道路からは病院敷地のフェンスがあり、敷地内に鎮座する光風園神社には行けません。

以前、車で訪れたことがあり、その時は車を停める場所もなく、走りながら探しましたが、入口が分からず見送ったことがあります。
今回は車を牧野ヶ池緑地公園に置いて来たのでその心配はない。

神社参道は病院正門から左に向かい、施設北側を進み、東外れの駐車場から訪れる事になります。

駐車場から北側の森の眺め。
神社はこの森の中に鎮座しています。

駐車場北側の森に写真の参道が作られています。

参道入口には光風園神社の縦看板があり、岡の上に参道が伸びています。

入口の石段の先は山道が伸びていき、その先の鳥居に続きます。
木製の鳥居は二つ建てられています。

一ノ鳥居の額は光風園神社。
いつ頃建てられたものか分かりませんが、笠木や額は苔むし腐敗が進んでいます。

その先のニノ鳥居は更に腐食が激しく、鳥居の左に手水舎、正面に本殿も見えています。
冬の時期だからまだしも、草木に勢いのある時期に歩きたくない道かもしれない。

手水舎と本殿。
こちらの手水舎も朽ちかけています。

手水鉢。
正面に「文化13年丙子 奉献神明宮」と刻まれています。
文化13年は西暦1816年、今から200年前に寄進されたものです。
当初は神明宮と呼ばれていたようです。

鎮座地は現在の名東区の東外れに位置し、日進市と隣接する丘陵地にあります。
南には天白川が流れ、この地域は南垂の立地にあります。
大正9年当時の地図では、南の天白川沿いに洞、梅森の集落、北側は牧野池付近に猪高村高針、東は日進村岩崎の集落が見られますが、鎮座地周辺には集落の姿は見られませんでした。
現在のように住宅地として開発が進んだのは昭和に入ってからです。
神社は東名古屋病院の敷地北側に鎮座しています。
東名古屋病院は、昭和15年(1940)に開設された結核療養施設である梅森光風園が前身です。昭和43年(1968)に八事療養所と合併し、国立療養所東名古屋病院となり、現在に至ります。
療養施設時代の航空写真からも、当時かなりの療養棟が建てられていたことがわかります。

奇しくも、神社名はその光風園の名を冠しており、いろいろと背景を想像したくなりますが、「文化13年神明宮」の手水鉢はそのような想像を否定しているようです。
それがいつから光風園となったかです。
当神社の創建時期や由緒について調べて見ましたが、具体的な資料やweb情報が得られず、神社についてこれ以上書き添えることがありませんが、当初は神明宮として祀られていたのは間違いないようです。
参道脇の猿の腰掛。
正式名称は知りませんが、子供の頃からこのように呼んでいます。
試した事はありませんが、漢方薬として煎じて飲まれたり、癌にも効くと云われたこともあるものです。
これで何年物か分かりませんが、茸は裾野が広く、SNS情報から素人が迂闊に手を出すのは絶対にやめた方がいい。

本殿の手前は再び石段となり、綺麗な石で作られた基壇の上に本殿が祀られています。

本殿正面全景。

基壇脇の貼り紙。
参拝のみに留めて欲しいとのこと。
既に神社の由緒を伝え、管理をする方はいないのだろうか。
病院敷地にあるため、法人として賽銭の扱いに困惑している様子が伺われます。

本殿域全景。
神明造の社で千木は内削ぎ、鰹木は確認できるものが2本載っています。
左には落ちてしまった鰹木が纏められています。

最後に手が入れられたのがいつか分かりませんが、このまま朽ちていくのだろうか。

本殿域から社頭方向の眺め。

鳥居はともかく、200年前の先人が祀った理由を知り、本殿に一部修復の手が差し伸べられることを期待したい。
山や田畑が消え住宅地に移り変わり、その土地の小さな社が消えたところで生活に影響はないのだろうが、先人達の思いはそこで途切れる。

さて、牧野ヶ池緑地公園に停めた車までもう一歩きしよう。
光風園神社
創建 / 不明、手水鉢に文化13年神明宮の銘がある。
祭神 / 不明
所在地 / 名古屋市名東区梅森坂3-341-7
梅森坂神社から光風園神社 / ​​距離0.65km、徒歩9分​​
参拝日 / 2025/01/09
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Last updated  2025.01.22 11:32:31
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